序章 芽吹きの鳳花
一頁『催花雨』
__20XX年、六月某日。
「あーあー! マイクテスッマイクテスッ! 聞こえてますかぁ〜?!」
__夕刻、五時過ぎ。
《貴様! 通信機でふざけるな! ……チッ、所属と名を述べよ》
__花紅柳緑の地 "
「え〜〜〜っと、……なんでしたっけぇ?」
「
「ますッ!」
__
「住人の報告通り、松和の森付近に"幻影"が大量発生中。我々鵤木隊で対応しましたが鵤木隊長が幻影の瘴気を食らい意識混濁状態、それに幻影もまだ数体残っています。至急、応援を要請します」
《ふんっ、たかだか幻影数体を貴様ら偵察部隊で対処できないとは軟弱な。要求通り其方に攻撃部隊を送ってやる。それまでせいぜいくたばらぬように》
鬱蒼とした森の中。草木が生い茂る足場の悪い中を二人の少女が駆け抜けていく。一人は人数分の荷物を抱えており、一人は青黒い蔦のようなものに絡まった人間を背負いながらただひたすら出口に向かって走った。
応援要請を終え通信機を切った途端、大荷物を抱える薄花色の長い髪を靡かせた少女__"
「あ〜〜〜もう! ほんッッッと! あの人態度悪すぎません?! 私達偵察部隊に何求めてるんですか?! こちとら偵察部隊なんだから攻撃特化してるわけないじゃないですかぁ! ねぇ先輩!!?」
「それでも僕達は赭斬花の一員。攻撃特化じゃない偵察部隊だとしてもやらなきゃいけない時がある」
対して負傷した人間を背負う紅いメッシュの入った黒髪を結い上げた少女__"
「兎に角、今は一刻も早く隊長を診療所に連れて行かなきゃいけない。このままだと幾分もしないうちに隊長は幻影に完全に侵蝕されてしまう……」
「そんなの嫌ですよぉ〜! 死なないでくださいね!? 鵤木隊長ぉ〜〜〜!!!」
出口はもう目前。そこを抜ければ一先ず安全__の、筈だった。
「……ッ?! せ、先輩!!!」
足元を通り過ぎる青黒い影。その影は瞬く間に溶け上がり、彼女達を取り囲んだ。
「どどどどどうしましょ先輩ッ!!? 私達このままだと全滅しちゃいますよ??!!」
「落ち着いて、ここは僕がなんとかする。海兎、隊長の事よろしく」
「は、はひぃ〜!!!」
背負っていた人物を預け、影の壁に向き合う。そしてひとつ息を吐き一歩踏み出す__。
「瞳に映るは我が敵」
杏沙の手元に紅く輝く気流が集結し始める。
「破滅へと誘う者」
その気流は彼女の手の動きに従うように形を成し、一本の刀へと変形した。
「炎よ 猛然たる真紅の術と成り
我が言霊に応え 顕現せよ」
言霊に乗せ彼女の足元から全身を取り巻くように真紅の炎が舞い上がる。炎はそのまま彼女の握る刀の刀身へと流れてゆき、刃は徐々に真紅に輝き始めていった。
彼女はジッと影の壁を見据えると炎を纏った刀を構え__
「撃術『
__大きく振り下ろした。
刀身に宿った炎は刀を振り下ろしたと同時に数多の真紅の蝶へと変貌し、周りを取り囲む影の壁を一気に燃やし尽くした。
「す、凄い……!」
「はぁ……はぁ……、……もう……時間がない、急ぐよっ」
「は、はい!」
もう追ってくるものは何もいない。そう思い、杏沙が踵を返したその時__
「ぅきゃぁああ??!!」
「……ッ! 海兎! 隊長!」
先程の影が残っていたのか、はたまた気付かぬ間にもう一体幻影がいたのか。突如頭上から現れた影の触手に杏沙を除く二人が捕まってしまったのである。
「せ、せんぱ……、く、くる…しぃ……」
「くっ……」
海兎達を拘束している影を斬り落とそうと刀を振りかぶったが、斬った感触がなかった。それもその筈、杏沙が斬るよりも先に影の触手が頭上に引っ込んだからだ。
頭上に広がる影の中へ二人は成す術もなく取り込まれしまい、その影は機敏に木々を伝って森の奥へと消えていってしまった。
すぐにその影を追おうとしたが先程の逃走や攻撃で体力があまり残っておらず、その場に崩れ落ち影も見失ってしまった。
