銀色の旅程~転生先は幸薄い女の子~

田舎師

第一章 私の人生はここから始まるんだ

私の人生はここから始まるんだ(一)

 銀髪碧眼の美しい女の子に転生したと知ったとき、「私」の人生はここから始まるんだ。そう思った。


 なにしろ「俺」の人生は大変だった。就職難、圧迫面接、勧奨退職、二重派遣、派遣切り、新卒優遇、待遇格差、無給残業、およそあらゆる社会的不公正を味わった末に辿り着いたブラック企業で終わりのない過重労働。


「俺」の名前も最期の記憶も定かではないが、「十一時から会議?今十一時半ですけど・・・・・・」「十一時っつったら夜十一時に決まってんだろ」という会話で頭のどこかが弾けたような気がする。絶望のあまり自席で力尽きたか、屋上から飛び降りたか、電車に飛び込んだか、いずれにしてもろくな最期ではないだろう。


 そしていつの間にか始まっていた「私」の人生も、それ以上に辛い記憶となった。

 殴る蹴る、火であぶられる、食事を与えられない、酒瓶で殴られる、髪をつかんで引きずられる、雪の中に放り出される、両親からおよそ思いつく限りの虐待を受けて育った。

 みどり色の大きな目は落ちくぼみ、銀色の髪はばさばさに乱れ、身体はあばらが浮いてあざだらけ、生傷だらけ。一見すると少女ではなく病み衰えた老婆のようだ。


 でも、そんな日々も明日で終わる。十五歳の誕生日を迎えれば、エルトリア王国法第六条により就職、結婚、移動、宿泊、住居、飲酒、あらゆる自由が与えられるのだ。今度こそ私の人生はここから始まるんだ。




 私は欠けた陶器の皿を洗い終えると、まだ葡萄酒を飲み続けている両親に深々と頭を下げた。


「お父様、お母様、おやすみなさい」


 返事はなかったが、酒瓶が飛んでこなかったので今日は上機嫌なのだろう。旅立ちの前に傷が増えなくて何よりだ。


 ぼろぼろに崩れかけた木の扉を開け、後ろ手に閉めて大きく息を吐き出す。硬い土の上を三歩も歩けば石壁に突き当たるこの狭い空間が今の私の全てだ。


「天に瞬く光の精霊、来たりて闇を照らせ。【照明ライト】」


 川で拾った石英の原石に手をかざすと、淡い光が灯った。私は七歳のときに拾った「基礎魔術指南書」のおかげで魔術と呼ばれる力を使うことができる。


 光に映し出されたのは木箱を並べて作った寝台、もう十年以上は使っている毛布、寒いときその上に乗せるわら、裾が裂けた着替えと破れた下着。私は毛布をめくり、木箱の蓋を開けた。


『今すぐ役に立つ応急処置』

『女性のための剣術教本』

『食べられる野草図鑑』

『基礎魔術指南書』

『やさしいよみかき』


 ぼろぼろという言葉では足りないほど崩れ壊れ、ページの順番さえ定かではない数冊の本。これが私の宝物であり、命の恩人だ。でも明日の旅立ちにはこの子達を連れて行くことができない。ごめんね、今までありがとう、と一冊ずつ手に取り表紙を撫でる。


「しかし買い手がついてよかったわね。不細工だから売れないかと思ったわ」

「生娘はそれだけで価値があるからな。客を取らせないで良かったな」


 隙間だらけの扉のむこうから両親の言葉が漏れ聞こえてきた。どうやら私は明日の夜、奴隷商人に売られることになっているらしい。


 父の言葉の半分は嘘だ。父に限らず男の人に襲われたことは両手両足の指では数えきれない。【施錠ロック】、【苦痛ペイン】、【睡眠スリープ】といった魔術を習得していなければ私は純潔ではいられなかっただろう。


『魔術の才は遺伝によるところが大きく、初級魔術を修めることができる者は千人に一人、中級魔術は一万人に一人、上級魔術に至っては十万人に一人と言われている・・・・・・』


『基礎魔術指南書』から序文のページが抜け落ちた。さんざんお世話になった本だが、この部分には異論がある。


 この本に照らし合わせると、どうやら私は魔術の才に恵まれてはいないらしい。通常一ヵ月で修得できるはずの技術に三ヵ月を要したほどだ。にも関わらず初級魔術、どころか極一部の上級魔術さえ使うことができる。ならば魔術の才能はすべての人にあるが、初級魔術を使えるようになるまで努力を重ねた者が千人に一人しかいないのではないか、というのが私の持論だ。


