第12話

 シエラのことは気になったが、四〇時間ぶりに布団に入り、牛丼で腹も満たされていたため、一〇時間以上もトイレに起きることもなく眠った。目覚めると、屋根をたたく雨の音が聞こえた。かなり本格的に降っているようだ。スマホを探そうと鞄の中をまさぐると、二枚のレシートが出てきた。昨日の、岩盤浴と韓国料理のレシートだ。岩盤浴のレシートには、一七〇〇円×2と打ってある。「×2」の文字が、こんなにいとおしく見えたことはない。他方、韓国料理のレシートは、巻物のように長い。注文した料理の名がズラリと並んでおり、その下には、とんでもない金額が打ち出されている。つくづく恐ろしい死神である。しかし、レシートに打ち込まれた料理名を見ていると、「まじヤバ」などと言いながら、料理をほおばるシエラの姿が脳裏に浮かび、思わず口元がゆるんでしまう。

 スマホを開いた。

[きのうはその後、どうなりましたか?]

 LINEを送信する。

 喉が渇いたので、コーヒー牛乳を飲むことにする。大人の舌には、市販のコーヒー牛乳は甘過ぎる。そこで、普通の牛乳とブレンドするのが習慣となっている。マグカップを用意して、冷蔵庫を開ける。

 それにしても、シエラはなぜあの時「援助交際」などという言葉を使ったのだろう。二人で過ごしている時には、一度もそんな言葉を口にしたことはないのに。私に不利益となることが分からずに失言をしたとは到底思えない。今まで自分の頭脳を人並みだと自負していたのだが、シエラの思考について行けないことがたびたびある。何よりも、人の命を取るにあたって、七十一回のデートという手間のかかる手段を選択していること。これがいちばん分からない。効率が悪過ぎるではないか。死神ならば、もっと簡単に命を取る方法を持っているであろうに。

 オリジナルのコーヒー牛乳が出来上がった。「黄金比ブレンド」と名付けているそれを、とくとくと体の中に流し込むと、舌だけでなく胃までもが喝采しているのが分かる。

 その時、LINEの受信音が鳴った。  

 シエラからの返信が来たようだ。

 スマホを開く。

 [あの人とお付き合いすることになりました]

 あの人?

 寝起きの気だるさが強制終了される。

 LINEを打つ手が震える。

  [冗談でしょ? 阿恵あえマシンか]

 「会えませんか?」を、誤って打ったままで送信してしまった。

 

 雨は、ますます強くなっている。テレビをつけたが、どのチャンネルもつまらない。返信の来ぬまま、出勤時間になってしまった。テーブルの上に、コーヒー牛乳が残っていた。うっかり忘れて歯を磨いてしまったが、捨てるのももったいないので、仕方なく飲むことにする。中途半端な甘さのぬるい液体が、無意味に口を汚した。水で口をゆすいで流しに吐いた。吐いた水が流れずシンクに溜まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る