「…………ッ、……諦めてたまるかッ」
妖奇・備忘録
序章 芽吹きの鳳花
一頁『催花雨』
__同時刻。
「おーい、そこのキュートな水餅ぃ」
__麓代地区 田畑の畦道。
「そこの胡瓜一本……いや、二……んー、五本ちょーだい」
「ユー……持ち金あんまないんだからそこは最高でも三本にしとけよ……」
畦道の端に聳える質素な無人販売所。その前には気怠げな青年とその青年の肩に乗っている謎のゼリー状の生物が佇んでいた。
青年の見た目は雨が降ってないのにも関わらず雨具を羽織っており、重傷を負っているのか全身に包帯を巻き、右目にも眼帯をつけている。包帯の巻き方が雑なのか頭部の包帯の隙間から焦茶色の髪が所々はねていた。
そして青年の肩に乗っている生物__水餅はその名の通り水餅のような質感の生物であり、頭上には猫耳のような突起がある珍妙な姿をしている。その薄紫色の半透明の中央に赤い点が二つと小さな口が付いており、更には花のような紫色の飾りが耳元(?)に飾られていた。
「ヤダ、胡瓜いっぱい食いたい」
「ガキかッ」
「飢餓ってんだよ」
「嘘つけぇ! ユーさっき夕飯食っただろ! 卵かけ定食ぅ!!!」
「胡瓜は別腹なの!」
「デザート女子かッ!」
一人と一匹がコントをかましていると、無人販売所にポツンと居座っていた薄赤色の水餅が胡瓜が三本入った袋を咥え差し出してきた。
「ほぉら! こいつも三本にしとけって言ってるぞぉ〜!」
「水餅はお前以外喋らんしょ?」
「お黙り小黙り鈴ヶ森!」
青年は三本分の料金を払い、胡瓜を受け取るとすぐ一本取り出し、それをボリボリと食べながらまた畦道を進んでいった。
「ユー、胡瓜ばっか食ってたらそのうち瓜臭くなるぞぉ〜」
「俺の初キスは胡瓜の味ってか?」
「かわいそすぎんだろ相手……。いや、そもそもユーと接吻する子なんて爾後存在するかどーかぁ〜!」
「なぁんだとぉ? 今に見てろっ、俺は今を煌めく"多分"十七の華の青少年。これから先KISSのひとつやふたつ、ちょちょいっとやっちまうってぇの!」
「地面と接吻してろ胡瓜星人」
「草ぁ」
和気藹々と会話を弾ませる青年と水餅。そんな彼等の足元を何かが通り過ぎていった。
「……?」
確かに何かが通り過ぎた。しかし辺りを見渡しても何もいなかったのである。青年は少し足を止めたがまぁいいかと気に留めず、再び畦道を進んで行った__が。
「む"ッッッ」
「ギャッ」
突如、田畑の影から巨大な青黒い靄が出現したのである。
あまりの唐突さに食べていた胡瓜を詰まらせる青年とその反動で地面に叩き落とされる水餅。見事な連鎖だ。
「ゲホッゲホッ ウォェェ……ッ、ビビったぁあ! なにぃ?」
「ウォォ……、土の味ぃ……」
「フラグ回収乙」
「ペッペッ、てか今こんな呑気に話してる場合じゃないだろぉ!? "幻影"だ! 早く逃げんぞぉ!!!」
その言葉に従い、青年は急いで水餅を抱え畦道の先へと向かって全力で走り出した。
「しくったぁ! あんなとこで油売ってないでささっと村に向かっときゃよかったぁ〜!!!」
「この時間帯出やすいんだっけ? 幻影。モグモグッ」
「ちょッユー?! こんな緊急事態に何胡瓜食ってんだよぉ!?」
「胡瓜 イズ マイ ライフ!」
「意味がわからんぞぉ〜!!!」
畦道を抜け、比較的整備された道に出た。しかしそれで何が変わるわけでもなく青年はそのまま道なりに沿って走り続けた。
「流石にこれ対処しないとまずいのでは?」
「それもそうだな! よし! ここはミーに任せろり! 超特大の必殺技出してやらぁ!!!」
水餅は簡単に作戦を青年に言い渡した。青年はそれを聞き入れ、胡瓜の最後の一欠片を口に放り込むと水餅を掴み、幻影向けて投擲した。
「おらぁぁあああああああッ!!!」
