第37話 本当の狙い

 庭園の小道を、裸足のまま全力で駆ける。


(殿下は、アーノルト殿下はどこ?)


 正直に言うと、今は頭の中がぐちゃぐちゃで整理できていない。

 ローズマリー様はずっとアーノルト殿下の婚約者になりたくて、でも洪水を引き起こすほどの魔力の暴走を起こして。

 困ったヘイズ侯爵はローズマリー様を神殿に預け、代わりにリアナ様を殿下の婚約者に推した。


 リアナ様はガイゼル様のことを想っていたのに身分差で許されず、少しでもガイゼル様の近くにいるために殿下との婚約を受け入れようとしたんだ。


(ローズマリー様もリアナ様もひどいよ……! みんな殿下の気持ちなんて何一つ考えてないじゃない!)


 ローズマリー様は、『筆頭聖女になればアーノルト殿下の婚約者になれるのではないか』と期待していたのに叶わなかったことに苛立ち、リアナ様に成りすまして他のご令嬢に嫌がらせをした。リアナ様の評判を落とすために。

 しかしローズマリー様のそんな細々とした計画も上手くはいかず、結局最後は自分がリアナ様に成りすまして殿下を騙し、殿下のファーストキスを奪おうとしている。


 殿下の真面目な性格を知っているから、自分がファーストキスの相手になれれば殿下のお側にずっといられると思ったはず、なのだが。


(何だか最後のところだけ、腑に落ちない)


 確かにアーノルト殿下は、「一度キスをした女性を放っておくことはできない」と言っていた。命尽きるまで傍において大切にしたい、とも。

 しかし、どうしても私の心に拭えない違和感が残っている。


 いくら殿下が真面目な性格だからと言って、十年前の洪水を引き起こした張本人を何の咎めもなく傍に置くとは考えづらい。

 自らの危険を顧みず、被害に遭った村にたった一人で降りて来た殿下が、あの災害の重大さを分かっていないわけがない。


(ローズマリー様が殿下とキスをしたい理由は、きっと他にある)


 息が苦しくなるほど必死に走って庭園の噴水の近くに着いた頃には、私の両足は小枝や石を踏んで血だらけになっていた。

 背中も足も痛いはずなのに、全く痛みを感じない。

 私はキョロキョロと辺りを見回して殿下を探す。


 すると、噴水の反対側から二つの人影が、こちらに向かっているのが見えた。


(あれはアーノルト殿下と……ローズマリー様?)



「殿下! アーノルト殿下、こっちです!」

「ディア!」



 なぜ殿下は呑気に手なんか振っているのだろう。

 殿下の隣にいるのは、仮面を被ったローズマリー様だ。



「キスは? キスはしたんですか?!」



 私は殿下の側に駆け寄って、ローズマリー様をエスコートしているのとは反対側の腕に飛びついた。

 アーノルト殿下は兜を被ったままだ。

 ローズマリー様は無言で私をじっと見ている。


「殿下、聞いて下さい! その方はアリアナ様じゃなくて、ローズマリー様なんです!」


 ローズマリー様から引き離すために、私は殿下の腕を思い切り引っ張った。ローズマリー様は無抵抗で、彼女の手は殿下の腕からするりと離れる。



「ディア」

「殿下! あの方はローズマリー様なんです! 仮面を被っているから気付かなかったのかもしれませんが、リアナ様は別の場所に」

「……分かっていたよ」



 殿下は兜の奥からハッキリと言った。

 怒っているのか笑顔なのか、今の私からはよく見えない。



「彼女がリアナ嬢ではなくローズマリー嬢だと、初めから分かっていた。だから陛下に頼んで、今日の婚約発表も取りやめてもらったよ」

「えっ?」



 驚く私の肩に手を置いて、殿下はローズマリー様の方に振り返った。私と殿下、そして少し距離をおいてローズマリー様が向かい合うようにして立つ。



「あら……分かっていらっしゃったのですね。せっかく私との婚約発表をして、その場でキスをして頂けると思っていましたのに。残念ですわ」



 ローズマリー様は目元に付けた仮面を外した。

 すると、銀色の長い髪がふんわりと風に揺れ、少しずつ黒に戻っていく。



「さすがに騙されないよ。魔力を持つ者からは独特の香りがするからね」

「ふふ、何だか残念です。でもまだ時間はありますものね!」



 ローズマリー様は笑顔で時計台を見上げる。

 十一時五十分。十二時の鐘が鳴るまで、残り十分だ。



「それで殿下。一体どうなさいますの? その胸の呪いは」

「……」

「せっかく運命の相手にファーストキスを捧げれば呪いが解けるようにを付けてあげましたのに。運命の相手が誰なのか考えもせず、恋占いなんかに頼られるものだから……随分とイライラ致しましたわ」

「……おまけを付けた、か。つまり私の呪いは、君がかけたものだな?」


 私の肩に置いた殿下の手に力が入る。

 もう薄々分かっていた。アーノルト殿下に呪いをかけたのは、ローズマリー様だということを。そしてきっと、私の背中にある呪いもローズマリー様がかけたものだろう。


 殿下の呪いを解く方法は三つあると、ローズマリー様は言った。

 一つ目は、殿下が運命の相手にファーストキスを捧げること。

 二つ目は、呪いをかけた張本人を消すこと。

 そして三つ目は、呪詛文字を読み解ける強い魔力を持った者に、殿下がファーストキスを捧げること。


 私がローズマリー様に「殿下の運命の相手は私だった」なんて伝えてしまったから、背中にこんな呪いをかけられてしまったのだろうか。

 だとしたら、私も十二時の鐘と共に死んでしまうのだろうか。


(お母さん……私、もうすぐお母さんのところに行くかもしれない。でも、最後までちゃんと人の役に立って徳を積んでからにするよ。でないと、天国にいるお母さんに会えないから)


 アーノルト殿下の命だけは絶対に助ける。

 どうすればいいのか分からないけれど、残り十分でできるだけのことはしたい。


 背中の傷の痛みがピリッと体中を駆け抜けて、私はその場で倒れ込んだ。



「ディア! 大丈夫か」

「殿下、私に構わず……とりあえず、ローズマリー様とキスを……」

「ディア……背中のこの傷は……?」



 地面に座り込んだ私の背中が、立っているアーノルト殿下に見えてしまったのだろう。先ほどガイゼル様が見つけた私の背中の呪詛文字が、殿下に知られてしまった。


「ディア、まさか君も呪いを……?」

「殿下、早くローズマリー様にキスを」


 私たちに残された選択肢はそれしかない。

 私の背中の呪いの解呪方法なんて、確認している時間はない。日付が変わるまで、残り十分を切っているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る