第5話 手合わせという名の決闘
周囲からは冷やかすような声が飛び交っていた。俺は一本の木剣を渡され、庭の中央に向かう。
フィアは何度も止めようとしたが、聞くつもりはなかった。あの頃俺は、ずっと熱心に剣の練習だけはしていた。それなりに上手くなっていて、どこかで自惚れていた部分があったことは否定できない。
アレクシア邸は混乱していた。出発の準備を進める者と、俺たちの戦いを物珍しげに見物する者とでごっちゃになっている。フィアの両親はどうやら野次馬側になっているようだ。
審判役を買って出たのは、ディランの背後にいた若い騎士だった。ディランの味方である以上、奴に有利な判定をするかもしれないという杞憂はあったが、そもそも味方がほとんどいない。不利な条件と知りつつ、やるしかなかった。
俺は木剣を中断に構える。この時から基本的な構えは変わっていない。対して未来の剣聖は、木剣をだらりと下げたままだった。一見すれば隙だらけの、弛緩しきったような構え。
舐められているのか。だったら一才遠慮はいらない。飛び跳ねそうな心臓をどうにか落ち着かせ、その時を待つ。
不意に審判役の男がコインを空に投げた。これが地面に落ちた時が開始という、古典的な決闘のルールだ。クルクルと回る銀色の輝きはやがてあっけなく芝生に落ちた。
やってやる、と心の中で叫んだ。
普段の間合いより自然と距離が遠くなる。構えていないとはいえ、一気に突っ込んでいったら手酷い返しをもらう可能性が高い。ディランは自分から攻めるつもりはないらしく、ただこちらを待っているようだった。
余裕をかましやがってと、怒りがさらに膨らんでくる。じりじりと俺のほうから距離を詰める。
至近距離に突っ込むふりをして下がろうとし、そこから一気に前に出て剣を振る。斜めに顔を狙った木剣は、ただ立ち尽くしているディランに触れる寸前だった。
「——ぐあ!?っ」
「ジーク!」
フィアの叫びと俺がうめいたのは同時だった。
こちらの剣はぎりぎり届かず、腹に一撃を貰ってしまう。細く冷たい木がめり込んでいる。俺は前のめりになり、激痛を覚えつつも立っていた。フィアが黄金色の瞳を涙でいっぱいにして駆け寄ろうとするが、執事や他の面々に掴まれ動けずにいる。
そして痛みよりも厳しい現実が押しよせた。
「負けちゃったのか」
「ああ、君の負けだよ。ただ、この一回だけで終わりというのは、さすがに可哀想かな」
「は? どういうことだよ」
「もう一本、いや……君が望む限り、僕は勝負を受けようと思う。どうかな」
本来ならここで終わってもしょうがなかった。なのに意外な太っ腹提案。俺は一も二もなく飛びつこうとした。しかし、審判役をしていた騎士は眉をひそめて止めようとする。
「ディラン様。勝負は一回で十分です。実戦なら彼は絶命しています」
「別にいいじゃないか。まるで決闘みたいな空気感だけど、これはあくまで手合わせ。彼も可哀想だろう? さあ、続けようか」
「気前がいいんだな。やってやる」
でも、ここで止めに入ろうとしたのはフィアだった。
「やめて! ジーク、もう。もういいの、私は」
何も良くないじゃないか。心配してくれるフィアに複雑な気持ちを抱きつつも、俺はただディランを睨む。
「フィアはああ言っているよ。彼女の意思を無下にするのは、不敬ではないかな」
「ふけい? よく分かんねえけど、俺はまだやれる。やれるんだ」
まだ一敗だ。ここから二勝一敗で巻き返してやる。最初はそんな風に思っていた。さっきの一撃だって最初は応えたけど、もう痛みは引いている。大丈夫だ。絶対に逆転する。絶対にフィアを助けなくちゃいけない。
心が燃え盛っていた。まるで自分すら焼いてしまいそうなほど。
◇
「はあ……はあ……」
「もう数えるのも面倒になってきたね。降参かな?」
「ふざ、けんな。まだ、だ」