「うぉぉおおおお!!! 食いやがれ! 必殺!『超絶ハイパースーパースペシャルミラクルバイオレンスアタァァアアアアアアアック』!!!!!」
水餅は白い光を放ち幻影へと突進した。見事に水餅は幻影の中心部へ激突したと思いきやその勢いのまま幻影を貫いていったのだ。
「うぉおお?! 勢い余りすぎて貫通しちまったぜぇえええ!!!」
「意味わからん必殺技なのに意味わからんくらい火力あるのほんと草ぁ」
水餅の攻撃により幻影の動きはピタリと止まった。
「ユー! 今のうちに村の方に逃げんぞぉ!!!」
「あぁ、わかっt……、……ッ?」
今すぐにでも此処から離れなければと思った。しかし青年は足を進めるどころかその場で足を止めてしまったのである。
「え"ッ?! 何してんだユー!? ミーが足止めした意味よ!!!」
「あの中に人が……」
「人ぉ?!」
青年の指さす先に目を向ける水餅。確かに青年の言う通り、先程自分が貫いた幻影の穴から人の腕のようなものが見えているのである。
「……こりゃあ、割と厄介な事になってきたぞぉ……ッ」
「どーする? 確か幻影の瘴気に触れ続けると人って……」
「まぁ最悪の事態になっちまうな……。でもミー達がコイツをどーこーできる術があると思うかぁ?!」
「うーん、ねぇな」
「だろ?! 悔しいけどここはミー達の命優先! まだコイツの動きが止まってるうちに村の方に逃げるに越したこたぁない!!!」
「そうか、じゃあ俺ちょっくら助けてくっからお前は先に逃げてろよぉ!」
「おう! …………って阿保ぉおおお!!! なぁにミーの活躍を水の泡にするような事言ってんだよこの阿保茄子!!!」
水餅は勢いよく青年の顔面に体当たりした。当たり前である。青年の発言はあまりにも無謀極まりなかったのだから。
「oh……ひんやりぷにぷにぃ……」
「大体さっきコイツ何とかする術ないってミー言ったよなぁあ!?」
「…………一か八か、賭けてみるかッ」
青年は懐からとある物を取り出した。それはビー玉のような白い半透明の石が飾られたネックレスだった。
「ゆ、ユー! そ、それは……!」
「そう! なんか凄い石! これならコイツを一瞬で木っ端微塵にできるだろ!」
「おぉ〜! それで! 使い方ちゃんと聞いたんだよな?!」
訪れる静寂の時間。まるで時間が止まったかのようにあたりには遠くから聞こえてくるカラスの鳴き声だけが漂っていた。
「………………えぇ……?」
「………………出したら勝手に幻影消えんじゃないのこれ?」
「ッんなわけあるかボケぇええええ!!! なんか段階あるだろ普通! え?! 嘘ッ!? ほんとに聞いてないの?! ただの宝の持ち腐れ!? この阿保! ボケ! カス! ナスぅ!!!」
「ナスとはなんだ失礼なぁ!」
「ナスに謝れボケ茄子ぃ!!!」
小学生並みの口喧嘩を繰り広げる一人と一匹。彼等は喧嘩に夢中で気が付かなかったのだ。先程足止めした幻影がもう復活している事を。
幻影は一瞬にして青年の足元まで移動し、影の中から無数の触手を出現させた。そこでやっと彼等は幻影の存在に気付いたが時すでに遅し。影の触手はもう目の前まで迫っていた。
「あ、やっべ」
「ピギャァアアアアアアアアッ!!!!!!」
無数の影の触手が彼等を捕らえようとした。その時だった__。
「護術『
どこからか少女の声が聞こえたかと思ったと同時に青年と水餅はほの暖かい赤い花のような障壁に包まれていた。
「な、なん……?」
「ミー達……助かったぁ……?」
呆然とその場に座り込んでしまう青年。しかしハッと視線を声のした方に向けるとそこにはボロボロになった軍服のような黒い衣装を纏った黒髪の少女が刀を片手に此方に向かってきていたのである。
彼女は刀を持ち替え、高くジャンプすると刀を幻影に突き刺すように仕向けた。しかし幻影は刃先が当たるギリギリで回避し、刀は地面に突き刺さり幻影はその隙に何処かへと逃走してしまった。