 努力。前世で酷い目に遭ったのは運の影響もあったかもしれないが、自分が限界まで努力したかと言われればそうではない。厳しい時勢でも起業して成功を収めた同級生、上場企業の役員に上り詰めた友人、果ては数億円の年俸を得るに至った競技者アスリート。彼らは不断の努力と工夫の末に成功を勝ち取ったのだ、「俺」が心折れ力尽きたのは自分の努力不足と言われても仕方ない。


 だから「私」は努力した。


 文字を土に書いて読み書きを学んだ。捨てられた本を拾い集めて何度も何度も読みふけった。剣に模した棒切れを血豆が破れるまで振り続けた。魔術に使われる特殊な文字も自分で解読した。殴られ蹴られこき使われながら、環境を言い訳にせず、誰に頼ることもなく。もしもう一度生まれ変わることがあってもこれほどの努力は二度とできない、そう言い切れる。


 だから「私」は幸せになっていいはずだ、こんな場所で不幸なままでは終われない。

 それに「俺」は子供ではない、巣立つ準備はもう整えてある。




「お父様、お母様、行って参ります」


 食卓に散らかっていた皿やグラスを片付け、洗い物を済ませると、私は寝室に向かって一礼した。

 まだ夜も明けきらぬ時間だ。まだ眠っているに違いないが、挨拶を忘れた日に万が一父親が起きていようものなら機嫌を損ねて蹴り飛ばされることになる。


 静かに玄関の扉を閉め、向かう先は町外れの牧場。乳牛に餌を与え、体を洗い、乳を搾り、子牛に乳を飲ませ、放牧している間に牛舎の掃除をする。

 長閑のどかな牧場のお仕事、などというものではない。まだ朝は寒いし、川の水は冷たいし、搾った牛乳は重いし、仕事が終わる頃には糞尿まみれだ。どんなに洗ってもこすっても着替えても匂いが取れない。でも。


「今日までありがとう。あなた達のおかげで助かったよ」


 ミルティと勝手に名付けた乳牛の頭を抱き締めると、気持ち良さそうにすり寄ってきた。

 私が今日まで生き延びられたのは、この子たちが毎日出してくれる牛乳のおかげだ。お腹いっぱいに飲めば一日くらい食事をもらえなくても何とか耐えられる。もし飲んでいるところを見つかれば牧場主にしこたま殴られるのだけれど。


 近くの川で汚れた体と衣服を洗い着替えを済ませると、ようやく起きてきた牧場主から今日の給金を渡された。百ペル銀貨が二枚。十五歳未満の労働は手伝いと見なされ、どんなに働いても大人の半額というのが相場だ。これだけでは両親の酒代にも足りず、当然私の食べ物など買えるはずもない。


「今日までありがとうございました」


 ミルティに向けた百分の一ほどの誠意を込めて牧場主に挨拶を済ませ、次の目的地に向かう。


 いつもならじゃがいも農家の手伝いに行くところだが、今日は違う。

 町の中心部にある煉瓦レンガ造り二階建ての大きな建物、冒険者ギルド。冒険者とは軍の力を借りるまでもない下級妖魔を討伐したり、隊商の護衛を請け負ったりする者達のことで、ギルドとは彼らに依頼を仲介したり利害を調整したりする組織のことだ。


 痩せ細った私には大きく重すぎる扉を開け、カウンターの奥に向けて声を掛ける。


「失礼します。レナータさん、いらっしゃいますか?」

「待ってたよ、ユイちゃん。書類は用意できてるからね」

「ありがとうございます。お世話かけます」

「いえいえ。それじゃ行こうか」


 そう。私はユイという名前だ。前の世界では「ただ一つ」や「結ぶ」を意味する良い名前だと思うが、両親も雇い主もみな「おい」とか「こら」とか「おまえ」とか「あいつ」などと呼ぶので、名前で呼んでくれるのは世界にこの人だけだ。

