第36話 呪詛文字とタイムリミット

「……アーノルト殿下と結婚すれば、ずっとガイゼル様の傍にいられると思ったのよ」



 絞り出すように言い、リアナ様はぐっと口を引き締める。



「リアナ様、まさか……リアナ様もガイゼル様のことを?」

「そうよ! 幼い頃から、私が好きだったのはずっとガイゼル様だった……でもお父様は、私と男爵家の次男であるガイゼル様とは身分が釣り合わないからと、気持ちをお伝えすることは許されなかった。だから、いっそローズマリーがアーノルト殿下と婚約すればいいのにって子供の頃は思っていたわ。そうすればお父様も私のことになんて興味がなくなると思ったの」



 気持ちが溢れてしまったのか、リアナ様は早口で話し続ける。リアナ様の言葉を聞きながら、ガイゼル様は傍目からも分かるほどに固まって絶句していた。


 ガイゼル様とリアナ様がお互いに想い合っていた。

 アーノルト殿下の呪いさえなければ、私も手放しで二人の恋を応援していたと思う。しかし今、この状況はとても悪い。


 殿下の呪いを解けるのはローズマリー様とリアナ様だけだ。

 感情のままにガイゼル様への想いを口にするリアナ様は、恐らく今かなり不安定な状態。今の彼女に頼んだところで、殿下とキスをしてくれるとは思えない。


 リアナ様が駄目なら、ローズマリー様に殿下とキスしてくれるように頼むしかない。


(ローズマリー様に、アーノルト殿下とのキスを……)


 私の脳裏に再び、洪水に襲われた時の村の光景が浮かぶ。

 ……嫌だ。大切なアーノルト殿下の命を、ローズマリー様に託すなんて嫌だ。


 背中の痛みを堪え、私はリアナ様に駆け寄った。



「リアナ様、考え直して下さい。リアナ様は殿下のことがお好きなんでしょう?! そうですよね? そう仰って下さい……」



 自分でも酷いことを言っているのは分かっている。

 恋占いくらいしかスキルのない私が目の前の愛し合う二人の応援すらできないなんて、これこそ聖女失格だ。それでも私はまだリアナ様に縋りたかった。



「違うわ。私はずっとガイゼル様が好きだった! 殿下の隣にいる私のことを、ガイゼル様はどう思ってるんだろうっていつも心配でならなかった。クローディア様がガイゼル様と親密になさっているのも嫌だった……」



 言いたいことを言い終えて、リアナ様は泣き崩れた。へなへなと座り込んだ後、頭から聖女のヴェールを取って地面に投げ捨てる。

 ガイゼル様はしゃがみこんで、無言のままヴェールを拾った。


(あぁ――眩暈が止まらない)


 リアナ様は、アーノルト殿下の近くにいる私に嫉妬しているのだと思っていた。

 まさかアーノルト殿下ではなく、ガイゼル様と一緒にいることに対して嫉妬なさっていただなんて。


 くずおれたリアナ様の肩を抱こうとガイゼル様が手を伸ばすが、途中で躊躇して手を引いた。

 リアナ様はそれに気付き、涙でぐちゃぐちゃになった目元を自分の指で拭う。



「ローズマリーは自分の気持ちをコントロールできない子よ。あの子を怒らせたら、またとんでもない悲劇が起こりかねない。だから私もずっとローズマリーの言うことには無条件に従って来たの」

「でも、リアナ様はローズマリー様の気持ちを知りながら、殿下との婚約を受け入れようとなさっていたじゃないですか。少しは殿下のことも想っていらっしゃったのでは?」

「私が殿下の婚約者になろうとしたのは、ローズマリーが王太子妃になんてなったらこの国の危機だと思ったからよ。でも、もうそれも限界。私が殿下と結婚したところで、あの子は絶対に諦めない。あの子の言う通りにするのが一番楽なのよ!」



(だからと言って、じゃあ殿下はどうなるの……?)


 取り乱すリアナ様を前にして、私は自分を落ち着かせるために深く息を吐いた。


 やはり、リアナ様を説得するのは難しい。


 ……いや、落ち着いて考えよう。

 いくら生真面目なアーノルト殿下でも、ローズマリー様が十年前の洪水を引き起こした張本人だと知れば、さすがにキスの責任を取って結婚するなんて言わないはずだ。


(殿下に、全て伝えよう)


 今リアナ様から聞いた話をアーノルト殿下に全て伝えれば、きっと殿下も分かってくれる。

 リアナ様の気持ちが殿下ではなくガイゼル様に向いていたことを知れば、殿下は深く傷つくだろう。相手に想いが届かない辛さは、私もよく分かっている。

 しかし今はとにかく、殿下の呪いを解くことが先決だ。


(早く殿下の元に行こう……今何時かしら)


 私が顔を上げたその時、時計台の鐘が一度だけ鳴った。

 午後十一時半を知らせる鐘だと気付いた私は、ハッと我に返る。



「日が変わるまで、あと三十分しかない! 私、殿下のところに行かなきゃ」



 夜会の行われている広間に向かおうか。それとも、もう既に殿下は待ち合わせ場所の噴水の傍にいるだろうか。

 ドレスをたくし上げ、私は両足のハイヒールを思い切り脱ぎ捨てた。


(こんな靴を履いていたら走れない! とりあえず庭園に行こう……!)



「――ディア! ちょっと待て!」



 走り始めた私を、ガイゼル様が焦った様子で呼び止める。

 前につんのめりながらその場で止まり、私はガイゼル様の方に振り返った。



「えっ、何ですかガイゼル様!」

「ちょっと待ってくれ、その背中……! 何かついてる。見せてくれ」

「ガイゼル様、私早く殿下のところに行かないと。背中に傷があるのは私も分かってますから」



 私の元に駆け寄ったガイゼル様は、今にも走り出しそうな私の腕を乱暴に掴む。

 ガイゼル様の方に私の背中を向けさせて、「失礼」と言いながら私の髪の毛を背中から避けた。



「……やっぱり……ディア、これは呪詛文字じゃないか!」

「え?」



 ガイゼル様は少し身をかがめ、まじまじと私の背中を見る。


(今、呪詛文字と言った?)


 アーノルト殿下を苦しめる元凶である、呪詛文字。

 聞きたくもない不吉な言葉が、ガイゼル様の口から飛び出した気がする。



「ガイゼル様、呪詛文字ってどういうことですか……?」

「小さくて一見分からないが、良く見ればこの黒ずんだ部分に細かくびっしりと文字が書いてある。これはアーノルト殿下の胸にあるのと同じ呪詛文字だ……」



 ――呪詛文字。

 アーノルト殿下の胸にあるのと同じ、呪いの印。

 再び眩暈に襲われた私は、石畳の上を裸足でペタペタと音をさせながらよろけた。



「まさか私も……呪われているってこと?」



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