第72話 女子会

「ふわぁ……」


 遊びが終わりテンションも落ち着いた事で、一気に眠気が襲ってきたらしい。

 凪が口元を隠し、上品な欠伸あくびを零した。

 初めて見る凪の眠たげな姿が可愛らしく、海斗の唇が弧を描く。


「もう日付が変わりますし、寝ましょうか」

「大丈夫、まだ起きてられる」

「別に無理して起きる理由はな――」

「じゃあ凪ちゃん先輩、私と女子会しましょう! 勿論、いつでも寝られる準備をしてからですが」


 海斗の言葉を遮り、美桜が満面の笑みで提案した。

 連絡先を交換している二人だが、面と向かってしか話せない事もあるのだろう。

 提案はしたものの、どうせ明日も休みなので、無理に凪を寝かしつける必要はない。

 それに美桜の言葉に凪の瞳が輝いたのだから、余計な口を挟んでは駄目だ。


「うん、やりたい。いい、海斗?」

「はい。なら早速準備しましょうか」

「分かった」


 こういう場合に男一人は肩身が狭いなと思いながら、三人で歯磨き等の寝る準備を行う。

 すぐ傍で美少女二人が歯を磨いたりしている光景に、今更ながらに凄い状況だと実感する。

 とはいえ何か起きる訳もなく、あっさりと準備を終えた。


「それじゃあ俺はリビングで寝るよ。おやすみ、二人共」

「え、でも……」

「女子会、するんでしょう? 俺が近くに居るのはダメじゃないですか」


 凪の事なので一緒の場所で寝ればいい、と思っていそうだが、流石にそれは駄目だ。

 先程の提案をダシにして顔を曇らせる凪を説得するが、彼女の顔は晴れない。


「……そう、だけど」

「大丈夫ですよ。こっちの事は心配しないでください」


 この時期に床で寝るのは流石に辛いのでソファを使わせてもらうし、ブランケットもあるのだ。

 暖房をしっかり効かせれば、寝辛かったり風邪を引くことはない。

 柔らかな微笑みを向ければ、凪がおずおずと口を開く。


「折角のお泊りなのに、美桜とばっかり楽しんでごめんね」

「俺は二人が楽しく遊んでるのを見られただけでも満足ですよ。謝る必要なんかありません」


 どうやら凪は、遊びも含めて海斗を殆ど除け者のようにしたのを気にしているらしい。

 別に除け者にされたとは思っていないし、見ているだけでも楽しかったので不満などない。

 それに、学校でも有名な二人のパジャマ姿を見られただけでなく、一緒に泊まるのだ。

 それだけでも海斗は十分に恵まれている。


「ほら、女子会を楽しんでくださいね」

「あう」


 どれだけ説得しても凪は気にするだろうと思い、内心で謝罪しつつ華奢な肩を掴んで反転させた。

 そのまま凪の自室へ向かい、彼女を部屋に入れる。

 気にしても仕方ないと悟ったのか、凪が淡く微笑んだ。


「ありがとう、海斗。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

「ごめんね、天音。おやすみ」

「気にすんな。一ノ瀬もおやすみ」


 提案した側とはいえ美桜も申し訳ないと思っていたらしく、可愛らしい顔が曇っていた。

 凪と同じく心配は無用だと目を細めて就寝の挨拶をし、パタリと凪の自室の扉を閉める。

 ソファに戻って横になり、一息ついた。


「……何か、疲れたな」


 海斗が今日した事といえば、多少遊んだのと勉強したくらいで、後は普段通りに片付けをしたり晩飯を作っただけだ。

 しかし、一人になって疲労が溜まっていたのだとようやく自覚した。

 おそらく、美少女二人とのお泊りという事で、知らず知らずのうちに緊張していたのだろう。

 