あれから何度負けただろうか。何度木剣に打ち据えられ、倒れそうな体を鼓舞し続けただろうか。視界が歪んできた。全身が激痛に悲鳴を上げ、もうろくに剣を持っていられない。
ここまできてようやく気づいた。奴はわざと俺が苦しむよう、最初は少しずつダメージを与えることにして、大したことがないと思いこませた。
だが途中からどんどん急所を狙い、思いきり打ちつけるように変化していたんだ。より苦しめるために、簡単に終わらせないために。俺を痛ぶるために。
「やめて! もうやめて!」
フィアの悲鳴がした。意識が朦朧として、彼女がどんな顔をしているかとか、そういうことは覚えていない。でも、いつまでも忘れられないような悲痛な声だったことは確かだ。駆けつけようとする彼女を、騎士と知らない女が抑えているのが視界に入った。
「フィア。君が期待どおりに聖なる魔法を習得すれば、彼の怪我なんて簡単に癒せますよ」
うちのめした張本人が言うんだからタチが悪い。フィアやみんながいつも言っていたとおり、俺はやっぱバカなとこがある。ここまでやられてもなお、諦められずに立っている。
「終わってねえよ。まだ……」
「ジーク! ジーク! もう終わりにして! 私なんかのために、やめて!」
ふらふらになりつつも、どうにか奴との鍔迫り合いに持ち込む。ディランが静かにこう囁いた。
「あまり調子に乗るなよ。これで君は彼女に幻滅され、僕が選ばれる。君はもう終わりだ」
奴の笑顔がひどく歪んでいたのは、俺の視界がおかしくなっていたせいではないと思う。
気がつけば木剣は弾き飛ばされていた。最後の一撃はよく覚えている。何かがひび割れたような音。頭部目がけて放った強烈な一撃により、視界が闇に染まった。
◇
目を覚ました時、フィアは既に旅立っていた。俺はアレクシア邸で寝かされていたらしく、起きたらとぼとぼと家に帰るしかなかった。
あいつが言うように、フィアは俺に幻滅したのだろうか。いや、それはきっとない。あいつは頑固で意地っ張りでドジで天然で、そしてどこまでも優しいやつなんだ。
あの時までは、俺という少年の中には希望がいっぱいに詰まっていた。小さい頃の計画では十六歳には冒険者になっていた筈だった。大陸に名を馳せる剣士とか、あわよくば剣聖になっちゃったりして、なんて夢を持っていた。
だが、俺はこれだけはあると信じていた剣の才能でさえ、大したものではなかったらしい。ディランに倒された悔しさでいっぱいになり、隣町で有名な剣士に弟子入りしたんだけど、四年間頑張った末に破門になってしまった。
その間にも、フィアは約束どおりに手紙を送ってくれた。自身の近況や俺はどうしているのかといった質問まで、月に何度か欠かさず届いた。でも、ご両親や他の友人にも送っているそうだから、別に俺は特別じゃない。
でも、小さかった俺にとってフィアは特別だった。誰にも言ってないが、実は初恋の相手でもある。しかし現実は無情だ。向こうでは学園に通っていたらしいし、ディランも一緒みたいだし。そうなると……なんか察しちゃう自分がいた。
聖女となれば普通の男が付き合うことは許されない。それなりに高い身分や実績の持ち主、または剣聖とかじゃないと周囲が許さない。結局のところ、ディランには資格があったという話になる。
遠い存在になった幼馴染の手紙を読んでいる限り、どうやら学園を飛び級で卒業して、ディランのパーティメンバーとして魔物討伐に加わっているらしい。なんて躍進ぶりだろう。元気そうな手紙の内容を見る限り、意外と戦いに身を置くのも悪くないと感じているのかも。
さて……長くなってごめん。ここから冒頭の話に戻そうと思う。まずは聖女となった幼馴染が俺だけに持ってきた、とんでもないお土産の話をしよう。
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