「…………また逃げられたッ」
少女は刀を抜き、彼等を包んでいる障壁を解いた。未だに状況が掴めずただただ目の前の少女を見つめている青年。それに気付いた少女は青年にそっと手を差し伸べた。
「君、大丈夫? 怪我は?」
「あーっと……大丈夫です。割とピンピンしてます」
「そう」
つられるがまま少女の手を握り、そのまま立ち上がる。まだ混乱していたが流石に礼を言わないのはまずいだろうと思い、少女に話しかけた。
「あの、危ないところを助けてくれてありがとうございます」
「気にしないで、それが僕達の仕事だから」
「えぇっと……あれですよね? 見廻組ってやつですよね? 見廻組……えぇー……
「
「あ、そうそれ」
青年の発言に少女は少し疑問を抱いたがすぐに考えるのをやめ、幻影が向かった方角へ足を向けた。
「え、お嬢さんどこ行くんです?」
「さっきの幻影を追う。ここは危ないから君は早くすぐ近くの村に避難して」
「え、でもお嬢さん相当ボロボロじゃないですか……。いくらなんでもひとりじゃ危n……」
「あの幻影に僕の仲間が食われた。まだ時間はある。助けれるうちに助けなきゃ……!」
そう言い残し、少女は走っていってしまった。先程幻影から見えていた人間の腕は彼女の仲間のものだったのだ。
「…………ユー」
「……お前、やけに静かだったな」
「ユー以外の人間の前で喋んのは色々とまずいからな」
「そう……だったな」
「で? どーすんだ? まさかあのレディーを追おうだなんて考えてんじゃ〜ないだろうなぁ?」
「図星ぃ」
青年のその言葉に大きくため息を吐く水餅。その水餅の様子に青年は苦笑いを浮かべた。
「ユーが行っても足手纏いになるだけだと思うぞ?」
「そうだな……。俺、"空っぽ"だし……」
「…………ッ」
その光の灯っていない紫の瞳はただ虚空を見つめていた。
「それでも……あんな別嬪な女の子が困ってたら助けたくなっちまうだろ?」
「素直な奴だなぁ。ま、ユーはそーゆー奴だからミーは気に入ってんだけどな!」
そう言い、水餅は青年の肩にぴょんっと飛び乗った。てっきり止められるものだと思い唖然とする青年。そんな彼に水餅はドヤ顔をかました。
「ユーの考えてることなんて! ミーには全部まるっとするっとお見通しなんだよぉ!」
「わぁ、そのフレーズ聞いたことあるぅ」
「お黙りん子! 兎に角! ユーが行くんだったらミーもついて行くかんな! 例え地獄の底にだってぇ!」
「それは流石に重いってぇ」
「なんだとぉ!? ……ッまぁいいや。早くあのレディーを追いかけよう!」
「あぁ」
*
__麓代地区 廃村跡地。
長い年月をかけ自然に侵食されたかつて賑わっていたであろう村だった崖沿いの地。草木に覆われた廃れた建物達は夕暮れ時ということもあり、より一層辺りは不気味な雰囲気を漂わせていた。
そんな廃村の中でも一際目立つ建物。その建物内に先程逃走した幻影が入り込んだ。それと同時に廃村へと足を踏み入れる黒髪の少女__杏沙。彼女は迷わず幻影が入り込んだ建物の中へと駆け込んだ。
中はまるで教会のような造りをしており、目の前にはひび割れたステンドグラス、そしてぼたぼたと黒い液体のような物を垂れ流している先程の幻影が映った。
すると背後からバタンと扉が閉まる音が鳴り響いた。どうやら、閉じ込められてしまったようである。
「ここで僕を捕らえて三人仲良くあなたの養分になれってこと……? ……ひとつ、あなたに忠告しておくね」
杏沙は物怖じせず目の前の幻影を見据えた。
「僕は美味しくないよ?」
その言葉と同時に幻影は彼女に向けて無数の影の触手を繰り出した。それを軽やかに回避し、杏沙は襲ってくる触手に捕まらぬように建物内を駆け抜ける。
建物内は薄暗い。つまり現状では幻影が優勢、ほぼ独壇場になってしまっているのだ。唯一ステンドグラスから溢れる陽の光だけが頼りになってしまう。
