知られてはいけない

ポンタ

第1話 知られてはいけない

女性の格好をするのが好きだ。好きすぎる。

いわゆる“女装”と言うやつだ。

「・・・。」

 鏡の前の自分は花柄の白のワンピースを着ている。

 素敵だ。

腕も足も脱毛している。鏡に写る綺麗な自分を見るのが堪らなく快感。

「お父さ~ん。お風呂入らないの~?」

一階から妻が呼び掛けてくる。

「入る~、お先にどうぞ~。」

もちろん家族は自分の趣味は知らない。妻も、高校生になる娘にも。

この事は決して知られてはいけない。


「加賀屋くん、来週一週間福島に行ってくれないかな。」

「え、来週ですか?」

「都合悪い?」

「いえ、そんなことはありませんが。」

「新店舗の立ち上げなんだ。始めは経験者がいた方が向こうも心強いだろう。向こうも是非加賀屋くんに来て欲しいって言ってるしな。」

部長から突然の出張命令。

会社で化粧品の店舗を地方でも作る計画が立ち、今回がその第二弾。元々生活用品を中心に販売していた会社だが、最近は化粧品に的を絞って事業を展開していく事になっているらしい。会社として地方活性も狙ってアピールしていきたいのだろうか。

まあ、理由はなんにせよ来週から福島に行く。

「加賀屋さん、出張ですか?」

女性社員の笹本千夏がチョコチョコと笑顔で寄ってきた。

「ああ。」

「いいな~、私も行きたいな~。」

甘ったるい声を出してくる。

「遊びじゃないから。」

「私も一緒に行っていいですか?」

「ダメに決まってるでしょ、自分の仕事があるでしょ。」

「有給使うんでプライベートです。」

完全に“好き”をアピールしてくる。

「ダメ。相手なんか出来ないよ。」

「えー。」

笹本は眉間にシワをよせ、少し怒った様な表情をする。

20代中盤で美人でスタイルが良い。胸が大きく、引っ込む所はしっかり引っ込んでいる。こんな女が寄って来たらほとんどの男は引っ掛かってしまうだろう。

「ほら、仕事に戻って。」

後ろ髪を惹かれる思いで彼女の誘惑を絶ちきった。

「・・・。」

自分で言うのもなんだが47歳にしてはまだまだ女性にモテる方だと思う。仕事もそれなりこなしているし、体も週3でジムに行っているので締まっている。 しかし、誘いに乗る訳にはいかない。

今も女性用の下着を身につけているのだ。

何か間違いが起こりそうになった時取り返しがつかない。


「出張?」

「ああ、福島に一週間。」

「そう。」

妻は特別驚く事もなく答えた。

「お土産宜しくね。」

娘の京子が口を挟む。

「仕事なんだけど。」

「お土産くらい買う時間あるじゃん。ねぇお母さん。」

京子は素早くスマホをいじりだす。

「ちょっとご飯中なんだけど。いじるのやめなさい。」

「は~い。」

妻の言葉に京子はスマホの画面を裏返しにする。

「なんの出張なの?」

「化粧品の店舗をオープンするからそれの手伝い。」

「え!じゃあ私は化粧品がいい!ねぇお母さん!」

京子は目を丸くして母に同意を求める。

「そうね、私もそれでいい。」

妻の声も嬉しそうだ。

「あの、毎回言ってるけど出張は仕事ね。観光で行くわけじゃないぞ。」

「けち臭い。そんなのちょっとじゃん。ねぇお母さん。」

「そうね。」

「でしょでしょ。」

「・・・。」

妻と娘が同調し始めた。そこからはあれが欲しい、これが欲しい、あれは良い、これは使いづらい、で盛り上がっていた。


自室のクローゼットの鍵を開ける。

そこには女性物の服や化粧品が綺麗に納められてある。

「・・・。」

改めて思う。

いつまで家族に秘密にしていなければいけないのだろうか。

もし、伝えたら一体どんなリアクションをするのだろうか?

