我が遍在するイリヤへ
平沼 辰流
第1話
私が生まれて、今年で900年になるそうだ。
だけど不都合はない。今じゃ生きている人間の方が少ないんだから。
長く生きてると、振り返ることが多くなる。
今になって思えば、葬式というものが不思議でたまらなかった。
死ねばその人は終わり。
なのになぜ、どうせ燃やされる木箱に手を合わせなきゃいけないんだろう?
意味なんてないって分かってるのに、形ばかりの焼香を上げるのもすっごく茶番じみてた。
もちろんお墓参りもダメ。
虫の湧くような石の柱に、水をぶっかけるなんて大いなる徒労ってものじゃない?
そうやってナンセンスなことばっかり、しぶしぶやってた。
だから懐かしんだことなんて、一回もない。嫌なことばっかりだったから。
見つめ直すと、あの日の若い私は、とても無知で厚顔。いつも格好つけて迷惑ばっかり。
楽しいのはそのときだけ。
ちょっと過ぎたらどいつもゴミばっかり。
大人は誰だって、昔のことを思い出したくなんかない。
かろうじて記憶に残っている部分でさえ、そんな感じ。
たとえやり直せても、きっと「よし、今度こそもう一度」なんて気にはならない。
だってのに――
†
「しぃの」
と春先の教室で呼びかけてくるのは、我が親友(と私は思っている)、ナツミ。
机から視線を上げていくと、夕日に照らされて、ナツミのポニーテールがきらきらしてた。
しばらく、ぼけーっと見てた。
彼女のことで、一番うらやましいのが、この長くてきれいな茶髪。私の癖毛とは全然違う。
彼女は特徴がいくつもあって、つくづくイラストにしやすい人だった。
まんまるの目と褐色の肌。しゃべるときは、まるでマンガの主人公みたいにハキハキと口が動く。
部活を引退しても、そこのところはまったく変わってなかった。
「こら、しぃの!」
彼女の疲れぎみな顔と、おっきな声で、私も思い出した。
ああ、そうだっけ。忘れてた。
今日はテスト明けの一休み。くたくたの頭を冷やそうって、一緒に駅前でだべる約束をしてたんだった。
「ん、あ。ナツミ。借りてた教科書ガイド……」
そう言ってから、自分の声に、少し違和感をおぼえた。
私、こんなに高い声をしていたっけ。
「寝ぼけてるなこいつ」
ナツミは私のひたいを思いっきり小突いて、
「覚えてないの? 今日のこと」
「……ん。大丈夫、ちゃんと覚えてる。その、忘れちゃう前に返そうと思って」
「しぃのってさ、よくトぶよね。話題とか」
「そうかな」
全然、思わなかった。
でも確かによく尋ね返される。『何のこと?』って。
言われてみれば、おかしいのかも。
「うん。そろそろ気付かないとヤバいってそれ」
そう語る、ナツミの呆れ顔が面白くて、私まで笑えてきた。
「なに笑ってんのさ」
ナツミが腰に手を当てる。怒ったフリだ。
「うん、ごめん。なふみはスジが通ってるからうらやましいんだ、私って」
「ん?」
「あ、間違えたごめん。ナツミ」
ナツ、の部分で舌がもつれてしまった。なふみ。やっぱり寝ぼけてる。
お気に入りのカフェでは、ふたり窓際のカウンター席に座ってラテを楽しむ。
だんだんと寒くなってきたころで、客はみんな厚着だった。そういえば暖房も前より効いてない。
「寒いね」
とナツミがつぶやいた。私もうなずく。
じきに店員さんがカチカチとボールペンを鳴らしてやって来た。
頼んだのは、ナツミはオレで、私は抹茶。甘党なのは二人とも。
窓に映る私たちは、とっても凸凹コンビだ。
黒いぼさぼさロングヘアの私と、さらりと流れるポニーテールのナツミ。
ナツミがマンガなら、私は素人の油絵かな。
めちゃくちゃな解像度の違いに、苦笑しそうになる。
顔の造作ひとつ取っても、私だけぼんやりしてて、安っぽくて。
……大嫌い。
店員さんがトレーを運んできた。上にはまったく同じデザインのカップがふたつ。
レシートは、一枚っきり。
今日の代金は私もちだ。
「いいの?」とナツミが言う。
「いいの」と私。
バイトでしこたま稼ぐのは、このためなんだから。
一服したあと、ナツミはテーブルにひじを乗せた。愚痴か打ち明け話を始めるポーズ。
気まずいくらいに彼女の膝がぴったり触れてきて、慌てて抹茶ラテをすすった。
ナツミは無自覚みたいだけど、彼女はモデルさんみたいに脚が長い。
たまにふざけて彼女の腰に手を回すとびっくりするくらい細くて、でも頼りないわけじゃなく、いつもしっかりトレーニングしてるから、努力の細さなんだって思ってた。たしかに私もやせているけれど、こっちは不摂生の細さだ。
そのすらっと伸びた脚が、言葉に合わせてぷらぷら動いてた。
「でさ、ちーちゃんっているじゃん。あの人、最近返信するの遅くない?」
「そ、そう?」
「ん。ホントはお互いにうわっつらの付き合いに疲れてるわけでさ。なんていうか、不毛じゃん?」
「どう……かな」
飲んでるとき、私はずっと相槌係だ。
「うん、嫌ならパッと一言いう。それでいいと思うんだ」
まったく、ナツミはルールがはっきりしてる。
曖昧な私は、そんな白黒はっきりしたパトカーみたいな彼女が苦手だ。
だけど友達の私は、そんな彼女が大好き。
カフェにいると二人の私がお互いを踏んづけ合って、そのたび嫌な気分とうれしい気持ちがぐるぐる入れ替わり立ち代わって、ほんのりぜいたくな感じがする。
だから、カップで溶け合う私たちの抹茶オレとモカコーヒーを、よく似ているなと思いながら見つめてた。
「ナツミはカッコいいよね」
ふと、つぶやく。
少し沈黙があった。
「えっ」
と、ナツミの声。
私もはっとした。
大事な『友達』に何を言ってるのだろう。
ナツミは案の定ポカンと口を開けたまんま。ぜんぜんカッコよくない間抜け面。
「その、いや、違ってて」
私もたぶん、同じくらいバカ面さらしてた。
「その、ね。ナツミはキャリアとかなんて言うのかな……男の人はちょっとイヤがるかもだけど、うん……」
私がべらべらしゃべるうちに、ナツミはちょっと困った顔になっていった。
前に『ナツミは面白いよね』と言われたことを思い出す。きっと同じことを考えてるんだ。
「好み、なのかな。みんな」
私も諦めてしまった。
そういう好きじゃないのに、出るのは安い言葉。憧れているのは「私」なのに、主語は「みんな」。
「なるほど」
と、ナツミは少し経ってから、重々しく、さも理解したみたいにうなずいた。
「さしものコマキさんも、五年付き合ってきた親友にその
「だ、違うってば!」
「きゃーたすけてーおそわれるー」
きゃあきゃあ言う私たちに、さっきの店員さんが苦情を入れたそうな顔をしていた。
すみません、悪気はないんです。ただ、楽しいだけで。
そんな、すれ違いだらけの楽しい青春。
呆れることもあったけど、嬉しかった。
明日も、きっとナツミと私は馬鹿をやるんだろうなって思ってた。
いつまでも続く今日の繰り返し
終わらない楽しい日々。
まったく、嫌なお話――。
嫌な話が終わると、決まって最悪な現実が待っている。
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