第7話


「ああ、オモシロかった」

 つるんとした顔を天井に向けて、目を細めながらシエラが言った。

「面白かったの? それなら良かったけれど」

「次はどこに行きますか? ここは大きな声で話しても、上段回しりをしてもいいんですよね」

「回し蹴りはやめてね。普通の声で話すのはいいよ。次は『赤熱房』に行こうか。そろそろロウリュウが始まるみたいだから」

「ロウリュウって、何ですか?」

 私の尻にひざ蹴りを当てながら、シエラが尋ねる。

「蹴るのはやめて、シエちゃん。説明を聞くより、経験した方が早いよ。行こう」

「ハイ。行きましょう、行きましょう」

 その時、従業員が大きな声でアナウンスを始めた。

「ええ、十一時三〇分より『赤熱房』にて、ロウリュウアトラクションを開催いたします」

 今までどこにいたのだろうと思うほど大勢の人たちが、『赤熱房』の扉の前に集まり、行列を形成し始める。

「ウケる。人の数エグっ」

「ぼくらも並ぼう」

 シエラの手をとって、二人で列の最後尾につく。

「ヤバっ。アリになったみたいです」

 シエラは興味深そうにあたりを観察しながらも、私の腕にしっかりとつかまっている。


 ロウリュウとは、じりじりに熱したサウナストーンにアロマオイルを含ませた水をかけることにより、香り付きの蒸気を発生させ、天井付近にまった熱気を、従業員が巨大な団扇うちわで室内に循環させて、客の発汗をうながすというものである。私のよく行く岩盤浴の施設では、従業員が団扇を使う時に、客に「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声と手拍子を催促する。わざとらしい一体感の演出が苦手なのだが、ロウリュウの魅力は捨てがたく、違和感には耐えることにしている。

 部屋に入ると、客席がすりばち状に並んでいて、ちょっとしたアリーナである。その同心円の中心に、レンガで大きなが組まれており、その炉の中でサウナストーンが静かに熱せられている。

「どこがいちばん暑いんですか?」

「熱い空気は上に行く性質があるから、いちばん後ろの席じゃないかな」

「じゃあ、いちばん後ろがいいです」

 最後部座席は人気があるようでほぼまりかけていたが、すでに座っている人たちにめてもらって二人分の隙間すきまを空けてもらった。

「すみません。ありがとうございます」

「スミマセン」と、隣の相方からも。

 思わずその顔を見てしまう。

 何? という表情。

 無理をして作ったわずかなスペースなので、二人で体を寄せて座る。

「本当に暑いのが好きなんだね」

「大好きです。暑ければ暑いほど元気になります。おなかも減ってきました」

「あとでビビンバ食べようね」

「ああ、そうでした。忘れてました」

 その時、施設のロゴの入ったTシャツにタオルはち巻きの従業員が二人、大きな赤い団扇を持って現れた。一人は目尻にしわのある浅黒い四〇くらいの男で、もう一人はいたずらっ子のような目をした若者である。時計を見ると、ちょうど十一時三〇分だった。

「それではこれより、ロウリュウアトラクションを行います。本日担当いたしますのは、私、オカムラと」

「ぼくはサカイと言います。どうぞよろしくお願いしまぁす」

 アリーナを埋めた同じ館内着の集団から、パラパラと拍手が起こる。隣でシエラも拍手をしている。私の視線に気付き、表情をゆるめる。

 顔と顔、三〇センチも離れていない。

 従業員の説明は続く。シエラはそれを熱心に聞いている。説明のところどころで、興奮するのか、つないだ手を揺する。感情を共有したいらしい。私はその手のひらを親指で指圧のように押して応える。するとシエラは、裸の笑顔をこちらに向ける。言葉を介さずに、思いが伝わる。

