冷たいお兄さん
梅緒連寸
⬜︎
僕が生まれる前に戦争は終わったという。なのに、この街はまだ「焼け残り」と呼ばれている。
焼けた後の景色しか見たことがないから、昔はこの街にも学校があったのだと言われても、
いまひとつよく分からない。
学校が燃えなければ、僕も今頃そこに通っていたのだろうか。
学校に通っていれば、僕も今とは違うなにかになっていたのだろうか。
「あってもなくても関係ねえよ」
僕が憧れるお兄さんはそう言った。正しくは、言っていたのを聞いた。
ボス。スラムに住んでいる人たちはみんなお兄さんの事をそう呼ぶ。
僕の家は正確に言うとスラムの中にではなくスラムのすぐ傍にあるのだけれど、それでも仲間に入れてもらいたくて、真似して同じ呼び方をした日、僕は横っ面を思い切りお兄さんに張り飛ばされた。
後からお兄さんの仲間の人が言うには、照れ隠しだったのだと言う。
いいや、ボスはシャバのガキと馴れ合いたくなかっただけだよ。そう言う仲間の人もいた。
どっちにしてもやりすぎよねえ、子供の顔を殴るなんて。僕の顔を拭きながらそう宥めてくれる女の人もいた。
僕の家が、あと数十メートル西側にあったら。
僕の家が、オイルと虫の羽が浮かぶ川の向こう側にあったら。
そうしたら僕は彼らの仲間になる事が出来たのだろうか。
彼らのような大人になる事が出来たのだろうか。
今は皆がいない。皆が殺された。
戦争が終わっても、殺したり殺されたりする人は世界中に沢山いるのだそうだ。
だからお兄さんたちは仲間を作り、お金を稼ぎ、武器を作り、時々は殺したりもして、そうやって殺されないようにやってきたのだという。
僕がお兄さんに張り飛ばされてから2年ほど経った。今でもボスと呼ぶことは許されていないけれど、時々本を持っていくと、機嫌がいい日なんかには難しい箇所を解説してくれることもあった。
お兄さんはとても頭が良かった。
僕はこの界隈で使われている言語のうち最もポピュラーな種類を使うのでやっとだったが、
お兄さんはどんな外国語の本でもすらすら読みこなしていたし、どこの国の人だか分からないような人と聞き取ることも出来ないような言葉で会話している所をしょっちゅう見かけた。
「学校があってもなくても関係ない」とは、そういう意味なのだろうか。
お兄さんくらい頭がよければ、教えてくれる人と教えてもらえる場所が無くても、関係がないのだろうか。
とにかく、皆は殺された。
死体は穴に集められて、焼かれた。
お兄さんの周りに居る仲間の人たちは入れ替わりが激しかった。
しょっちゅう新しい顔が入り、その顔もいつしか馴染んで昔からの友達みたいになり、気がつけばその顔も見かけなくなる。
お兄さんがいつも深く腰掛けているソファーのある部屋は、壁がナイフの傷だらけだった。
仲間の人たちがいなくなればなるほど、壁の傷もどんどん増えていった。
僕が張り飛ばされてから、4年もした頃だった。
いつものようにお兄さんや仲間の人たちがたむろする部屋に入り込んだ。
いつも賑やかで煙草の煙と果実が腐った臭いがする建物は、その日不気味なくらいに静まりかえっていた。
どの部屋にも人影が見当たらなかった。最奥の部屋、ナイフの傷の部屋で煙草を吸っているお兄さん以外は誰も。
「みんなはどこに」
「待ち伏せされた」
「え?」
「あんなに短い街道で。行者も使うような道で仕掛けてきやがった」
「・・・」
「じゃあな」
お兄さんは片手に鞄を下げて僕に背を向けた。
なんにも出来ない僕だけど、鞄のなかにぎっしり爆薬が詰められている事くらいは、匂いでわかる。
「どうしていつも仲間はずれにするんだ」
思わず肩を掴んでしまった。殴られる、と思って目を閉じたけど、予想していた衝撃も痛みも来ない。
恐る恐る目を開けると、煙草を咥えたままのお兄さんは、いつもどおりに笑顔なんて浮かべず、だけど静かな表情で僕の顔を見ていた。
「おまえなんか仲間にしねえ」
「僕はずっとなりたかったんだぞ。どうして出て行くんだ」
「仲間が死んだ俺が、ここに居る理由がないからだよ」
「それで?」
「俺はこの場所と、今から行く場所にしか行けなかった」
短くなった煙草を足元に吐き捨てる。嗅ぎ慣れた煙が鼻腔を焼いた。
「おまえはどこにでも行けるよ」
夕日が沈みきる前の赤黒い空のむこうに、ひとすじ黒い煙が昇るのが見える。
4年ぶりに張り飛ばされた片頬はまだ熱く、堪えようとしていた涙はやっぱり抑えられなかった。
冷たいお兄さん 梅緒連寸 @violence_
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