ならばと杏沙は空中から刀を地面めがけて投げ捨てた。刃先が地面に突き刺さったその瞬間、室内中に無数の火柱が立ち上がった。火柱は追い詰めるように幻影を取り囲み、やがて大きな炎の檻へと変化した。
「一気にケリをつけてやる……ッ」
地面に突き刺さった刀は粒子となり、その粒子が杏沙の手元に届くと再び刀の形を成した。もう技を発動させる力は残っていない。杏沙は刀を構え、幻影向けて力強く地を蹴った。
「はぁぁああああッ!!!」
辺りに火の粉が舞い上がる。それと同時に炎に焼き斬られた幻影は塵となって分散していった。その場に残るのは幻影に取り込まれていた海兎と鵤木隊長の二人。ホッと胸を撫で下ろし、二人の元へと駆け寄った。
彼女の背後にまだ幻影の残骸がいるとも気付かずに。
小さな幻影ではあるが人ひとり取り込むことは容易い。幻影は大きく広がり、彼女を取り込もうとした__が。
「危ないッ!!!」
「え……ッ」
気がついた時には誰かに抱きしめられた状態で勢いよく空中に投げ出されていた。そして目の前に広がるのは先程倒したはずの幻影の残骸。
「頼む! "さつま"ぁ!!!」
「ガッテンでぃ! 必殺!『超絶ハイパースーパースペシャルミラクルバイオレンスアタァァアアアアアアアック』!!!!!」
そこには先程見かけた青年と共にいた水餅が何故か言葉を発しながら幻影に向かって体当たりしている光景が映っていた。
塵となって消えていく幻影。どうやら今度こそ消滅したようである。
「ふぅ、ギリギリセーフだったな。大丈夫ですか? 可憐なお嬢さん」
「君はさっきの……。なんでここに?」
「なんでも何も……こちとら今にも倒れそうなお嬢さんを見過ごせるほど人間終わってないんで」
「だとしても幻影相手にこんな危険な真似するのは許されない!」
「あぁー、ははっ……」
そりゃまぁ怒られるわなぁと苦笑いを浮かべる青年。やはり無謀だったかと頭を掻いているとまだ腕の中に治っている少女がぽそりと呟いた。
「でも…………助けてくれてありがとう」
「…………いーえ」
ステンドグラスから漏れる光に照らされる二人。そんな二人を横目に水餅は「おいこらそこ、オーディエンスにミーがいるんだから良い雰囲気になってんじゃないよ」っと心の中でツッコミを入れた。
何はともあれ一件落着。水餅は救出された二人の様子を伺う。ひとりは少々幻影に侵蝕されてしまっていたが命に別状はなさそうであった。しかし__
「……ッ! おいユー達! 早くこっから離れろ!!!」
「え?」
__もう一人はもう手遅れだった。
突風が巻き起こり、周りのものが建物の壁へと叩きつけられる。水餅は「あ〜〜〜」と声をあげながら飛ばされ、青年は杏沙を庇い地面に覆い被さっていた。
視線を発生源である方へと向けるとそこには青黒い靄を放ちながら覚束ない足取りでその場に佇む男性の姿があった。身体中には蔦のようなものが巻きつき、顔にはまるで涙を流しているかのように黒いヒビが入っていた。
何よりその目はまるで血のように真っ赤に発光していた。
「……遅かった…、もう……隊長は……」
「幻影の瘴気に侵蝕された人間は最悪の事態になるっては聞いてたけど……なんだ……これ……ッ」
「…………"
「かい……、え?」
「瘴気に身体を完全に侵蝕された人間が行き着く末路……。人間の正気を糧にその身体が力尽きるその時まで暴れ続ける……。助かる方法は……一切ない……」
「そんな……ッ」
「僕達が壊蝕化した人間にできることはひとつだけ……、これ以上罪を重ねないように……殺してあげることだけ……」
罪を……重ねないように……
ズキッと胸の奥底が痛む。それはあの時のように。"初めて"この地で目を覚ましたあの時のように。
「ごめんなさい……隊長……、助けられなくて……ごめん……なさいッ」
