第一章 2-2


 そこは今まで立ち寄った宿場町が比較にならぬほど、人や物で活気に満ち溢れていた。


 街道を引き継いで都市を貫く大通りは、大型の荷馬車で八車線分ほどに拡張され、両脇には食糧品や雑貨品などの露店、武具や服飾品などの専門店、酒場や娼館などの娯楽施設が立ち並び、訪れる大勢の人々で賑わっている。


 王都の中心部で育った彼女にとって、それはつい先日まで見慣れた光景であった。しかし、数週間にも及ぶ旅路がいつしか彼女の目を懐かしさよりも新鮮なものへと変えていた。


 恐狼テラーウルフから村を救った翌日、二人はようやく領都「ヘグリ」へと到着した。領都の名が示すとおり、ここは王国北部に広がるキノ領の政治と経済の中心地であり、領主を頂点とする配下の貴族がきょを構えている。


 王国の四方に位置する五大諸侯の領地は、その広大な面積もることながら、統治形態はさながら独立した国家であり、国力に相当するものは辺境の小国をも凌駕していた。


 かねてより王国は五つの公国を包含すると囁かれていたが、いずれは連合国と呼ばれる日もそう遠くないのかも知れない。


 ヘグリは陸路における王国の玄関口であり、そのまま街道を北上すれば帝国との国境、また東に進めばモノノベ領に突き当たる。北方からの交易品はこの地を経由して王都や各地へと運ばれている。


 早速、二人は今夜の宿を探すことにした。交通の結節点であることから商隊や旅人のための旅宿が多く、豪商御用達の絢爛豪華けんらんごうか本陣ほんじんから、流れ者が好みそうな怪しげな安宿まで大小様々なものが軒を連ねている。


 二人はきらびやかな建物が並ぶ中心街を避け、賑わいから少し外れた脇道に建つ旅宿に目を留めた。規模としては中程度だったが、どこか宿場町のものと似た雰囲気を漂わせており、言わば泊まり慣れた場所である。


「いいえ、そこでは御二方には相応しくないでしょう」


 彼女が扉に手を伸ばしたとき、唐突に背後から声を掛けられた。思わず頓狂な声を上げそうになりながら振り返ると、そこには華美な意匠が施された板金鎧プレートアーマーを身に着けた男が立っていた。


 歳は彼女よりも五つ、いやもう少し上だろうか。ヘルムは外しており、短く整えられた金髪と深黄ふかききに日焼けした顔肌が精悍さを醸し出している。


 背後には対象的に飾り気のない胸鎧ブレストアーマーの護衛を連れており、如何にも貴族然としていたが、く思い返してみると見覚えがあった。


「オユミ様ではございませんか。お久しゅうございます」


 男の正体に気付いた彼女は頭巾フードを取り払い、貴人の作法に則ってこうべを垂れる。傍らに立つミストリアもそれに倣うが、横目に見ると口元には笑みが浮かんでいた。


 男の名はオユミ=レイ=キノ、このキノ領を統べるオイワ将軍の子息にして、世継ぎと目される世子せいしである。


「御顔をお上げください。天人地姫とその倍従者で有らせられる御二方が、私ごときにへりくだる道理はございません」


 それでは見目麗しきご尊顔がはいせないではありませんか、とも付け加えられた。


 彼女はそのわざとらしい物言いに苛立ちを覚えたが、領地で当主に次ぐ権勢を誇る世子を相手に悪態をくほど無謀ではない。


「お気遣いを頂き深謝申し上げます。重ねて、入領の御挨拶が遅れましたことをお詫びいたします」


 そうして、彼女は一度上げた頭をまた下げる。自分でも内心では面倒だと感じているが、これもまた貴族としての務めである。もうミストリアは飽きてしまったのか、二度目は付き合ってはくれなかった。


「お詫びすべきは当方にございます。御二方には我が領地の村を救って頂いたと聞き及びました。天人地姫の御手をわずらわせるとは不徳の極みにございます」


 その言葉に彼女は僅かに眉をひそめた。恐狼討伐は昨日のことであり、その情報が伝わるにはあまりにも早過ぎる。むしろ、本当は最初から気付いていたのではないか。


 彼女は心中に押し込めていた不信感が、ふつふつと湧き上がっていくのを感じていた。自分でも愚かだとは分かっている。それでも、あの魔物の脅威に怯える村人たちを見て、大人しく黙っているほど人間が出来てはいない。


「茶番はその辺にして、言いたいことがあるならはっきり言いなさい。ああ、レイニーへの求婚だったら大歓迎よ」


 彼女の表情の変化を察したのか、ミストリアが先手を打つように割って入った。四鏡水鏡ミラー・ロードを常時展開しているミストリアにとって、オユミたちの尾行など先刻承知のことであった。


 外衣ローブに込められた艶消えんしょうの魔法の効果は、対象の姿を消すのではなく、周囲に溶け込ませるところにある。故に最初から認識していれば効果はなく、つまりはかなり前から捕捉されていたことになる。


 オユミも護衛の兵士たちも、突然のミストリアの放言に唖然とした様子であった。尾行が露見していたのもることながら、彼らにしてみれば天人地姫とは神に嫁ぐ淑女であり、またヌーナ大陸を調停する超然とした存在であった。


 しかし、先ほどの物言いは歳相応の少女、それも些か品性に欠けるものであった。引き合いに出されて憮然とする彼女につられるように、オユミもまた自嘲的な苦笑いを浮かべるとようやく本題を告げてきた。


「どうか我が家におで頂き、ゆっくりと旅の疲れを癒やしてください」


 薄々勘付いてはいたが、やはり屋敷への誘いであった。しかし、今更この誘いを断れるはずもなく、二人は互いに諦念を交錯させた後、溢れるような笑みに転じて快諾したのであった。

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