第114話 いつかやりたい事
「上がりました」
博之や桃花、そして凪とリビングでゆっくりしていると、渚が入ってきた。
ピンク色のパジャマ姿は、抱き締めたくなる程に可愛らしい。
「渚、こっちにおいで」
「はい! よろしくお願いします!」
カーペットに座って渚を手招きすれば、はしばみ色の瞳が輝いた。
とてとてと小走りにやって来たので、余程楽しみにしていたようだ。
「それじゃあ今度は私が入ってくる。お風呂から上がったら私もお願いね」
「勿論ですよ。なので、しっかり温まってくださいね」
小柄な背中に声を掛ければ、ちらりと振り返って微笑まれる。
ゲームの時は熱くなっていたので例外だったらしく、凪は先程までの独占欲を抑えていた。
優劣を付けたい訳ではないが、全力で凪の髪も乾かそうと決意して渚へと視線を向ける。
「髪を乾かす時に決めてる事はある?」
「特にないので、お兄様のやり方にお任せします」
「分かったよ」
習慣になっている事がないのか、それとも海斗を気遣ってなのかは分からない。
しかし完全に委ねられたのなら、いつも通りにやらせてもらおう。
ドライヤーから温風を出し、少しずつ美しい黒髪を乾かしていく。
「んー。気持ちいいですぅ……」
「それなら良かった。リラックスしていていいからね」
「はぁい」
腰まである黒髪は凪に負けず劣らず艶があり、多少湿った状態でも素晴らしい手触りだ。
凪よりも手間は掛かるが、全く苦ではない。
凪と同じように、渚が全幅の信頼を海斗に向けているのもあるだろう。
「髪を乾かすのも手慣れているねぇ」
「海斗くんも普段から凪にやってあげてるのかしら?」
「……まあ、そうですね」
既に凪に髪を乾かしてもらっているのがバレているのだから、ここで嘘をつく必要もない。
とはいえ恥ずかしいのと、万が一ではあるが怒られるかもしれないという恐怖で頬が引き攣る。
海斗の心配は杞憂だったようで、博之と桃花が嬉しそうに目を細めた。
「本当に二人は仲がいいね」
「これからもやってあげてね」
「は、はい」
「……お姉様、ズルいです」
ドライヤーの音に紛れ、微かに声が聞こえた気がする。
気になって渚の顔を覗き込めば、可愛らしい顔立ちが不満の色に染まっていた。
「渚?」
「お姉様は、毎日こんなに素晴らしい事をしてるんですよね?」
「まあ、そうだね」
「……本当に、ズルいです」
姉との壁が無くなったからこその、遠慮のない嫉妬。
その裏に潜んだ願いを叶えてあげたくはあるが、それは流石に出来ない。
だからこそ今だけは楽しんで欲しいと、少し乱暴に美しい黒髪を撫でる。
今までとは違った撫で方に、渚がきょとんとした顔で振り返った。
「お兄様、どうしたんですか?」
「毎日は出来ないけど、こういう時は出来るよ。だから、今は気にしないでいいんじゃないかな」
「でしたら、偶に泊まりに来てくれますか?」
期待に染まったはしばみ色の瞳が眩し過ぎて、素直に頷けない海斗の胸に罪悪感が沸き上がる。
とはいえ毎週西園寺家に泊まるのは迷惑が掛かるので、仕方がないのだが。
博之達は喜びそうだが、海斗の心が耐えられない。
「まあ、偶にはね。それか、渚が凪さんの家に泊まりに来た時でもいいけど」
「でしたら絶対に行きます! いいですよねお父様、お母様!?」
「ええ」
「もちろんだよ。その時は渚をよろしくね、海斗くん」
大切な娘を二人も任されたのだから、海斗の責任は重大だ。
けれど逃げるつもりはないと胸を張り、二人へと返事をする。
「はい、分かりました」
「お兄様お兄様、続きをお願いします!」
「了解」
嫉妬は無くなったのか、渚が満面の笑みで催促してきた。
やはり、彼女や凪には笑顔が似合っている。
笑顔を取り戻せて良かったと安堵しつつ、気合を入れて渚の髪を乾かすのだった。
「海斗、上がったよ」
「じゃあこっちに来てください」
渚の髪を乾かし終えて暫く経ち、今度は凪がリビングへ戻ってきた。
娘が海斗の前に座ったのを確認すると、今度は博之と桃花が同時に立ち上がる。
「さてと、それじゃあ僕達も入ってくるよ」
「皆はゆっくりしてね」
「……二人で、ですか?」
風呂に入るなら一人ずつだと思ったが、博之達は明らかに一緒に入ろうとしている。
確認の為に尋ねれば、二人が何の迷いもなく頷いた。
「ああ、そうだよ。習慣みたいなものだ」
「いつもの事だから、気にしないでね」
最近あまり態度に出なかったが、一番最初会った時は二人して惚気ていたのだ。
ならばこの程度、日常茶飯事なのだろう。
ちらりと凪や渚を見れば、凪は僅かに顔を俯けて考え込んでおり、渚は全く動じていない。
海斗が気にしても仕方がないと、苦笑を浮かべて頷く。
「…………はい」
パタリと扉が閉まり、三人だけになった。
取り敢えずは凪の髪を乾かそうと、彼女の顔を覗き込む。
「ドライヤーを掛けますが、いいですか?」
「その前に、海斗は家でああいう事したい?」
「ああいう事、とは?」
「お父さん達みたいに、一緒にお風呂に入りたい?」
「ごふっ!?」
凄まじく心臓に悪い提案をされ、
先程から何かを考えていたようだが、博之達の行動を凪と海斗に当てはめていたらしい。
必死に息を整えていると、凪が眉をへにょりと下げて海斗の背中を擦ってくれる。
「だ、大丈夫? ごめんね?」
「いえ、まあ、大丈夫ですけど、どうしてそんな提案を?」
「……海斗となら、ああいうのもしてみたいなって」
博之達に何も言わなかったので、二人のああいう姿は凪が居た頃からだったのだろう。
それを改めて目で見た事で、ある意味最高の提案を口にしてしまった。
とはいえそれが何を意味するのかはしっかり理解出来ているらしく、風呂上りとは思えない程に頬が赤くなっている。
「したくないと言うのは嘘になりますけど、それは追々でお願いします」
本音を言えば、明日からでも凪と一緒に風呂に入りたい。
けれどそうなった場合、海斗は間違いなく暴走する。
今の宙ぶらりんな状況でそうなるのは流石によろしくないので、断腸の思いで遠慮した。
流石に今すぐは恥ずかしいのか、それとも状況を考えてなのか、凪が小さく頷く。
「分かった。じゃあいつかしようね」
「……はい」
その時は海斗の理性が試されるのだろうなと思いつつも、楽しみなのも間違いない。
頬を緩めて頷き、息を整える為に床に置いていたドライヤーを握る。
「ほら。髪を乾かすので後ろ向いてください」
「はーい」
ご機嫌に返事をした凪がくるりと海斗に背を向けた。
いつも通りの流れなので、海斗の手は淀みなく動く。
美しい銀髪を手入れしていると、ソファに座っていた渚の「……あれ?」という不思議そうな声が聞こえた。
「渚、何かあった?」
「いえ、ちょっと気になる事がありまして」
「気になる事?」
「はい。ですが、お姉様の髪を乾かしてからで構いませんよ」
「じゃあ先にこっちを優先するよ」
渚が急ぎではないというなら、その言葉に甘えさせてもらう。
その後、凪がご機嫌に体を揺らして乾かされるがままになっているのを、渚は少し羨ましそうに見ていた。
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