夏の訪れに彼女は泣いた

夏川 流美

1.蝉の声に

 やけに蝉が五月蝿いな、と上を向いた。校舎の側にそびえ立つ大木。目を細めて睨みつけていると、長く伸びた枝の青々とした葉っぱに隠れてヤツはいた。


 ああ、くそ。耳につく。


 そんな乱暴なことを思いながら、授業に遅れることを危惧して腹立たしい気持ちを抑え込み、目線を下ろした。



 そして目線を下ろした先に、窓からこちらを見ていた1人の男子がいた。大木に最も近いその部屋は、この高校の保健室。彼はベッドに座って、じっと私のほうを見つめていた。


 ぼっちで上を見上げているなんて、変なところを見られてしまった。


 すぐに顔を伏せ、居心地の悪さを感じながら体育館に早足で向かう。道中で、彼の様相を脳裏に浮かべて、はっと思い出した。恥ずかしさに気を取られて気付かなかった。彼は、前の席の小山怜コヤマレイだ。





 授業を終えてクラスに戻ると、なんてことない顔をして小山は居た。ずっとここに居たけど何か? とでも言いそうな顔。後ろから私を抜かした男子数名が、小走りで絡みに行った。


「お前、なんで体育来ないんだよっ」


 怒ったフリの冗談に、小山が表情を崩して笑う。


「ごめん、ダルくてさぁ? 先生には内緒で頼むわ」


「んだよ、サボりかよ! 内緒にしてやるから、購買でパン1個奢れよ?」


 今月金ねぇのに……とぶつぶつ文句を言いながらも、どこか楽しそうにしている小山。サボってパンを奢らされてるのは、いささか面白いなと人知れず思いながら自分の席に着いた。



 机の中から教材を取り出し、次の授業の準備していると、突如小山が体ごとこちらに振り向いた。絡んでいた男子達はどうやら席に戻ったようだ。


「ねぇ、さっき蝉見てた?」


 小山は同じクラスになった時から度々話しかけてくれる人で……というよりも、誰にでも優しく気軽に話しかけてくれる人であった。


 だから、こうして話しかけられること自体は良いのだが、さっきの蝉を見ていた場面を掘り返されるのは恥ずかしかった。授業の準備が進んでいないように見せかけて、目を合わせないまま「見てたけど」と素っ気なく返答した。


「やっぱり。俺もさ、サボって保健室で寝よーって思ってたのに、あそこにいた蝉のせいで全っ然寝らんなくてさ」


 参ったよ、と小山は笑う。


「どんまい。サボるからそういう目に遭うんだよ」


 釣られて私も笑いながら言い返した。すると、それはそれは悔しそうな顔を見せて「あと1時間ズラせば良かった」と真面目に言い出すので、もしかしてこの人は結構おバカなんじゃないか。


 そんなことを思いつつも、小山のあまりの悔しがり方に、私はお腹がちょっと痛くなるくらい笑った。

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