こんなことをずっと頭の中でシミュレーションしてきた。

けれどどんなパターンを想像しても妻と娘はドン引きしていた。

今の生活を壊してはいけない、自分が黙っていればそれで済む話なのだ。

「・・・。」

しかし心のどこかで分かって欲しい所もある。家族に隠し事しているのはやはり気が引ける。

 おもむろに服を手に取り着替え始める。

下は白いチュールのスカート、上はラベンダー色のカットソー。今回のテーマは清楚系だ。

 化粧もきちんとする。清楚系なのであまり濃くならず、極力ナチュラルメイクで攻めていく。少し大人っぽく行きたいのでブラウンのアイシャドウとアイラインを入れる。

さっき妻と娘が化粧品の話で盛り上がっていたが、内心は一緒になって話したかった。

鏡の前に出来上がった姿を映し出す。

「・・・。」

可愛いし綺麗だ。

時計を見る。23時を指している。

「外、出てみようかな・・・。」

 ボロッと願望を口にする。

 ダメだダメだ。もし誰かに見つかりでもしたらすべてが終わりだ。

 でも、外に出たい。見て欲しい。

もちろん、妻を愛しているし、娘も宝物のように思っている。けれどそれとこれとは別なのだ。

ただ、せめて家族だけにはありのままの自分を受け入れて欲しい。

 その願望だけは取り去る事はできない。


 「あのさ、笹本君は彼氏はいるの?」

「え~、突然どうしたんですか?」

目をキラキラさせながら笹本が高音の声を出す。会社で昼飯の時に笹本が近づいてきたので、一緒に外に出かけた。

「いる?」

「いませんよ。加賀谷さんなってくれるんですか?」

 何かを期待するように上目遣いになっている。

「いや、ならないけど、あの、もし自分の彼氏がさ・・・。」

「・・・彼氏が?」

「いや、なんでもない。」

「え~、なんですかそれ。言いかけは良くないですよ。」

「じゃあ・・・女装の趣味があったらどうする。」

「え?」

 怪訝な表情になる。

「もしね、もしもの話。彼氏に女装の趣味があったらどうする?」

「・・・えっと、たぶんやめさせるか、無理なら別れると思います。」

「別れる?」

「はい。」

 少し意外な答えが返って来た。

「どうして?」

「どうしてって、私はたぶん無理ですね。受け入れられないと思います。」

 本当は『いいんじゃないですか』的な答えと期待していた。

「でも、なんか時代的にそう言った人たちも許容されてきている時代でしょ。笹本君くらいの年代はそういうのあまり偏見はないかと思ってた。」

「友達だったら構いませんけど、彼氏ってなるとダメですね。理解は出来ても受け入れる事は出来ないと思います。」

「でも趣味だよ。」

「だから理解は出来ますよ。でも彼氏がって想像すると気持ちの面で少し引いてる自分がいるんです。そう感じるならアウトかなって。」

「あっそう・・・。」

 手厳しい答え。あれだけテレビで「多様性」や「ジェンダーレス」が話題になっているのに、いざ自分の彼氏になると話は別なのか。

「いきなりどうしたんですか?」

「いや、あの、新しい店舗開くだろ、女装に限らずとも今の時代男性を意識したコーナーもあった方が良いのかと思って。」

「あ~、いいんじゃないですか。美容男子も増えてるし。」

「だよね。ありがとう、ちょっと聞いてみただけだから。」

 苦しい言い訳だったが笹本君はそれ以上突っ込んでは来なかった。


話すべきか話さざるべきか。それが問題だ。

「・・・。」

 自室の机の上にクローゼットのカギを置き自問自答する。

 このまま隠し通して生活する事は良い事なのだろうか?

 黙っているのは家族を裏切っている事にならないだろうか?

 それとも逆にこんな趣味を持っている事自体が裏切り行為なのか。

どちらが正しい選択なのだろうか。

机の上の鍵を強く握る。


朝食を済ませ、出かける前のコーヒーを飲む。

娘は学校に行き、妻は洗い物をしている。

自分のポケットには引き出しの鍵が入っている。

見せる必要なんてない、時とタイミングを見て面と向かって話せば良いじゃないか、わざわざ自分がいないときに見せようとしなくてもいい。

「・・・。」

けど、見せよう、打ち明けよう、なんて今まで何回もあった。だけどその度に止めてきた。

怖いのだ。

面と向かって否定されるのが。

「あなた、そろそろ時間じゃないの?」

妻が何気ない顔で聞いてくる。

「ああ、そうだな。」

その言葉に促され、荷物を持ち玄関に向かう。妻が玄関まで見送りに来てくれる。

「気を付けてね。」

「ああ。」

言うなら今しかない。

「・・・。」

「何?」

こちらの沈黙に疑問を感じたのか、妻が聞いてくる。

「いや、あのな・・・。」

「お土産だったら気にしなくていいわよ。あの子も冗談で言ってるだけだと思うから。」

「いや、そうじゃなくて。」

「・・・。」

ポケットから鍵を取り出す。

「あのさ、これ。」

「何これ。」

「俺の部屋のクローゼットの鍵。」

「・・・。」

「ずっと黙ってた事があって、本当は見て欲しくないけど、黙ってる訳にはいかないと思って、でも、どうするかは任せる。」

鍵を手渡す。

妻は黙って受けとる。

―――――ああ、終わった。

多少の期待は持っていたが、手渡した瞬間にそう感じた。

けれどあとに引くことは出来ない。こんな渡され方をしたら人は確実に開けるだろう。

「行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

静かにドアを閉める。


新店舗の準備は着々と進んだ。

多少の商品配置などの修正はあったが、特に大きなトラブルもなくオープンに向かった。

一日目、二日目、三日目、自宅から何の連絡はなかった。

「・・・。」

見ただろうか?

どう思っただろうか?

引いただろうか?

娘は?

変態だと思っただろうか?

離婚だろうか?

やはり失敗だったか?

