第22話 ガイゼルの想い

 殿下は真面目な顔で話を聞いてくれていたが、最後は少し寂しそうに微笑んだ。


「君がそこまで不安なら、私のファーストキスの相手はローズマリー嬢に頼むことにするよ」


(どうしてそうなるの? なぜ今、突然結論を出そうとしているの?)


 頑なに私を故郷に帰そうとするアーノルト殿下の意図が読めず、私は王都に来てから今までの出来事を頭の中でぐるぐると駆け巡らせた。

 ローズマリー様に呪いを解いてもらうことをあれだけ大真面目に拒んでいたにも関わらず、なぜ突然それを撤回するのだろう。そんなことをしてまで、私を故郷に帰したい理由は何なのだろう。


(――まさか)



「……殿下、もしかして私が池に落とされたのを気にして下さっているのですか?」

「そういうわけじゃない」

「いいえ、絶対にそうですよね! 私を突き落としたのが誰なのか、まだ真相は分からない。だから私がまた危ない目に遭うかもしれない。だから王都から離れるようにと考えていらっしゃるのですね?」



 私の質問に、殿下は口を開かなかった。

 何も言わないのが図星であるという証拠だ。


(私が王都を去ったところで、きっと殿下はローズマリー様には頼らない。リアナ様と思いが通じる可能性を最後まで探るはずだわ)



「……では、満月まで待たず、今の時点でもう一度殿下の運命の相手を占わせてください」

「満月の夜でなくても占いはできるのか?」

「もちろんです。満月の夜に比べれば確率は落ちますが、少しでも月に近付ければ……例えば山とか丘とか、高台に登れば少しはマシかと」

「分かった。それなら明日、早速イングリス山に向かおう」

「殿下。満月の夜まで、たった二週間ほどです。それまで私の滞在を伸ばしては駄目なのですか?」

「……早く帰ってほしいんだ……本当に申し訳ない」



 絞り出すように言葉を発した殿下は、私と目を合わせないまま立ち上がる。「これから陛下のところに呼ばれているから」と言って、私にも部屋を出るようにそれとなく促した。



 殿下に別れのご挨拶をして、私は城を出るために回廊を歩いて門に向かった。


――『ファーストキスの相手はローズマリー嬢に頼むことにするよ』


 寂しそうにそう言った殿下の顔が頭から離れない。ローズマリー様にファーストキスを捧げれば、殿下の呪いは解ける。ローズマリー様も妹のリアナ様が殿下の婚約者候補であることは分かっていらっしゃるのだから、何も心配することはない。何もリアナ様への想いを諦めてまで、ローズマリー様を王太子妃に迎える必要なんてないのだ。


 ただローズマリー様を信じて、「キスして欲しい」と頼めば良いだけだ。


 それなのに、殿下のあの全てを諦めたような表情。

 そして、私の心に引っかかるモヤ。


(ローズマリー様にも、さっき私にしたみたいにキスするのかな)


 頬をかすめた細くて柔らかい殿下の髪の感触を思い出して、私は自分の頬に右手を当てる。ローズマリー様とキスをすれば殿下の命は救われるはずなのに、どうして私はこんなに胸が痛いのだろうか。


 アーノルト殿下のファーストキスは私のものではない。それなのに、何だか自分の大切なものをローズマリー様に奪われたような気持ちになり、私はフラフラと回廊の手すりにしがみついた。


 するとその時、回廊の近くで誰かの声がした。


「待ってください、リアナ嬢」

「ガイゼル様」


 ガイゼル様とリアナ様だ。

 私は思わず柱の陰に身を隠す。


「陛下とのお話は終わったのですか? ヘイズ侯爵は?」

「父はまだ国王陛下とお話しておりますわ。このあとアーノルト殿下も交えて、もう一度私の処遇について相談なさるそうです」

「それでは、貴女がアーノルト殿下の婚約者候補のご令嬢たちに嫌がらせをしているという噂は、事実なのですか?」

「……ガイゼル様は、どう思います?」


 冷たい声色ではあるが、どこか恐る恐ると言った様子で、リアナ様はガイゼル様に尋ねる。


「アーノルト殿下だけではなく、俺も幼い頃からリアナ嬢のことは良く知っているつもりです。貴女は他人に嫌がらせをするような方ではないはずです」

「あら、私は聖人君子ではありませんわよ。想いを寄せる方の近くにライバルがいれば、妬む気持ちも生まれます」

「あなたはそこまでして殿下の婚約者になりたいのですか?」

「……なりたい、ですわ」

「どうしても?」

「はい」

「じゃあ他人に嫌がらせなんてするな。いずれにしてもアーノルト殿下は、君を婚約者にするつもりなんだから」


 柱の陰から二人の方を覗くと、ガイゼル様は苦虫を噛み潰したような表情で声を絞り出している。離れたところからでも分かるほどに拳に力が入り、わなわなと震えていた。


 アーノルト殿下だけではなくガイゼル様もまた、リアナ様の幼馴染なのだ。大切な幼馴染が他人に嫌がらせをしていると聞けば、ガイゼル様もお辛いに違いない。


 敬語を使わない最後の言葉は、主人であるアーノルト殿下の婚約者候補としてのリアナ様に対しての言葉ではなさそうだ。リアナ様の幼馴染という立場のガイゼル様から出た本音だろう。


 私の方に背を向けているリアナ様の表情は分からないが、二人の間にはぴんと張りつめた空気が流れていた。



「……ガイゼル様もアーノルト殿下も、私のことを信じて下さっていたのですね。私の心に嫉妬の気持ちがないと言えば嘘になりますが、私は神に誓って他人に嫌がらせなどしておりません。クローディア様に対しても、です」

「やはりそうですか。では何故もっと強く否定しないのです? 国王陛下から貴女への心象が悪くなれば、アーノルト殿下との婚約の話だってどうなることか」

「……あら。ガイゼル様は、私にこのまま殿下の婚約者になって欲しいんですの?」



 リアナ様は数歩進んでガイゼル様の横に立つと、ガイゼル様の顔を見上げた。



「リアナ嬢には……アーノルト殿下の婚約者になってもらわないと困る」



 その言葉を聞いて、リアナ様は何も言わずに立ち去った。

 リアナ様の方を振り返ることもなく立ち尽くすガイゼル様を見て、私は全てを察した。


(そうか、ガイゼル様はリアナ様のことを想っていらっしゃったんだわ)


 主人であるアーノルト殿下と同じ女性に惹かれてしまったガイゼル様。しかも、殿下とリアナ様との恋の成就が、殿下の命にまで関わって来るこの状況で、ガイゼル様がご自分の個人的な恋愛感情を表に出せるわけがない。


 何事もなかったかのようにガイゼル様に声をかける気持ちにもなれず、私はそのまま回り道をして逃げるように城門に向かった。

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