第27話 あの日の出会い
アーノルト殿下の運命の相手は、私ではなかった。
前回と比べると月の光も弱く、雨粒にも邪魔されて鮮明には見えなかった。しかし、水面に映った赤いドレスは間違いなくリアナ様のものだった。そしてあの、風になびく艶やかな銀髪も。
(殿下の運命の相手、変えることができたんだわ――)
隣でアーノルト殿下が何かを喋っているが、耳に全く入ってこない。冷たい川の水に腰を付けたまま、私は流れていく殿下の上着を目で追った。
そもそも私が殿下の運命の相手だったことの方がおかしかったのだ。
アーノルト殿下はリアナ様が運命の相手であることを元々望んでいたし、リアナ様だって私に嫉妬の目を向けるほど殿下のことを想っていた。
これできっと大丈夫だ。
誕生日までの間、殿下とリアナ様にはゆっくり二人の時間を過ごして頂こう。そうすれば、自然と二人の心は近付くはずだ。もしお互いの心が通じ合うのが間に合わなくても、最終手段としてローズマリー様もいるではないか。
もう私は、殿下と共に王都にいる必要はない。
「……ディア……クローディア!」
「え?」
「早く川から上がって。雨も降って来たし、いつまでも水に浸かっていては風邪を引く」
漸く耳に入ってきた殿下の言葉に、私は慌てて立ち上がる。深緑色のスカートが冷たい水を吸って足に張り付き、今更ながら寒さに震えた。
水の入ったブーツで歩きづらそうにしている私をアーノルト殿下が横抱きにして、そのまま川岸まで上がっていく。
強まる雨に隠れるように、私の両目からはあまりの寒さに涙がこぼれ出ていた。
「ディア、とりあえず雨宿りをしよう。雨の中を馬で走るのは危険だ」
「……はい、占うのに時間がかかって申し訳ありません」
「いや、私もここまで天候が急に変わるとは思っていなかった。読みが甘く申し訳ない」
川岸で私を降ろすと、殿下はランプを持って崖の下のくぼみの方に歩いて行く。昔はこの場所を川が通っていたのだろうか。山肌が削られて洞窟のようになっているのが見えた。
私たちは洞窟に入って靴を脱ぎ、ローズマリー様のランプを挟んで並んで座る。
「大雨にはならなさそうですね。ほあら、向こうの方はもう雲が途切れています」
「ああ。しばらく休めば雨は止みそうだな」
アーノルト殿下は兜を脱ぎ、ランプの横に置いた。素顔の殿下と向かい合うのが恥ずかしくて、私は下を向いて先ほどの涙をこっそりと拭った。
「……こんな日は、洪水のことを思い出します。あの大量の鉄砲水が押し寄せた日も、雨は今日のような小降りでした」
膝を抱えて低い声で呟いた私に、殿下は無言で頷いた。
「そうだったな。実はあの時、私もヘイズ領の洪水を視察に行ったんだ。洪水の数日後だったか……親や家を失った子供たち、食べ物も飲み物もなくて大変だった人たちを目の当たりにしたよ」
「殿下は当時、十歳頃ですよね?」
「ああ。当然私のような子どもには、直接村を回って視察することは許されなかった。それでも、自分が将来治める国がどんな状況になっているのかどうしても見たくてね。陛下に黙って、一人で村に下りたんだ」
(やっぱり殿下は真面目だ。あんな所に来なくても、王族や貴族たちにはいくらでも安全な場所があったはず)
アーノルト殿下のことだ。目の前で多くの人が苦しんでいるのに、自分だけが安全なところにいることが許せなかったのだろう。
自分が呪い殺されてしまうことよりも、ローズマリー様のファーストキスを無下に奪ってしまうことを心配するような、生真面目な人なのだ。
「あの時
ふと頭の中に、十年前に河原で出会った少年の姿が思い浮かぶ。
破落戸に囲まれているのに、必死に泥だらけの子猫を守っていた男の子。あの子もきっと、自分だけ安全な場所にいるのがいたたまれなくて、ああして村に一人で降りて来たのだろう。
水に濡れた寒さでブルっと震えながら殿下の方を見ると、殿下は真っすぐに私の方を見つめていた。ランプの灯りに照らされて、殿下は優しく微笑んでいる。
「それで? カフスボタンを盗まれそうになったんだっけ?」
「……はい、そうです。貴族の子だと分かったのか、破落戸たちがカフスボタンを寄越せと言い始めて……」
「それで君は言ったんだ。無理矢理人から物を奪うのは、泥棒と同じだと。だからボタンをあげては駄目だと」
「…………」
「君はあの日川に落とされて、今のようにずぶ濡れだった。それなのに自分のことなど顧みず、争いがなくなるように神に祈った」
「何故、殿下がそのことを知ってるんですか?」
洞窟の外で大きな雷が鳴った。雷音と同時に、すぐ傍にあったランプの光が一瞬カッと閃く。
「あの時私を助けてくれた少女が、ディアなのではないかとずっと思っていた」
「えっ、あの時の男の子ってまさか……でも、あの子は殿下のような金色の髪ではなかったですし」
「子猫を助けるために濁流に入った後だったからね。泥で汚れていただけじゃないかな」
「……そんな……じゃあ、もしかしてあの時の男の子は、アーノルト殿下だったんですか?」
殿下の顔から笑みがこぼれた。
「そうだよ。私は十年前からずっと、君を探していた」
「まさか、私のことを知っていてわざわざエアーズの街に?」
「いや、それは違う。ディアの占い屋に行ったのは全くの偶然だった。こうしてディアと再会できたことは奇跡だと思っている。だから心のどこかで期待していのかもしれないな」
「期待? 何をですか?」
「私の運命の相手はリアナ・ヘイズ侯爵令嬢ではなく、クローディアなんじゃないかと」
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