侯爵令嬢の日常(一)

 見知らぬ地に心躍らせた馬車の旅も、八日目ともなると苦痛以外の何物でもない。


 同じ姿勢を続けていると肩が凝るし、持参したクッションを敷いてもお尻が痛くて仕方ない。本を読めば振動がひどくて気持ち悪くなってしまう。


 それでもエルトリア王国内の四日間は楽しかった。滝壺たきつぼの傍にある水煙に包まれた町、切り立った断崖に点在する集落、岩山をくりいて作られた城塞、町を飲み込んだ森と共存する亜人種や半獣人。辺境に向かうにつれ、未知の世界に足を踏み入れる高揚感が私を包んでいった。


 それに比べると、国境を越えてハバキア帝国に入ってからは少々新鮮味に欠ける旅が続いた。平坦で乾燥した土地ばかりで、街道は石ころと低木だけの風景がひたすら続く。ナイフで切り分けられたように整然とした街並みは綺麗だが、どこの町も同じように見えてしまう。


 旅の記念にと思って書き始めた日記も、最初の四日はページをまたいで挿絵まで書き込まれているというのに、後半の四日は数行で済んでしまっている。ようやく馬車を降りた私は早速「今日もお尻が痛かった」と書き込んだ。


「さて、と。停留所まで迎えに来てくれるはずだけど・・・・・」

「ユイちゃん!!!」


 片道八日の長旅にしては少ない荷物を背中に背負った途端、横から両手を握られて驚いた。


「カチュア!待っててくれたんだ」

「うん。遠くから来てくれてありがとう」

「本当に遠かったなー。こんな遠くから来てたんだね」

「そうだよー。乗って乗って、家まで行くよ」


 黒い軍服姿のカチュアに手を引かれて馬車まで案内され、もう一度驚いた。

 軍学校でも見た黒塗り四頭立ての馬車、その前にカチュアと同じ軍服を着た騎士らしき人が四人整列している。


「ご学友のユイ様ですね。お待ちしておりました」

「ど、どうも。お世話になります」


 黒塗り馬車の乗り心地は、駅馬車とは比較にならなかった。馬車自体に振動を吸収する仕掛けでもあるのか、たっぷり羽毛が詰まった分厚いクッションのおかげか、それとも無事友達に会えた高揚感のせいか。


 さらに家に案内されて三度みたび驚いた。これは『家』ではない、『城』だ。木々に囲まれた総煉瓦レンガ造り四階建ての建物、私達が通うジュノン軍学校よりも二回りは大きいだろう。そのアーチ形の窓を数えようとして二十でやめた。


 質実剛健というのだろうか、装飾のたぐいが極めて少ない実用的な城だ。水が満たされた堀、それをまたぐ跳ね橋、胸壁にはいしゆみまで備え付けられている。使用人の方々までどこか凛とした振舞いで、武名高い侯爵家の品格が隅々まで行き渡っているようだ。


 手短てみじかにご両親への挨拶を済ませると早々に荷物を取り上げられ、カチュアと侍女の方々に追い立てられるように沐浴もくよく場に連れて行かれた。宴の準備をするとの説明もそこそこに、あっという間に裸にかれて湯船に放り込まれる。


