第181話 本当に欲しいもの

「すっごく美味しかった。ありがとう、海斗」

「いえいえ」


 晩飯を摂り終えてからすぐにデザートを食べたので、苺のムースは一個で限界だったらしい。

 ご満悦の表情からすると、明日以降も食べてくれるだろう。

 凪のお礼に笑みを返して立ち上がる。


「さてと。ささっと風呂に入りましょうか」

「うん。今日も海斗の体を綺麗にするね」

「ありがとうございます。代わりに、凪さんの体は俺が綺麗にしますよ」


 凪と一緒に風呂に入り始めてから、体を洗ってもらうのが当たり前になった。

 何度も体を重ねていても恥ずかしいし、凪も羞恥心を無くしていないようで、風呂に入る度に顔を赤らめている。

 それでも辞めないのは、洗ってもらうのが気持ち良いからだろう。

 勿論海斗も同じ気持ちであり、そのせいで盛り上がる事もあるのだが、流石に毎日ではない。

 それに、まだ二つ目のプレゼントを渡していないのだ。

 海斗の予想が正しければ万が一の可能性も考えられるので、必死に理性を抑えなければ。

 そう決意しつつ着替えを取りに行き、凪と一緒に風呂に入った。


「はふー。それじゃあ髪をお願いね」

「了解です」


 風呂上りで湿った銀髪へと、ドライヤーを当てる。

 当然ながら一緒に風呂に入ったので、海斗の髪は完全に乾いていない。

 今までなら交代で乾かせたが、残念ながら以前と同じ事は出来なくなっており、唯一の弊害と言っていいだろう。

 それに気づいた当初は日によって交代しようと凪が提案したものの、却下した。

 凪は女性だし、綺麗な銀髪なのだ。男の海斗よりも優先するべきだろう。

 なので凪の提案を却下し、彼女の髪をしっかりと手入れしている。


「よし。終わりです」

「なら次は海斗だね」

「……あんまり意味がないと思いますが、どうぞ」


 凪に背を向ければ、海斗の髪に細い指先が触れた。

 いくら凪の髪が短く、手入れにあまり時間が掛からないとはいえ、ドライヤーで乾かすだけでは終わらない。

 結果として手入れを終える頃には海斗の髪が殆ど乾いてしまっている。

 それでも凪は整えたいようなので、好きにさせていた。


「うん。これで多分大丈夫」

「ありがとうございます。それじゃあ――」


 いつもならここからソファに行くか、ベッドに行くか、それともこのまま海斗が膝枕されるかが、凪の気分で決められる。

 だからこそ、このタイミングが二つ目のプレゼントを渡すのに一番適しているかもしれない。

 不安が胸に渦巻くものの、それでも風呂の準備ついでに部屋着のポケットに入れていた紙切れを取り出す。


「つまらないものですが、どうぞ」

「つ、つまらないもの? えっと……。『何でも言う事を聞く券』?」

「はい。二つ目のプレゼントのお返しが、こんな物ですみません」


 美しい顔を困惑に彩らせつつこてんと首を傾げる凪に、苦笑を向ける。

 凪はバレンタインデーの時に、自らをプレゼントにした。

 そんな素晴らしくも一度きりのプレゼントに釣り合う物など、存在しない。

 なのでかなり悩んだ結果、子供のようなお返しになってしまった。

 深く頭を下げれば、髪が大きく揺れる程に凪の顔が左右に振られる。


「こんな物なんかじゃない! これは、最高のお返し」

「だったらいいんですけど」


 歓喜に満たされた凪の表情に、胸の内に淀んだ不安が無くなっていく。

 安堵の溜息をつくと、彼女が期待に瞳を潤ませて海斗を見つめた。


「えっと、その、これって本当に何でもいいんだよね?」

「一応は。でも物理的だったり、金銭的に不可能な事は無しでお願いします」

「勿論そのつもり」


 凪の性格上、身体的に無理だったり高価な物を欲しがる事はないと思うが、流石に釘を刺しておかなければ。

 とはいえ彼女もそれは理解していたようで、当然という風な表情で頷かれた。

 その後、凪は大きく深呼吸し、意を決したような表情で口を開く。


「なら、海斗の未来をちょうだい」

「未来、ですか? 俺達って許嫁ですし、そんなの今更でしょう?」


 海斗達は普通の恋人ではない。絶対に有り得ないが、別れるという選択肢がないのだ。

 それはつまり、海斗の未来が凪に、凪の未来が海斗に与えられているようなものだろう。

 受け取っているはずのものを何故欲しがるのかと首を傾げれば、凪が僅かに顔を俯ける。


「そう、だけど、改めて欲しいなって思ったの」

「よく分からないですけど、今この瞬間の俺も、これからの俺も、全部全部凪さんのものですよ」


 女心は理解出来ないが、ホワイトデーという少し特別な日に、改めて決意表明して欲しいのかもしれない。

 そう解釈し、胸の内にある大前提を胸を迷う事なく口にした。

 安心出来たのか、凪の表情がふにゃりと緩む。


「約束、だよ。代わりに、私の全部を海斗にあげる」

「ありがたくいただきますね」


 高校生の時点で将来の相手すら縛られている、ある意味では歪な関係。

 しかし初めから歪な関係だった海斗達にとって、これほど素晴らしい関係もないだろう。

 決して独りになどしないと、大切にすると、決意と共に凪の存在を受け止めた。

 ふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべた凪は、紙切れを大事そうに胸に抱いて立ち上がる。


「じゃあ次だけど、今すぐに海斗が欲しい」

「……はい? 次? 今すぐに?」


 妙に色っぽい凪の微笑に、何だか場の空気が変わった気がした。

 背中がぞくりと震えたがあえて無視して尋ねると、凪がくるりと身を翻し、自室へと向かう。

 ちらりと振り返った彼女の澄んだ瞳は、楽し気に細まっていた。


「だって『これ』には一回だけっていう条件なんて無かったでしょ?」

「いやまあ、確かにそうですけど」

「それに、今日はホワイトデー。バレンタインデーの時は私があげたんだから、今度はもらわないと、ね」

「一応予想はしてましたが、本当になるとは…………」


 どうやら、頭の片隅で考えていた万が一の可能性が当たっていたらしい。

 拒否する理由もなく凪の後についていき、彼女の自室に入った。

 嗅ぎ慣れている甘い桃の匂いが、ベッドの上でこちらへと手を広げる凪が、海斗の理性を溶かしていく。


「今日は寝かせないからね」

「そういうのって男の台詞な気がしますが、まあいいです。望む所ですよ」


 こういう時であっても、海斗は凪に引っ張られるらしい。

 この先、高校を卒業しても、大学生になっても、社会人になっても、ずっと凪には敵わないのだろう。

 嬉しくはあるものの男の威厳がないなと苦笑しつつ、ベッドへと上がる。

 海斗の予想通り凪に押し倒され、あっという間に視界が整い過ぎている顔で埋め尽くされたのだった。

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