第56話 アドバイス
「それで、修学旅行はどんな感じだったんですか?」
ある程度腹を満たしたらしく、凪が晩飯にがっつかなくなったので話を切り出す。
一昨日の電話ではクラスメイトと楽しく会話出来ていたようだし、先程感想を聞かせてくれと言った際の凪の顔は歓喜に彩られていた。
なので、退屈だったり嫌な思いはしなかったのだろう。
予想通り、凪がふわりと表情を綻ばせる。
「えっと、同じクラスにも友達が出来たの。まず――」
一度話し出すと止まらないのか、凪が今まで見た事がない程に
野外研修のような、日中の集団行動を楽しく過ごせただけではない。
泊まった部屋で沢山の事を話したのだと、興奮に頬を染めながら凪が話し続ける。
その顔があまりにも輝いていて、歓喜に満たされていて。
今まで話が合わなくて周囲を避けていた凪が、こんなにも弾んだ笑顔で友人の事を話してくれるという事実に、胸がジンと痺れた。
「修学旅行、大成功でしたね」
「うん。それに、アドバイスもいっぱいもらった」
「アドバイス? 凪さんがするんじゃなくて、してもらったんですか?」
満足そうな笑みからすると、有意義な情報を得られたのだろう。
しかし、凪は豊富な知識を持っているので、アドバイスをする側だと勝手に思っていた。
思わず首を傾げれば、大きく頷かれる。
「その通り。最近の――」
そこまで口にすると、楽し気な声が途切れた。
凪の様子を窺うと、失敗したという風に顔を曇らせている。
海斗に内容を言うつもりはなかったのに、つい口が滑りそうになったようだ。
(まあ、俺に言えない事もあるよな)
一応、海斗には凪に一番信頼されているという自負がある。
それでも凪が海斗に黙っておきたい事はあるはずだし、探っては駄目だという事も理解している。
だからこそ、僅かに痛む胸に気付かないフリをして微笑を浮かべた。
「折角アドバイスをもらったんです。出来る限り活かさないと勿体ないですよ」
「う、うん、そうするつもり」
「ならよしです」
凪の頭の良さなら、アドバイスを無駄にはしないはずだ。
これでいいのだと頷けば、凪が焦ったように口を開いては閉じてを繰り返し始めた。
「あの、その……」
「はい?」
「私の一番の友達は、海斗だよ。それは、変わらないからね」
うっすら赤らんだ顔と、照れを含んだ微笑。
それらにたっぷりと込められた信頼に嬉しさが沸き上がって、苦しかった胸を一瞬で満たした。
「……ありがとう、ございます」
「それに、アドバイスも海斗と――違う、今のナシ」
「分かりました」
勢いよく首を振る凪に、頬を緩めながら肩を竦める。
凪がつい口走ってしまった事や帰ってきてからの態度から考えると、彼女が何を相談したか、流石にある程度把握出来た。
(もしかすると、ちょっとくらいお世話の仕方が変わるかもしれないな)
今までが異常なくらいお世話をしていたのだ。
凪がアドバイスを通して海斗を男と明確に意識するようになった結果、それらが無くなるかもしれない。
毎日海斗の理性が試されていたので無くなるのは助かるが、凪の世話を出来ないのは少し寂しく思う。
我儘だなと自らの感情に苦笑を零し、晩飯を口に運ぶのだった。
「「ごちそうさまでした」」
鍋の具は多めに作ったのだが、一日で食べ終わってしまった。
満足そうな笑みを浮かべる凪を見つつ、片付けをしようと立ち上がる。
すると「海斗」と意を決したような声が耳に届いた。
「私も片付けする」
「これくらい苦でも何でもないですし、いつも通り俺がしますよ」
「海斗ならそう言うと思った。だから、片付けする対価が欲しい」
「は、はぁ……」
全く意図の読めない凪の発言に、呆けたような声が出てしまう。
本来は凪が片付けをしない為に海斗が居るので、手伝いを引き受けるのは本末転倒だ。
つまり、それ程までに海斗に別の事をして欲しいのだろう。
しかし妙に緊張した様子で、顔が強張っているのが気になる。
「対価って、そんなに大変なものなんですか?」
「ううん、簡単。多分、だけど」
「多分ですか。なら内容は?」
「直前まで秘密」
「えぇ……」
内容が分からない上に多分簡単とまで言われると、流石に怖くなってきた。
どうやって断ろうかと頭を回転させれば、この状況は良くないと悟ったのか、凪が慌てて口を開く。
「大丈夫だから! 海斗が嫌って言うならナシにするから!」
「……分かりました。取り敢えず、片付けしましょう」
明らかに凪のお世話から
二人で食器をキッチンのシンクへ運び、海斗は皿洗いを始める。
手伝いを申し出てくれた凪には、布巾を渡した。
「凪さんはテーブルを拭いてください」
「……もしかして、皿洗いをさせないつもり?」
「違いますって。皿洗いは一番時間が掛かりますから、先にそれ以外の事を済ませて欲しいだけですよ」
アイスブルーの瞳が
この期に及んで凪を厄介払いしたら、どうなるか分からない。
役割を分けたのは、その方が効率が良いからだ。
一応は納得したのか、凪が唇を尖らせつつも頷いた。
「分かった。じゃあすぐに済ませてくる」
凪が一目散にリビングへ向かい、布巾でテーブルを拭いていく。
早く皿洗いをしたいのか、急いでいながらもしっかりと綺麗に布巾を掛け、キッチンに戻ってきた。
「じゃあ皿洗いする。代わって」
「了解です。じゃあ俺が泡を流していきますね」
「むぅ……。ホントは私一人で出来るけど、海斗は絶対に譲らないからお願いする」
「あれぇ……?」
海斗の手伝いとして凪が皿を洗うはずなのに、立場が逆転している。
仕方ないな、という風に許可するのは海斗のはずだ。
こんなお世話係が許されるのかと疑問に思うが、この場で口にする程怖いもの知らずではない。
首を傾げつつも、凪の洗った皿から泡を落としていく。
元々家事は出来ると言っていたのは本当のようで、凪は危なげなく皿洗いをしていた。
ジッと細い指先を見つめていれば、凪が海斗の視線に気づいたのか顔を上げる。
「私だって、ちゃんと家事出来るでしょ?」
「よく分かりましたよ」
「ならいい。そう、私は出来る女なの」
「最後で台無しなんだよなぁ……」
本人は満足そうに胸を張っているものの、最後の一言で威厳が綺麗に無くなった。
シンクに流れ出る水の音にかき消される程の小さな声で呟き、泡を落としていく。
(にしても、誰かとこうして並んで家事をするとは思わなかったなぁ)
海斗一人でやるべき仕事を、二人で協力して行う。
それは間違っている行為なのに、凪と一緒に皿を洗うのが楽しくて、海斗は頬を緩ませるのだった。
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