ダールェン平原に見られる金の幻影についての調査録

綿野 明

1 青い森

 馬車が揺れる度に力なくゆらゆらと頭を揺らし、魂の抜けたような遠い目をしている同僚は、そんな状態でも精霊か妖精のように美しかった。何かこの世のものならぬ、内側から輝くような雰囲気がある。自分と同じ十五歳の少年だと知っていてもどこか現実味がない。


 そんな美貌の少年魔術師が数時間ぶりに瞳に焦点を取り戻し、無気力に私を見つめ返す。


「……すまない、フレン」

「問題ない」


 もう少し気の利いた言葉を返せればよいのだが、どうにも話すと無愛想になってしまう。私が年齢の割に大柄で、不機嫌そうに見える顔立ちをしているのもあって、きっと傍から見れば大変感じが悪いように思うのだが、タナエスは幸いにもそういうことをあまり気にしない質らしい。彼は私に微苦笑を返すと、再びがっくり肩を落とした。


「またやられてしまった……」

「そうだな」


 あのやたら早口で喋る老魔術師が本当は身も心も元気いっぱいで、年老いて遠出する体力がないなんていうのは真っ赤な嘘だというのはわかりきっている。それに彼は我々の師でもなんでもない。ただの押しが強い隣人である。故にタナエスも、代わりに調査へ行ってこいという要求を一度はきっぱり断った。つい先日もそれで酷い目にあったからだ。だが、あのよく回る口と深い学殖でもって南の大陸の美しい自然だとか、独自の呪術形式だとか、謎めいた美しい自然現象だとかを矢継ぎ早に語られるうちに、つい心惹かれて頷いてしまった。前回もそうだった。


「……私は楽しみだ。平原の幻影」

「不幸中の幸いだな」


 そういった経緯で、私とこの美しき同僚は塔を離れて海を渡り、見慣れぬ意匠の幌馬車に揺られている。ハヴィシア大陸中央、「青い森」を抜けた先に広がるダールェン大平原で目撃された謎の現象を調べるために。


 親切にも馬車に乗せてくれた旅の吟遊詩人一座に別れを告げ、森を歩き出す。少し迂回すればそのまま馬車で平原まで行ける道があったのだが、詩人らしい曖昧な言い回しで「平原を見たいなら先に森を歩け」というようなことを言われ、手前で降ろされたのだ。


「……彼は何と言っていたか。『青の――』

「『青の薄闇を歩いてこその大平原だ』」

「何か呪術的な意味があるのだろうか」

「いや、そのままの意味じゃないか?」


 立ち止まり、吟遊詩人の言葉を野帳やちょうに書きつける。タナエスは横目でそれを覗き込んで「几帳面だね、君も」と肩を竦めた。


「君ほどではない」

「いや、僕は必要な事実だけを最低限書く方が好きなんだ。薬学ならこれでいいが、文化みたいなものを調べる時は、君みたいにした方がいいのかもしれないな」


 ぱら、と広げて見せられた野帳には、私の十分の一程度しか文字が書かれていない。その整理されつくされた無味乾燥な情報の羅列と、おやつに食べた砂糖菓子の感想まで書いてある自分のものとを見比べる。


「……足して割ると丁度いいように見える」

「そのようだ」


 頷き合って、同時に森へ目を移す。梢の厚さか、葉の色のせいか、青く深い影の落ちる場所だった。亜熱帯寄りの温帯に属する土地だ、しかも季節は夏。年中涼しい故郷と違って汗の滲む旅路が続いていたが、ここはまるで別世界のように涼しい。タナエスが見たことのない白い花をじっくり観察して「野薔薇の仲間だろうか、いや……」と呟いた。こんな仕事に駆り出されてはいるが、彼の本来の専門分野は魔法薬学だ。やはり植物の類を見ている時は目の輝きが違う。


「知っている花があったのか」

「いや、図鑑でも見たことがない。……だが、今は先へ進もう」


 名残惜しそうに花へ視線を流すタナエスは、小遣い稼ぎに絵画や彫刻のモデルをしているというのが納得の絵画っぽさだった。顔の話ではない。姿勢の取り方にコツでもあるのか、彼はいつどこから見ても完璧に構図が決まっているのだ。どうやら無意識らしいが、見ていて面白い。


 絵のように美しい同僚の背景になっている森もまた、画家の空想から生まれた光景のように見えた。薄暗く青い木陰、そこに咲く白い花は光を放つようで、けれどよく見れば木々にはいばらのような鋭い棘がある。美しくもどこか不穏なこの森を抜けた先に待っているのは、金色に輝く正体不明の幻なのだそうだ。どうやら十年ほど前からこの辺りの地方で噂になっているらしく、まるで神の国から降るような美しい光の乱舞が見えるらしい。魔法的な要因のある自然現象と思われるが、しかしあくまで噂にとどまる程度にしかその目撃証言はなく――


 その時、タナエスが考え事に夢中になっていた私の肩を叩いた。


「見えてきたぞ」

 顔を上げれば、小道の先に眩しい光が見えた。



 

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