 事務員レナータさんは豊満な身体を揺らして市街地を歩き、貧相な身体の私がそれに続く。いよいよこの時がきた、緊張で手に汗がにじむ。


「ここだね?」

「はい」


 短く答え、自宅の古い木の扉を押し開ける。正午に近い時刻だというのに母が寝間着のまま葡萄酒をあおっていた。父は今日も賭博場に行ったのだろう、予想通りだ。


「ただいま戻りました。今日のお給金です」

「あん?これだけかよ、農家の手伝いはどうした」

「お母様、今日までお世話になりました。お父様にもよろしくお伝えください」

「何言ってんだてめえ!また殴られたいのかい!」


 既にかなり酔っているのか目の焦点が定まらず、進み出たレナータさんにようやく気付いたようだ。


「ユイさんは今日で成人されました。エルトリア王国法第六条『成人の条件と権利および義務』に定められた権利により、アカイア市冒険者ギルドが身柄を引き受けます」

「誰だてめえ。こいつはまだ十四歳だよ、誕生日は明日だ」

「いいえ、こちらを御覧ください。既に成人証明書と冒険者ギルドの身分証が発行されています」


 これが私の作戦だった。本当は十五歳の誕生日は明日だが、冒険者を志望する旨と虐待の事実をレナータさんに伝えたところ行政府に掛け合ってくれて、「緊急かつ特別な事情ありと認め」今朝には成人証明書が届くよう手配してくれたのだ。


 行政官のサイン付きの書類を提示された母は何やら意味不明なことをわめき散らし証明書を奪い取ろうとしたが、豊満な事務員は意外にも軽く身をかわし、とどめの一言を投げつけた。


「これは行政府発行の正式な書類です。当然ながら発行記録も残っていますし、みだりに破損させた場合は王国法九条『公式書類の記録とその取扱い』により罰せられます」


 母はなおもわめき散らし暴れ回ったが、私達は構わず立ち去り扉を閉めた。何かが扉に当たって砕けたようだが、もはや知ったことではない。


「レナータさん、色々ありがとうございます」

「いいのよ。さあ、戻って準備しようか」

「はい!」




 数刻の後、古いが手入れの行き届いた革鎧と小剣、厚手の衣服を身に着けた私は鏡の前でくるりと一回転した。

 いずれも少しずつ貯めた保証金で借りたギルドの備品だ。この痩せ細った貧相な身体には違和感がはなはだしいが、経験を積めば似合ってくるだろう、たぶん。


「ユイちゃん、ラゴスさん達が来たよ。用意できたら下に降りてきて」

「はい!」


 レナータさんは事前に、ギルドの依頼と共に未経験の私を引き受けてくれる仲間を募集してくれていた。今回の依頼内容は山間部に巣を作り家畜を襲った小鬼ゴブリンという下級妖魔数匹の討伐、仲間は男性の戦士二人と女性の魔術師一人だそうだ。依頼や人数構成がどうだろうと構わないと思っていたが、やはり同性が一緒というのは安心だ。


 どんな人達だろう、やはり私と同じような若者ばかりなのか、それとも未熟者を受け入れる余裕のある方々なのか。私は期待に胸を弾ませて階段を降り、深々と頭を下げた。


「お待たせしました、ユイと申します。今回はよろしくお願い致します」

「おう、さっそく行くぞ」


 短い返事だった。褐色の肌をした逞しい禿頭の中年男性、この人がラゴスさんだろう。後ろに背の高い痩せた男性と黒い外套ローブをまとった小柄な少女もいるが、一言も発しない。


「あ、はい。レナータさん、行ってきます」

「うん。気を付けてね」


 重そうな胸を受付のカウンターに乗せた事務員は心配そうな目を向けてくる。それはそうだ、下級妖魔が数匹といえど油断はできないし、道中も野獣や魔物などに襲われないとも限らない。


 しかし何だろう、常々思い描いていた旅立ちとは少々異なるようだ。未熟な若者同士で希望に満ちた言葉と握手を交わし、世間話でもしながら依頼内容を確認し、準備を整えていよいよ出立・・・・・・などという光景は現実には無いのかもしれない。


 ともかく私の旅は始まった。期待よりもはるかに大きく膨らんだ不安と違和感に首を傾げながら。



  ◆


第一話をお読みくださり有難うございます。

第三話までが一区切りとなっておりますので、引き続きお読み頂けると幸いです。

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