悲痛に満ちた声で杏沙は謝罪を繰り返す。あの時、自分が油断さえしなければ助かっていた筈なのに……と。
そんな彼女を目に青年はなんの力も持たない己の非力さを悔やんだ。結局何もできていないじゃないかと。
隊長はゆらりと身体を動かし、足元に転がっている海兎の首を掴み持ち上げた。するとその掴んだ場所から急速に幻影が侵蝕していったのである。
余程、瘴気が濃いのであろう。海兎は意識を失いながらも細々と苦痛の声をあげていた。
「……ッ! 海兎ッ!!!」
「くっそ……ッ」
青年は首にかけたネックレスを握り締め、二人の元へと向かっていった。
「何してるの?! あなた死にたいの?!」
「生きる!」
「なら戻ってきて! 僕が……うッ……」
「お嬢さん、もう動けないんでしょ? だったら代わりに俺がなんとかする! この子も! 隊長さんもな!」
「無茶だよ……! だって君は普通の……」
「こちとら普通が欠けてんだよ! 欠けまくってて"空っぽ"なんだ……ッ、空っぽは空っぽなりにやってやらぁ!!!」
青年はなんとか二人を引き離そうと暴風に耐え、なんとか間に割って入った。しかし彼の力は凄まじいものでいくら引き剥がそうとも手が離れることがなかった。
「んなぁあああッ! なんッだこれぇぇッ! 全ッ然動かねぇえええええ!!!」
自分の腕にしがみつく青年をその赤い目で捉える彼。意識などない。ただ自分の邪魔をする者を排除する。その幻影の本能のまま__
「んゔッ……あ"ッ」
「……ッ!!!」
__濃度の高い瘴気の風弾を青年の腹部に撃ち込んだ。
強い衝撃が腹部に入り、口から体液が飛び出す。そしてそのまま後方へと飛ばされ身体はステンドグラスの中心へと叩きつけられる。元々ヒビが入っているほど脆かった為、ステンドグラスは粉々に砕け散った。
夕日に照らされキラキラと散っていく破片と共に空中に投げ出される青年。此処は崖沿い。このまま落ちたらひとたまりもないだろう。
結局何もできないまま終わるのだろうか? 空っぽのまま終わってしまうのだろうか?
『忘却は罪からの逃走』
罪を忘れたまま死ぬのか……?
『貴方は思い出さなきゃいけない』
犯した罪を償えぬまま死ぬのか……?
『貴方の罪を思い出す。それが今の貴方にできる唯一の贖罪』
"約束"も果たせないまま……ッ
かけていたネックレスを引き千切る。そして遠のいていく上空に向けてその手を突き出した。
「…………こんな……空っぽのままで……ッ、死ん…で……たまるかぁああああああッ!!!」
鐘の音が鳴り響く。それは郷中に時を告げる音。空は夕と夜の狭間。夕刻六時、それは魂を巡り逢わせる魔の刻__"
瞬間、時の流れが突然停止した。否、停止したのではなく至極ゆっくりと流れていた。それは走馬灯を見ているかのように。
「なん……ッ」
「いやぁ〜、まさかほんとに繋がっちゃうなんて驚いたなぁ〜」
「んぇ?」
陽気な声が背後から聞こえた。青年は振り返ろうとしたが背後から顔を掴まれ、それは叶わなかった。
「だぁめ、初回面会はお断りなんだ♪」
「あの……誰……?」
「それはまた次の機会。今はこの現状を打破するのが先決だろう?」
「するにしたって……どーすれば……」
「僕達は本来交わることのない存在。そんな存在が今こうして巡り逢っている。これって奇跡じゃない?」
「奇跡……」
「僕なら君が望む力を貸してあげることができる。今の君にとって最も必要な力を……」
すると目の前に橙色と紫色の粒子が集結し始めた。今の空と同じ色の気流が目の前を漂う。
「ただそれは君を良い意味でも悪い意味でも縛り付ける"呪い"にもなる。……なんか悪魔の契約みたいだね!」
「俺、まだ魂売りたくない」
「あっはは! 大丈夫大丈夫! ……対価は君が罪とどう向き合うか見届けさせてもらうことだから」
「え……」
何故それを知っているのか、と問おうとしたがそれを見透かしたのか背後の人物は小さく笑い青年の肩を掴んだ。