「ふわぁ……。ねむ……」


 誰もいないという状況と、普段から過ごしている部屋だからか、急速に眠気が襲ってきた。

 特にする事もないので目を閉じて耳を澄ませると、凪と美桜の会話が聞こえてくる。

 内容までは分からない小さな声を子守歌に、海斗は意識を手放すのだった。





「さて。女子会、というのも間違いではないですが、お悩み相談といきましょうか」


 美桜と共にベッドに上がり、何の話をするのかと期待していると、彼女が真剣な顔で告げた。

 出来る事なら相談したいなとは考えていたが、まさかいきなりだとは思わず、びくりと体を跳ねさせる。


「い、いいの?」

「勿論。スーパーで買い物をした時の凪ちゃん先輩の態度とか、髪とか肌の手入れ後のアドバイスとかちょっと気になってましたし、何かあったんでしょう?」

「う……」


 どうにかして海斗に触れられる口実を作りたいとアドバイスを求めた結果、ああやってご褒美をねだったのだが、全く後悔はない。

 それどころか、非常に気持ち良くてずっと触って欲しかったほどだ。

 とはいえ、ああいう触れ合い方が普通の事ではないのは理解している。

 あっさりと核心に触れる美桜に話してもいいかと一瞬だけ迷ったが、ここまで来たのならと口を開く。


「ちょっといろいろあって、海斗が触れてくれなくなったの」

「……それは、天音が何か凪ちゃん先輩に失礼な事をしたからですか?」

「違う! 私が褒めて欲しくて家事とかを手伝ったせいで、海斗がここに居られなくなりそうだった。だから、私のせいなの……」


 美桜の低い声に背筋がぶるりと震えるが、彼女は勘違いしているようなので慌てて訂正した。

 海斗は凪の世話の為にここに来ているのだ。その理由を無くしてしまえば、彼はここに来れなくなる。

 少し考えればすぐ分かる事なのに、触れて欲しいというだけで行動していた自分自身があまりにも情けない。

 肩を落とせば、何とか納得してくれたのか、美桜が細く息を吐き出す。


「まあ、その件に私が口出し出来る事はありませんから、二人がきちんと話し合ったのならいいです。でも、代わりに触れる機会がなくなってしまった、と」

「そう、なの。……私は海斗に何でもしてもらってるから、私から触れる方法がない」


 家事に掃除に料理と、海斗に身の回りの事を全て任せた結果がこれだ。

 いくらその為に海斗が来ているとはいえ、これでは凪から海斗に接触する手段がない。

 偶に我儘を言ってソファから起こしてもらったりしているが、あれは海斗の手間を増やしているだけだ。

 海斗は世話の一環として受け入れているものの、流石にこれ以上迷惑を掛けては駄目だろう。

 手詰まりだと溜息をつけば、美桜が顎に手を当てて考え始める。


「……凪ちゃん先輩は、どうして天音に触れて欲しいんですか?」

「海斗の手が優しくて、気持ちいいから」

「でも、私が髪の手入れをしても凪ちゃん先輩は喜んでくれましたよね? あれとは違うんですか?」

「違う。何ていうか、海斗と話してたり触れてくれたりすると、胸がぽかぽかするの。それに海斗が女子と話してると、胸がむかむかする」


 美桜とショッピングモールへ買い物に行った後くらいからだろうか。

 海斗と話すのが以前よりも楽しくなり、けれど服や下着に触れるのは無性に恥ずかしくなった。

 間違った方法で触れてもらえたら、美桜の時とは違う温かさが胸に広がった。

 そして、海斗が凪以外の女子と話しているのを見るだけで、胸に黒いよどみが溜まるようになってしまった。

 勿論、それは美桜と海斗が話している時も例外ではないが、ここで口にするほど考えなしではない。

 胸に沸き上がる感情をそのまま口にすると、美桜が優しく目を細める。


「そこまで分かってるなら良しです。でも、次の手がないんですよね?」

「うん。どうしたらいいか、全然分からない」


 何故良いのかは分からないが、一応合格はもらえたらしい。

 テストは満点を取れるくせに、こんな時には役に立たない頭だと内心で自らをけなした。

 どうしたものかと途方に暮れていれば、美桜が一度目を閉じる。

 その後目を開けた美桜の瞳には、何かの感情を押し込めたような、強い意志が秘められていた。


「……まあ、これくらいなら干渉してもいいか。ごめんね、お―――ん」

「美桜?」


 傍に居る凪にすら殆ど聞こえなかった声に首を傾げれば、美桜が微笑を浮かべて首を振る。


「いえ、何でもないです。それじゃあ、凪さん・・・に問います」

「な、何でも聞いて」


 今まで一度もした事がない呼び方から察するに、冗談では済まされない内容なのだろう。

 いつも耳にしている呼ばれ方と真剣な表情に、隣の部屋にいる人物の姿が一瞬だけ重なった。

 戸惑いつつも頷きを返せば、美桜が大きく息を吸い込む。


「貴女は、天音の事を知っていますか?」

「そんなの当然」

「では、天音がどんな生き方をしてきたのか、どんな場所に住んでいるのか、どんな理由でバイトをしているのか、知っていますか?」

「――」


 数少ない友人の質問に、思考が真っ白になった。

 海斗の事は分かっているつもりだった。実際、どんな性格なのかは分かっている。

 しかし、その先はどうなのかという問い掛けに対する答えを、凪は何一つ持っていなかったのだ。

 固まる凪へと、美桜は遠くを見るような笑みを向ける。


「他人のプライベートなので、普通は知らなくてもいいのかもしれません。でも天音に触れて欲しいのなら――もっと親しくなりたいなら、貴女は知らなきゃいけない」


 大人びた雰囲気を纏う目の前の女性が、先程まで一緒にはしゃいでいた友人とはとても思えない。

 驚きに目を見開いている間にも、彼女の言葉は続く。


「多分、天音は話すのを渋るでしょう。誰にだって踏み込まれたくない事はありますから。それでも、踏み込む覚悟はありますか?」


 ゾッとする程に澄んだ瞳が、凪に向けられた。

 海斗を深く知る為には、彼を傷付ける可能性があると。その覚悟を持てという言葉に、一瞬だけ気圧されそうになる。

 しかし、海斗は凪の醜い部分を受け入れてくれたのだ。

 彼がどんな存在であっても絶対に受け入れると決意して頷く。


「ある」

「……なら良かったです。天音の事、よろしくお願いしますね」


 へらりと気の抜けた笑みを浮かべる美桜から、先程の凛とした雰囲気がなくなった。

 一度だけ深く頭を下げた美桜が、悪戯っぽい目をして凪へと覆い被さってくる。


「とう! 今日は凪ちゃん先輩を抱き枕にして寝させてもらいます!」

「えぇ!? ま、まあ、いいけど」

「ありがとうございます! 堪能させてもらいますね!」

「あはは……」


 誰かと抱き合って寝るのは少し楽しそうなので、抱き着かれるのは構わない。

 とはいえ先程とのギャップがありすぎて、乾いた笑いが口から漏れてしまうのだが。

 そんな凪の反応など一切気にせず、美桜が凪を母性の塊へと押し付ける。

 凪とのあまりの違いと柔らかな感触に敗北感が沸き上がってくるが、それよりも凪の頭は疑問で占められていた。


(美桜って何か変だなぁ……)


 海斗から聞いた話だと美桜とは友人だと言っていたし、普段は特に変な所はない。

 しかし、明らかに美桜は海斗の何かを知っている気がする。

 尋ねたくはあったが、おそらく答えないだろうなと思いつつ、されるがままになるのだった。

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