第9話:ふたりダイエット

 一月某日。

 私たちは危機的状況を迎えていた――。


「……朱莉さん」

「なんですか、小枝さん」

「これは……まずいですね」

「……ですね」


 二人揃って見下ろす先にあるのは、今まさに世にも恐ろしい数値を燦然と見せつけているもの。

 すなわち――体重計だ。


 朱莉がこれは参ったという様子で後頭部に手を当て、アハハと笑う。


「いやー……なんとなーく察してたけど、いざこうして数字を見せられると恐ろしいね」

「朱莉はマシじゃん! だって四キロでしょ?」

「小枝だって五キロだから対して変わらないし」

「これはやばいよ……!」


 確かに最近、ちょー……っとだけ服がキツくなっているような気はしていた。

 だけどそんなはずがない、と必死に目を逸らし続けていた。

 が、現実は非情で残酷だ。


「ど、どうすんのよ、朱莉」

「どうもこうも、痩せるしかないでしょ。しよっか、ダイエット」

「……そうね!」


 朱莉がはっきり言ってくれたおかげで目が覚めた。

 そうだ、太ったんだから痩せるしかない。


「なら、今から走るよ! 準備して!」

「え、早速?」

「こういうのは決心が鈍らないうちにやっちゃった方がいいの! まだご飯時まで時間あるし」


 そう言い切った私を見て、朱莉は苦笑した。


「本当、小枝って思い立ったら行動早いよね。うん、でもわかった。じゃあ走ろうか」



◇◆◇



「朱莉……ちょっと待って……」


 前を軽快に走る朱莉に、息も絶え絶えに告げる。

 すると朱莉は「え~?」と言いながらペースを弱め、そして横に並んだ。


「小枝、やる気あったわりに遅いね?」

「さすがに元運動部には敵わないわよ……」


 最近こそほとんど運動していないようだが、朱莉は小学校から大学までバドミントンをやっていた。

 一方で私は中学まで運動部だったが、それ以降運動らしい運動はしていない。

 足もパンパンで息も上がっている私に対し、朱莉は健康のためにジョギングしてますよ、といった様子で腹が立つ。


「ま、それもそうだね。ダイエットには有酸素運動が効果的って聞くし、むしろこのくらいの方がいいか」


 涼しい顔でそんなことをのたまう朱莉にもはやツッコむ気力も失せてきたが、私のせいでペースを落とさせていると思うと、頑張らないとという気力が湧いてくる。

 朱莉に甘えるような形でそのまま続け、小一時間ほど走ったところで限界がきた。


「はぁ……はぁ……。――もー……っ、無理! 限界! 終わりにしよ!」


 ちょうどいいところにあった公園へ入ってベンチに座ると、背もたれに背中をだらっと預けた。

 そんな私を、ベンチの側に立ったままの朱莉が呆れたような目で見る。


「終わりなのはいいけど、こんなところで休んでたら風邪引くよ?」

「ちょ……っとだけ……だから……。というか……なんでそんなに、元気なの……?」

「昔取った杵柄ってやつだね」

「……さすが」


 一月の気温の低い風が汗で火照った身体をさっと冷やしていく。

 普段なら寒くて仕方ないんだろうけど、体温が上がり切った今だけは心地いい。

 そのまま息が整うのを待っていると、何分か経って少しだけ回復したことを自覚する。


「――もう大丈夫、帰ろっか」


 隣に座っていた朱莉に声をかけると、朱莉は先んじて立ち上がって手を差し出してくれた。

 私は遠慮なくその手を取り、引かれるがままに立ち上がった。



◇◆◇



 家に帰った私たちはダイエットを始めたということで、サラダや豆腐など比較的質素なメニューの夕食を食べた。

 たくさん運動した後は昔のようにいっぱい食べたくなるが、我慢だ。

 この我慢が明日の私を綺麗にすると信じて。


 そして早めにベッドへ入る。

 むやみに起きてると余計なものを摘まんでしまいがちだし、美容にもよくない。

 という理由ももちろんあるが、そもそも疲れたし、眠い。

 目を閉じるとすぐに眠気が濁流のように押し寄せてきた。

 抵抗することもなくさっさと夢の世界へと向かう。

 おやすみなさい。



◇◆◇



 不意に目が覚めた。

 普段ならそんなことあまりないのになんでかな、と思ったけれど、ふとそこで違和感に気が付く。


 ……何か音がする。


 発生源はどこだと耳を澄ましてみると、リビングのようだ。

 朱莉かな?

 しかしスマホを見てみると、時間は午前二時。


 こんな夜中になんだろう?

 そう思って、私もベッドから静かに起き上がり、部屋の戸を開けた。


 リビングに入ると、意外にも暗かった。

 キッチンの方にだけ、薄明りが付いている。

 物音が聞こえるのはそちらからのようだ。

 私は足音を出さないよう慎重に歩く。


「……朱莉?」

「げ」


 なぜか床でしゃがんで腰を丸めている朱莉に声をかけた。

 するとわかりやすく、びくりと身を震わせる。

 恐る恐ると言った様子で振り返った朱莉の手にあったのは……。


「あ、プリン!」


 じとーっとした目を向ける。

 すると朱莉が焦った様子を見せた。


「だってお腹空いたんだもん! しょうがないじゃん!」

「それはわかるけど……」今にも鳴りそうな自分のお腹を意識しつつ「こんな夜中に食べたら、それこそ太るよ?」と言った。


 朱莉はうっと仰け反った。


「い、いい! その分、走るから!」


 すっかり開き直ってしまったようで、勢いよく食べるのを再開する朱莉。

 まあ食べだしたのを止めるものな、とその様子を眺めていると、視線に気づいたらしく「小枝も食べる?」とスプーンを差し出してきた。


 う……。と躊躇するが、ちょうどくぅと鳴ったお腹に耐えられず、一口だけ……と口に入れた。

 途端、何とも言えない甘さが広がっていく。

 空腹がスパイスとなり、よりいっそう美味しく感じた。


 ――もう、無理かな。


 私はおもむろに冷蔵庫をあけ、自分の分のプリンを取り出した。


「……小枝?」

「――私も食べる」


 朱莉はニヤリと笑った。


「うん、そうしなよ! 我慢は身体によくないし!」

「だよね! 明日その分頑張れば……いいよね!」

「そうそう!」


 共同戦線を張った私たちを止める者は、ここにはいない。

 一度決壊した決心は直ることなく、その後そこそこ小腹が満たされるまで食べてしまった。


 結局、自分に甘くなった私たちの体重が元に戻るまでにかなりの日数を要したことは言うまでもない。

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