「それでどうする? もう時間がないよ」
「…………それ、断る理由ある?」
「おや、こんなポッと出の見知らぬ人間の言うことを信じるの?」
「さっきあんたが言ってただろ。奇跡でこうやって巡り逢ってるって。なら今は奇跡にだってなんだってしがみついてやる、助けられる命があるならな!」
青年は粒子の束を掴み取った。
「それが今の俺にできる忘却への償いだ」
「あっはは♪ 君、ほんとに面白いね!」
辺りに鐘が鳴り響く。それは夕刻六時を知らせる音色。そんな音色にガラスが割れる音が混じり合う。夕陽に照らされ、キラキラと宙を舞うガラスの破片。そしてその中央には空中に投げ出された一人の青年。
先程違うのは__青年の手に粒子の束が握られていることである。青年は空中にそのまま身を委ね、粒子の"柄"にもう片方の手を添えた。
「…………応えろ。妖刀『
瞬間、辺りには目が眩む程の強い光が発生した。
何が起こったのか全く理解が追いつかなかった。確かに青年は壊蝕化した隊長に吹き飛ばされ、崖下に転落した。杏沙はそれを全て目撃していた__にも関わらず、今彼女の目に映っているのは夕陽を背にニヤリとほくそ笑んでいる刀を携えた青年だった。
「君……は……」
「おぉい! さつまぁ! どこぞでへばってないでさっさと出てこい!」
青年が大声で叫ぶ。すると天井から薄紫色の水餅__"さつま"がタイミングよく落下してきたのである。そして狙ったかのように青年の頭上へと着地した。
「ユーだって吹っ飛ばされてただろ! 普通に死んだかと思ったわぁ!!!」
「わりぃわりぃ、そんで頼みあんだけど……」
「どーせミーにこの麗しのレディー守っとけってんだろぉ? 知ってますぅ〜!」
「図星すぎて草ぁ。まぁ任せた」
「任せろり!」
青年の頭上から彼女の元へと大ジャンプで移動するさつま。ぽすんっと見事に彼女の腕の中に収まった。
「えっと……」
「守るとか言ったけどミー別に護術使えるわけじゃないからミーの有り余る"妖力"をユーに分けとくな!」
「あ、ありがと…?」
「さぁて、時間がないんだ。一瞬で終わらせてやる」
青年は柄に手をかけ、ゆっくりと刀を引き抜き始めた。
「汝、光を仇なす者」
鞘からゆっくりと現れる刃はまるで夕暮れの空を写したかのように光り輝いていた。
「我、汝を救済する者」
徐々に引き抜かれ、姿を現す刃に大気中の気流が光を放ち吸収されていく。
「降恵を纏いし芽吹きの刃よ
深淵に沈みし傀儡の魂を解放せん」
刀身が姿を現す。青年は刃先を壊蝕化した対象に向け、そのまま__
「浄術『
__斬った。青年は刀を振り納刀する。それと同時に隊長、そして海兎の身体から黒い靄が放出されたかと思うと夕陽に晒され消滅した。
急いで二人の元へと駆けつける杏沙。見ると二人は何事もなかったかのようにスヤスヤと眠っていたのである。刀で斬られていたのにも関わらず斬られた後など一切なかった。
「どーやら無事元に戻れたみたいだな」
「……呼吸も安定してる。それに……侵蝕跡が全然ない……。本当に……瘴気の侵蝕を……」
「すっごいじゃないかユー! まさかこんなトンデモ技覚えるなんてなぁ!」
「いんやぁ、それほどでもぉ」
「君は……一体……」
「ん?」
聞きたいことが山ほどあった。本来あり得ないはずのことをやって退けたのだから当然だ。しかし、杏沙はそれ以上に彼に聞きたいことがあった。
「君は一体……何者なの……?」
その言葉に青年は陽に照らされながらへらりとした様子で口角をあげた。そしてその光の灯っていない瞳で彼女を見据え、口を開いた。
「俺の名前は"
これが物語の主軸となる青年と少女__『桐生 陽翔』と『珠生 杏沙』の出会いの物語である。
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