第3話 お別れの朝

「私、明日王都ラグへお引っ越しすることになったの」


 突然言われた一言に、咄嗟に理解できない自分がいた。もちろん初耳だった。


「……え? 引っ越しするの」

「うん。だからあんまり会えなくなると思う。でもね、ちゃんとお手紙書くよ。毎日は難しいけど、毎週、きっと同じ曜日に、」

「ちょ、ちょっと待って!」


 珍しく早口になるフィアを止めた。頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。いきなり明日お引っ越しだって?


「王都ラグに明日行くって、ちょっと急すぎないか」

「そう……だね。今日決まったんだ。私は魔法を学ぶのがすごく遅れてるから、早く行動したほうがいいって、先生が教えてくれたの」

「いくらなんでも、いきなりそんな」


 それから俺は、少しのあいだ何も言えなくなっていた。興奮気味に話しかけていたはずのフィアも、大人に怒られたみたいにしゅんとなって草を見つめている。


 本当にいいのか、それで? 頭の中に強い違和感が湧き上がっていた。やがてフィアは顔を上げると、またさっきの微笑みを浮かべた。急に胸が痛くなってくる。


「でも、王都の魔法教師の人に教えてもらえるんだよ。国王様の知り合いなの。こんな機会はもう絶対ないって、ママが勧めてくれたんだ。だから、私……頑張ってみる」

「そ、そっか」


 まだ十歳だったフィアは、周りよりもずっと早くから頑張ることを義務付けられた。魔法を学ぶのが遅いという先生の話は疑問だったし、何より聖女にさせようと必死になっている彼女の両親に違和感を覚える。


 でもきっとあの頃、フィアにとっては両親が世界のほとんどを占めていたんだ。俺はただの幼馴染であり、ただの村人。しょうがないのかもしれないが、納得はいってなかった。


 だって、フィアは本当は聖女になりたくないはずだ。以前遊んでいたらこう言ったじゃないか。

 自分のことを聖女だなんて自己紹介するのは、恥ずかしいというかむず痒くて死ぬって。


 だけど……きっとこれはしょうがない、そう割りきるしかないとも思う。どんなに小さな俺やフィアが抗おうとしても、潰されてしまう未来は分かりきっていた。


「明日、見送りにいくよ」

「え、ほんと! 嬉しい」


 落ち込んでいた顔が嘘みたいに、フィアは明るく笑う。その後はしばらく雑談ばかりしていた。そろそろ彼女が家にいないことが親にバレるかも、と思ったので残念な気持ちになりつつお別れした。


「じゃあねー!」


 別れ際でも元気に手を振るフィアに、俺は力一杯手を振りかえして答える。この時まではまだ冷静だったと言える。問題はこの後だった。


 ◇


 朝日が登って間もない頃、アレクシア邸は物々しい雰囲気に包まれていた。

 これでも十分過ぎるほど早く来ちゃったかなと思ったんだけど、そんなこともなかったらしい。


 庭には沢山の人が集まっていて、みんな忙しなく準備を進めている。馬車が何台も止まっていて、壮観でビックリするような光景だ。


 どうしてこんなに馬車が止まっているかというと、フィアを護衛するために王都側で準備をしてくれたのだとか。全身を鉄の鎧に包んだ戦士みたいな男達がいっぱいいる。誰を見ても覇気があるというか、村の大人達とは全然違う怖さを感じる。


 ただ見送りに来ただけなのに、どうにも居心地が悪い。誰もが挨拶をしてもほとんど相手にしてもらえなかった。このお金持ち達の中にあって、俺という存在はあまりにも異物だった。気まずいなー、早くフィアに会いたい。


 すると俺のささやかな祈りが通じたのか、焦茶色をした玄関ドアが開き、中からフィアと両親が登場した。その姿に俺はあっと驚く。


 いつもはどこにでもいるような村娘の格好をしている彼女が、今日は淡い水色をしたドレスを纏っていた。


「あ! ジーク! ジークー!」

「お、おはよー」


 しかし、こちらを見つけて駆けてくる姿は、やっぱりいつものフィアだった。でも、両親の視線は何か不思議と冷たく俺に刺さってくる。彼女は普通に抱きついてきた。


「ジークー! お別れするの寂しいよぉっ」

「うん……俺も、俺も寂しい」


 あまりにも唐突に、フィアは泣き出した。そして俺もまた、我慢できずに泣き出してしまう。でも、きっとこの別れは必要なんだろうとも思った。


 そう、あいつが出てくるまでは、俺はこの別れにぎりぎり肯定的ではあったのだ。


「おやおや、どうしたのです。希望の朝は、笑って始めるものですよ」

「……あ……」


 聞いたことのない、若い男の声が背後からした。えんえん泣いていたフィアの体の震えが止まる。俺は少しだけ彼女を離すと、背後に振り返って男を見た。


 短くまとまった茶髪に黒い瞳、体を白いコートで包み、ズボンも靴も白で統一されていた。多分俺たちより二、三は年上な気がした。ずいぶん綺麗な服を着ているけど、この人は貴族の息子だろうか。


 でも貴族の息子だったとしたら、後ろにいる連中を雇ったりはしないだろう。彼の背後には二人いた。一人は金髪を短く刈り上げた、いかにも騎士っていう鎧を着た男だった。


 もう一人は、紫の髪を靡かせた黒いマントの女子。多分この人は、俺たちと同い年くらいかな。切長の目が怠そうにこちらを眺めている。


「ディランさま、お迎えに来てくださったのですか」


 フィアは俺達と遊んでいた時とは違う、しっかりとした敬語で男に話しかけていた。


「ええ、当然でしょう。あなたをお迎えすることも、これからお守りすることも、僕がやらなくちゃいけないことです。この先ずっとね」


 妙な言い回しが心の中に引っかかった。それと、何か不思議と感じが悪い。上手く表現できないけれど、友達にはなれそうにない奴っていうか。


「そちらの方は?」

「あ、はい。ジークです。私のお友達です」

「……どうも」


 ふうん、と言いたげな目つきをしたまま、彼はこちらに近づいてくる。


「これはこれは。僕の許嫁がお世話になっていたのですね。僕はディラン・フォルゲンです」

「……へ? いいなづけって」


 なにそれ? 超初耳なんだけど……!?

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