彼とわたしの、日常

潮未帆乃花

私が天使じゃなくて、よかったね


夢の途中で目が覚めた。外は静かで、時おりエンジン音が遠くのほうでする。

人が外で活動するにはまだ早い。柔らかな毛布の誘惑にあらがうことなく、二度寝にふけ込むことにする。体勢を整えようとしたが、腰に回された筋肉質な腕に阻まれた。私は仕方なく抱き枕として、仕事に徹する。耳をすまさなくても、背後から彼の規則正しい寝息が聞こえる。何度も一緒に寝ているのに、初めて聞く音だった。こんな時間に目を覚ましたことへの憂鬱が少しだけなくなった。

この人、生きているんだな。

それだけで、胸が締め付けられる。毛布に顔をうずめる。眠気が思い出したかのようにやってきた。次に目を覚ます時は、もっと幸せでありたい。なんて、欲深い。


目が覚めて、今度こそは腕の中から抜け出した。

朝ご飯は昨日買った高級食パン、半熟に出来た目玉焼き、脂ののったカリカリベーコン、インスタントのコーンスープ。眠気の晴れない頭でも作れる朝食だ。

彼は大変な寝坊助さんのため、アラームのいらない朝は太陽が高く上がっても布団と仲良くしている。

朝食の準備も終わったし、お腹もすいたので、彼を起こしに行く。

自分が起きた時に開けた窓から光がさんさんと差込んでいる。私は目標に近づいて、掛け布団をひっぺ返した。

うなりながらも、開かない瞼の代わりに手の感覚だけで布団を探す姿は見慣れたものだ。もうお布団ないよ。

朝の挨拶をしたら、黒目が半分見えた。ほら、ご飯食べよ。今日はこの間おいしいって言ってた食パンだよ。

ぽやぽやと、のそのそと、上体を起こす仕草はきっと、子どもの頃から変わっていないんだろうな。愛しくて、優しく触れることもためらってしまう。

今の彼は、怒りとか妬みとか、嫉みとか、憎しみとかそういうのが全く無い世界にいる。

目が覚めても、その世界にいてほしいけれど、それだと私と違う世界線になってしまうし、だからといって、私がこの世界をその世界にすることはできない。

彼が両腕を、私に向かって開く。

私はいったん、その世界に飛び込んだ。


皿の片づけが始める頃には、一日の半分が終わっていた。

朝食中には彼もすっかり目が覚めて、一緒に映画を見ることを提案してくれた。

水の流れる音が止まったのに、彼は台所に立ったまま。首を傾げる私を見つけて、ポップコーンの素を見せびらかした。

私は、ポップコーンと一緒に彼に抱えられてソファに座る。ハラハラドキドキのアクション洋画がテレビに映し出されている。

銃撃音、爆発音が鳴るたびに体が飛び跳ねる。きゅっと抱え直された。

裏切りの展開に思わず心の声が漏れ出てしまった。後ろでクスリと笑われて、恥ずかしかった。

ポップコーンは無くなった。外はオレンジ色。お互い映画の感想を言い合って、次回何を観るかを相談する。

夕日の光が差し込むリビングで、彼の目は宝石みたいに光を反射していた。

ジッと見つめてしまったら、さっき観た映画のラストシーンの真似ごとをされた。

唇同士が離れて、また触れる。正面からクスリと笑われたのを見て、好きが溢れた。


夜ご飯は作ってくれた。リクエストした中華料理が並んで、心の中で【明日からダイエット】宣言をした。

お風呂も終わって、足の爪を塗ろうとカラーを選ぶ。何色にしようかな。しばらく明るい色を使っていたから、今回は紫色にしよう。それに白色と黄色をポイントカラーにして、華やかさをプラスしよう。

リビングの窓を少しだけ開けて、いそいそと右足親指から。ムラにならないように、刷毛を慎重に扱って、ベースを塗っていく。

お風呂から上がってきた彼が、私の作業に気づいて近づいてきた。どうやら塗ってくれるみたいだ。大人しく足を差し出す。器用な彼だから、心配はない。爪の色が変わっていく。乾いたところから、黄色と白色を散りばめていく。小さなプラネタリウムだ。こんな真剣な顔、告白された時以来かも。

とても良い出来栄えで、お気に入りのデザインになった。スマホで写真を撮る。彼を褒めると、満足げだ。初めて彼氏に塗ってもらった。そう伝えると、覆い被さるように抱きついてきた。早く髪乾かしてきなよ。どうやら初めてをもらえて嬉しいようだ。大型犬か。

そうやってたくさん、あなたの思い出で私を塗っていって。すーぐ、ヤキモチ焼いちゃうんだから。


一緒のベッドに潜り込む。おいしいご飯、あったかいお布団、隣には大好きな人。これ以上の幸せがあるのだろうか。

毎日かわいい、好きだなんて言ってもらえて、愛しているのを伝えてもらえて、こんな生活が私に待っていたなんて。

こんなに幸福で、愛しい生活で、私の前世はよっぽど徳を積んだのだろうか。まるで天使か何かと勘違いしてしまいそうになる。よかったね、私が天使だったら人間とは恋できないもの。

でも、きっと身分が、国が違っていても、恋をしていただろうな。

明日はどんな日だろう。どんな日でもあなたとなら。


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