 人はこのとてつもなく広い宇宙に、一人で生まれてきて一人で死ぬ。人生とは、ただそれだけのものだと思っていた。

 しかし決して一人ではないと、このとき実感した。その相手が人間であるか死神であるかは、大して重要なことではないように思える。


 若い従業員が、手桶の中に入ったアロマ水を、柄杓ひしゃくですくってアロマストーンにかける。ジュワッという音と共に、白い蒸気が上がる。

「ヤッバ。チョー良い匂いなんですけど」

「今日のアロマは何だろう」

「カモミールですよ。ちゃんと聞いてないとダメじゃないですか」

「えらいね。本当に学習能力が高いよ」

「当たり前です」

 シエラは鼻翼びよくをふくらませる。

 浅黒い中年の従業員の説明が続いている。

「それではこれより、この団扇でお客様のお一人お一人に、熱波を送って参りたいと思います。その際に恐縮ですが、手拍子と『ヨイショ、ヨイショ』の掛け声をお願いいたします」

 やはりここもか。今日だけは勘弁して欲しかったのだが、まあ仕方がない。

「それでは始めまぁす。それではまず、手拍子からお願いしまーす」

 若い従業員が手拍子を打ちながら、大声で客席に指示をする。

「このリズムでお願いします。ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」

 若者の音頭に導かれて、客が手拍子を打ち始める。

「おぉ、良いですねぇ。それでは掛け声も合わせていきますよぉ、はいっ、ヨイショーヨイショオッ」

「ヨイショーヨイショ」と客。


「ヨイショーヨイショッ」

「ヨイショーヨイショ」


「ヨイショーヨイショオ」

「ヨイショーヨイショー」


 団扇を持った二人の従業員が上段と下段とに分かれて、それぞれ客の間を巡回し始める。大団扇は客の一人ひとりに、容赦ようしゃなく強烈な熱風を浴びせ掛ける。アリーナのそこかしこで、「熱ッつーい」などという悲鳴が上がる。二人の従業員は、客に悲鳴を上げさせることがすなわち客へのサービスであると理解しているようである。


「ヨイショーヨイショオ」

「ヨイショーヨイショー」


 シエラは、のども裂けよとばかりに大声を張り上げ、全力で手拍子を打っている。振り返ってシエラの姿を確認する客さえいる。普段私は、自分にしか聞こえないような声と、形だけの手拍子でお茶を濁すのだが、今日だけは、大声を出し、本気で手拍子を打とうと心に決めた。


「ヨイショーヨイショッ」

「ヨイショーヨイショ」


 やがて大団扇が私たちのところに巡って来た。これまで何度も経験しているのに、ロウリュウの熱さは常に予想を超えてくる。「熱い」というよりも、皮膚が「痛い」のだ。

 熱風の洗礼を受けると、シエラは突き刺すような悲鳴を上げて、全身を覆うようにジャンボタオルを頭からかぶった。そのタオルを、若い従業員が道化どうけてはぎ取り、無慈悲にも二つ三つギアを上げて、裸にされたミノムシに熱風を見舞う。シエラは再び一叫びすると、今度は私の背中に回り込み、人をたてにして熱風から身を守った。変温動物はどうやら、過度の暑さを苦手とするようだ。


「ヨイショーヨイショオッ」

「ヨイショーヨイショッ」


 大団扇がようやく隣に移動すると、シエラは私の背後からモソモソと出て来て、再び手拍子と掛け声のセッションに合流した。

 そして、五人前の声で叫んだ。レンタルの体には、拡声器が内蔵されているのだろうか。そのあまりの声量に、その場にいた全員が声の主を確認すべく、視線をこちらに寄せる。

 シエラの気迫は他の客にも、そして従業員にも伝わった。

 アリーナは、一つになった。


「ヨイショーヨイショオ」

「ヨイショーヨイショー」


「ヨイショーヨイショッ」

「ヨイショーヨイショ」


「ヨイショーヨイショオ」

「ヨイショーヨイショー」


 ……………


 ……


 …

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