侯爵令嬢の日常(三)

 ユーロ侯爵家滞在三日目。この日は遠乗りに連れて行ってくれるとの事で、私は栗毛の馬にまたがっている。


 昨日のうちに一応練習はしたし、この子は賢いから勝手にカチュアが乗る黒毛の馬について行く。余程おかしな事をしない限りは大丈夫・・・・・・そう思ってもやっぱり体が硬くなってしまう。


「そんなに緊張しなくていいよ。背筋を伸ばして、肩の力を抜いて。ゆっくり行こう」

「う、うん」


 凝り固まった首を回すついでに後ろを振り返ると、付かず離れずといった距離に三騎の護衛の方々が見えた。いくら腕が立つといっても、侯爵家の娘という身分で単独行動はできないらしい。


 とはいえ領内、それも長閑のどかな丘陵地帯とあって警戒の必要は少ない。護衛の方々も談笑しつつ欠伸あくびをしては体を伸ばし退屈そうにしているので、休憩で軽食を広げたのを機会に少しお話しすることにした。


「カチュアお嬢様がご学友を連れて来られるとは意外でした。幼少の頃より人見知りを案じておりましたゆえ」

「そうそう。いつも我々の後ろに隠れておられた」

「おい、滅多なことを申すな。ご友人の前だぞ」


 それぞれの言葉で軽口を叩いたものだが、カチュアが照れ笑いを浮かべているところを見ると普段から仲が良いのだろう。

 そういえば三人とも若く、二十代前半から三十歳といったところだ。ロシュフォールさん、ネストールさん、バルタザールさんと名乗った三人の騎士はカチュアの護衛を務めることが多いそうで、黒っぽい髪に光が当たるとそれぞれ赤、緑、紫の色彩を帯びるのが面白い。


 私も彼らともう少しお話がしたいと望んだので、五騎は気ままに歩みを進めていくことになった。午後の陽射しの下、馬の背に乗ってなだらかな丘を歩く。

 鳥のさえずり、川のせせらぎ、ひづめの音、草の匂い。これまでの人生で、いやその前も含めて、このように穏やかな時間を過ごしたことなどあっただろうか。




「カチュア様のことは我々も気の毒に思っていたのです。誰とも気軽に話せるような家柄ではなく、幼い頃から剣術ばかりで他家の子弟とも話が合わず、挙句あげくに一人で隣国へ留学とはあまりに不憫ふびんと申し上げた者もいたほどです」


 おそらく最年長であろう、紫色の髪のバルタザールさんがつぶやくように話し始めた。前を行くカチュアの背中を見る目が優しい、子供の頃から彼女を見守ってくれていたのだろう。


「そのカチュア様を訪ねてくださるご友人がいると聞き、我らも喜ばしく思ったものです。ユイ殿、どうかお嬢様をよろしくお願い申し上げます」

「いえ、そんな。私の方こそカチュアに剣術を教えてもらって・・・・・・」

「それに魔術が使えるんですって!?昨日のポーラ少尉との戦いは見事でしたよ!」


 体とご会話に割り込んできたのはロシュフォールさん、赤い髪の巨漢。たくましい肉体と童顔が不均衡にさえ思えるが、無邪気そうな笑顔は人好きがする。


「ええ。今朝やり返されたんですけど」

「あんな奴ですけど、嫌いにならないでくださいね。ユイ殿の来訪を一番楽しみにしていたのはあいつですから」

「そうなんですね。私は好きですよ、あの方」


 嘘ではない。挑発するような物言いについ頭に血が上ってしまったけれど、あれは私に本気を出させるための方便だろう。

 勝負に勝っても負けても後腐あとくされのない気持ちの良い人だし、私を酔い潰したのはともかく、その後は本気で心配していたようだ。剣もお酒も鍛え直してまた勝負を挑みたいと思う。




「着いたよ」


 少し苦労して馬の向きを変え、カチュアと同じ景色を眺める。


 丘から見下ろす石造りの街並み。傾きかけた陽を映す大河の水面みなも。幾重にも連なる白い城壁、その隙間から覗く生命の力にあふれた木々。足元を横切る色とりどりの蝶。しばらく私は言葉もなく立ち尽くしていた。


「私が子供の頃、よく連れて来てもらったんだ。エルトリアの方が自然豊かだから、あまり珍しくないかもしれないけど」

「ううん、ありがとう」


 美しい風景だが、確かに珍しいものではない。エルトリア国内で見た滝壺の町、断崖にしがみつく集落、森に飲み込まれた町、それらに比べれば平凡かもしれない。でも。


「私の夢は巡見士ルティアになって、この世界の隅々まで見て回ることなんだ。見たこともない場所で、知らない物に触れてみたい。今日それが一つかなったよ」


 私が差し出した手をカチュアが控え目に握る。十六歳の少女にしては固くて豆だらけの、でも温かい手。


「それに、カチュアが生まれて育って、今まで見てきた景色を一緒に見ることができた。それが嬉しい」




 私はきっと、再びここを訪れることだろう。また親友と手をつないで、同じ景色を見るために。

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