黙ってた方が正解だったか?

この三日間はこの事ばかりが頭の中をぐるぐる回っている。

「加賀谷さん、これ、見てもらっていいですか?」

お店の入り口で立っている三津谷さんに呼ばれる。

 彼女は実際に店舗を運営していく主任だ。

「こんな感じですか?」

そこには壁一面に新商品の化粧水が何列にも並べられており、煌々と明かりに照らされている。その直ぐ横の壁には有名な女優の顔のアップの写真が貼られている。

「いいじゃない、迫力あるね。」

「ありがとうございます。ちなみに、私もこの化粧水使ってるんですけど、かなり良いですよ。」

「そうなの?」

「はい。試供品ありますよ。持って帰られますか?」

「あ、じゃあ後で貰おうかな。」

真っ先に娘の顔が浮かんだ。持って帰ってあげたら喜ぶだろうか。

「きっと家族の方も喜ぶと思いますよ。」

「そうかな。」

「私だったら嬉しいですけどね。」

「・・・そうか。」

確かに喜ぶかもしれないが今頃家はパニックに陥ってるかもしれない。

正直帰りたくない。

「あと、あの男性コーナーも新しい試みで良いと思いました。」

 三津谷さんが入口近くの一角を指差す。そこは私が急遽提案したコーナーだ。無理を言って作ってもらった。

笹本君との会話で言い訳のように口にしてしまったが、実際に自分のような人間もいるわけだし、以前からそういうコーナーがあってもいいと感じていた。

「実際に買う人は少ないかもしれないけど。でも時代的に取り入れた方がいいと思って。」

「男だから化粧しないっていうのもなんか古臭い感じもしますし、綺麗なものはみんな好きですからね。綺麗でいようと思うのは普通な気がします。」

「・・・。」

 彼女の言葉になんだか少しホッとした。

 笹本君のような女性もいれば三津谷さんのような女性もいるのだ。みんながみんな否定的ではないのだ。

「でも売れなかったらごめんね。」

「その時は連絡します。来てもらって実演販売してくださいね。」

「結構責任重いね~。」

 二人はクスクスと笑う。少しだけ気が楽になった、気がした。

「よし、じゃあ今日はあと一息だから頑張ろう。」

「はい。」

そして残りの仕事に戻った。


最終日。

結局自宅から連絡はなかった。

「お疲れ様でした。ありがとうございます。」

新幹線乗り場まで来てくれたスタッフに見送られながら新幹線に乗り込む。

店は無事にオープンし、大きなトラブルなく初日を迎えた。結果自分がいなくても何の問題もなかったが、それが一番良いことだ。

上着を掛け、座席に座る。

「・・・。」

メールの1つでも打つべきだろうか。『今日、帰ります。』だけでも構わないだろう。

スマホを取り出し、文字を打ち込む。

『無事に終わりました。今日帰ります。お土産も・・・』

ここまで打ち込み、直ぐに消去する。

何も触れずにメールするか、それともクローゼットの事に触れるか、またしても自問自答を繰り返す。

この一週間ずっとこの事でグルグルグルグル回っている。


なぜ、こんな趣味嗜好になってしまったのか。

 綺麗なものが好きだった。それだけだった。

自分だってなりたくてなったわけではない。

誰にでもある趣味のひとつだ。

それが単純に女装になってしまっているだけだ。


メールの着信音が鳴る。

差出人を見ると『妻』の表示。

「・・・。」

心臓が握られたような感覚になり、内容を表示させるのをためらった。開けたら絶対によくないことが書かれている、そんな気がした。

「・・・。」

けれど開かないわけにはいかない。震える指でメールを開く。

『秘密、知ってました。』

たった数文字の言葉にギョッとする。

知ってたのは女装の事だろう。それしかない。

いつからだ?どのタイミングで?何故見れた?鍵は?そんな隙があったか?じゃあなぜその時に何も言わない?

一瞬のうちに頭の中でたくさんの疑問が湧く。

これに何て返信すればいいのだろうか。

「・・・。」

しかしどんな言葉を使ったところで現実が変わるわけではない。それじゃあどんな返信をしても変わらない。素直に話すしかない。

『黙っててごめん。帰ったらちゃんと話します。』

戸惑いながらも慎重に送信ボタンを押す。

頭を座席に持たせ掛けて目をつむる。

これからどうなるのだろうか?やはり離婚だろうか。

「まったく・・・。」

言葉がこぼれる。まったく厄介な趣味を持ってしまった。自分の趣味を否定するつもりはないが、世間はまだまだ偏見で溢れている。

料理が趣味、野球が趣味、カメラが趣味、踊るのが趣味、登山が趣味・・・。

犯罪でもない自分の趣味と何が違うんだろうか。


けれど・・・考えた所で意味がない。


結果はどうあれとにかくきちんと話さなくちゃ進まない。


『まもなく東京。』

車内アナウンスが流れる。

「行きますか・・・。」

お土産の新しい化粧水も持って身支度を整える。

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