「ぷはー・・・・・・なんだかあわただしいね」

「ごめんね、かしちゃって。支度に時間がかかると思うから」

「それにしても凄いお城だね。軍学校の生活は不自由じゃない?」

「そうでもないよ、必要なものは揃ってるから。それにこっちの方が訓練が厳しくて・・・・・・」

「ええ!?軍学校より?」

「うん・・・・・・」


 大理石の湯船いっぱいにお湯が張られている。軍学校のお風呂と比べれば少し小さいが、これを二人で使えるなど贅沢極まりない。


「ユイちゃんの傷、だいぶ薄くなったね」

「うん、もう治らないと思ってたよ。カチュアは・・・・・・もしかして傷が増えた?」

「そう。学校から帰ったら『腕がなまってる!』って怒られて、特訓されたの」

「ええ・・・・・・」


 私達はお互いの体の傷を覚えている。別に変な意味ではなく、軍学校で一緒に自主練することが多いため自然とお風呂の時間も一緒になるからだ。


「ユイちゃん、あまり髪のお手入れしてないでしょ?」

「うん。別に気にしてないけど」

「お肌もそう。せっかくだから全部綺麗にするよ」

「そんな事しても私なんて・・・・・・」


 お風呂から上がると侯爵令嬢カチュアが手づから髪をいてくれ、侍女の方々が何やら顔をいじくり回す。

 こんなことをしても私など、つい一年前まで虐待と貧困でその日を生きるのが精一杯だった身だ。外見を磨く余裕などありはしなかった、今さら取りつくろったところで・・・・・・


「できたよ」


 ・・・・・・これは魔術だ。あまりにも進歩した科学は魔法に等しいというが、化粧という技術も魔術に等しい。世の女性達がこぞって化粧に時間とお金をつぎ込む気持ちが、ようやく理解できた。あの貧相でぎょろりと目ばかり大きい、老婆のような小娘がこうなってしまうのだから。


 そしてドレスと胸パッドにコルセット、これは詐欺だ。こんな豊かさとはかなさを両立させた体型など実在するわけがない。世の男性達は一人残らず魔術と詐欺にだまされているのだ。


 まっすぐに伸びた銀色の髪を肩の後ろまで下ろし、瞳と同じ翠玉色のドレスをまとった私をあらゆる角度からながめたカチュアは、うんうんうんうんと満足そうに四度頷き、見たこともない跳ねるような足取りで部屋を出ていった。


「お待たせ。広間まで案内するね」


 やがて現れたカチュアは、引き締まった細身の体をすみれ色のドレスで控え目に飾り、謙虚、純粋、可憐、誠実、それはもう花言葉通りのつつましい美徳にあふれていた。


「カチュア~!可愛いなぁもう!知ってたけど!」

「ちょっと、落ち着いて。慣れないと歩きにくいから気を付けてね」


 鷲獅子グリフォンの浮彫りが施された両開きの扉が開かれ、大広間で歓談していた人々が振り返った。軍服の騎士風の方や着飾った女性など、二十名余りはいるだろうか。


 改めてご両親に挨拶を済ませ、カチュアからの紹介を受けて進み出る。私がこんな場所で挨拶するなど場違いもはなはだしいが、こうなってはもう仕方ない。


「カチュアの学友のユイです。エルトリアより参りました、どうぞお見知りおきください」


 無難な言葉を選んで一礼しただけだというのに、力強い拍手と歓声に包まれてしまい身を縮める。

 綺麗に着飾らせてもらったとはいえ中身は貧相な田舎娘だ、何をどうして良いのかわからない。すぐに大柄な騎士のみなさんに取り囲まれ、見上げるばかりになってしまった。


「いやあ、カチュアお嬢様がご友人を連れて来るとは驚きです!」

「まったくまったく。同じ年頃の子と遊ぶこともありませんでしたからな」

「どうです、お嬢様のご様子は。少しは息抜きされていますか?」


 みな体も大きければ声も大きい、動作も力感に満ちている、そしてお酒をあおる早さも尋常ではない。そしてそれ以上に伝わって来るのだ、カチュアが皆から愛されていることが。


 私もつい嬉しくなって、勧められるままに酒杯を重ねてしまった。特産だという芋から作られた蒸留酒は微かな甘さが心地良く、いくつかの品種を飲み比べているうちに視界がぐるぐると回りだしてきた。


「ちょっとユイちゃん、大丈夫?飲みすぎちゃった?」

「らいじょうぶじゃない・・・・・・」

「もう休ませてもらおう。明日の早朝訓練が辛くなっちゃうよ」

「らにそれ。そんなの聞いてない・・・・・・」

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