第10話 呪詛のしるし
「それで、次はどうするんだっけ。ガイゼル、そこにある本のしおりの部分を読み上げてくれ」
ガイゼル様は無言で立ち上がり、『恋愛一年生が学ぶ! (以下略)』を手に取った。その間も私は、ホカホカの殿下の腕に包まれたままだ。
「……んああぁっ! 声に出して読みたくない!」
「ガイゼル、いいから早く読んでくれ」
悲痛なうめき声を上げた後、ガイゼル様はそのページを苦悶に満ちた表情で読み上げ始める。
『……まず、抱き締めることで相手が息苦しくならないよう、気道を確保しましょう』
こんな時に、まさかの気道確保指示だ。
アーノルト殿下は私の背中に回した腕を少し緩めて、私に顔を横に向けるように言った。私は言われた通り、殿下の胸の中でガイゼル様の方向に顔を向ける。
すると私の左耳が殿下の胸に当たり、殿下の心臓の音がドクドクと聴こえ始めた。
緊張しているのは私だけではなかった。殿下の心臓の音も、私と同じように早鐘を打っている。
『誰でも背中は無防備なものです。腕を回してできるだけ相手の背中を広く包み、安心感を与えましょう』
殿下の腕に再び力が入り、腰のあたりがひゅっと持ち上がったような緊張感が走る。緊張しすぎて、心なしか背中がぴりりと痛い。
これはマズイ。恋占い師として恋愛に関しては詳しいはずの私も、心臓が張り裂けんばかりに鼓動を打っている。
『お互いの体温を感じるようになったら、頬を相手の頬に近付けてみましょう。触れるか触れないかの距離まで近付けるのがオススメ……』
「私の頬を、ディアの頬に……近付け……」
長身のアーノルト殿下が、少し身をかがめる。
一瞬だけ私たちの視線が交差した。そのまま殿下の頬は私の頬をかすめ、そして唇が私の首に触れる。
「……んんぁぁああっ! 無理!」
お互いの息遣いを間近で感じられる程の至近距離に耐えられず、私は殿下の体を思い切り押して飛びのいた。なぜだか左手で力いっぱい殿下の白シャツを掴んでしまっていて、勢いで殿下の胸元が少しはだけてしまった。
するとそのシャツの隙間から、不気味な黒いアザのような文字が見えた。
「あれ、殿下……その胸のアザはもしかして……」
シャツの端を指で挟み、少しだけめくってみる。
そこには殿下の右の鎖骨下から胸の中央にかけて、吸い込まれるのではないかと錯覚するほど深い漆黒の、呪詛文字が走り書きされていた。
急にシャツをめくられて驚いたのか、赤面した殿下が私から顔を反らしながら言う。
「ディア、これが呪いの印なんだ。初めは爪の先くらいの大きさだったのが、日に日にこうして広がってきている」
「これが……殿下の呪い……。ごめんなさい、私ったら殿下がこんな目に合っているのに、恋愛レッスンだなんて軽々しいことを……」
アーノルト殿下が呪われていることは、出会った当初から知っていた。それなのに実際にこうして痛々しい呪詛文字を目にするまで、どこか他人事のような気がしていた。
(――殿下にとっては、命を脅かす大事件なのに。私の態度はあまりにも軽率だったんじゃないかしら)
落ち込んで下を向く私の頬をアーノルト殿下の大きな手が包み、ゆっくりと上を向かせる。いつの間にか私の目にたまっていた涙の雫が、ポロリと服に落ちた。
「……すまない、ディア。こんなアザを見せて怖がらせてしまったね。でも大丈夫だ。私は自分の呪われた運命を受け入れている。呪いを解くために、リアナ嬢にファーストキスを捧げられるよう努力は惜しまないつもりだ」
(……それもごめんなさい。運命の相手はリアナ様ではなく、私なのに)
「おい、クローディア。王太子殿下のシャツを引きはがすなんて、どんな淫乱家庭教師なんだよ。早く殿下から離れろ」
こんな時に不謹慎だが、このガイゼル様の毒舌に少し気持ちが救われる自分がいる。私は急いで袖で涙を拭くと、ガイゼル様に向かって「ベー!」と舌を出した。
アーノルト殿下の胸にあった呪いのアザは、既に相当広がっているようだ。誕生日まであと一月弱しかない。早くリアナ様と殿下のお二人を、両想いの素敵カップルに育て上げなければいけない。
こんな平民で落ちこぼれの私でさえ、殿下のハグにドキドキして心臓が飛び出そうになったのだ。きっとリアナ様だって、私と同じように殿下にドキドキしてくれるはずだ。
「殿下。そのアザは痛んだりしないのですか?」
「特に今のところ体への影響はないよ。恐らく誕生日の夜に突然ぽっくりとあの世行きタイプの呪いだね」
「だから、殿下の呪いの説明がポップ過ぎるんですよ! その呪いは、誰が診てくれたんですか? 解呪の鍵が運命の相手とのファーストキスだと教えてくれたのは誰なんです?」
「……仮にも王太子が呪われているなんて、国王陛下にも知らせていない機密事項だからね。ディアも秘密は守れる?」
殿下は少し声を落として、私の目をじっと見つめた。
「はい、大丈夫です。どなたにも絶対に話しません!」
「ありがとう。実は、私の呪いを診てくれたのは、聖女ローズマリー。君の知り合いのね」
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