その②

「ふふふふふ…」

 木陰に身を隠した僕こと「草壁義明」は、首に下げたデジタルカメラの液晶を覗き込んだ。

 ああ、今日も美しいな。佐藤恵奈は…。

 デジカメのレンズが、液晶の中に、僕の愛する佐藤恵奈を投影する。

 彼女の笑顔が美しいと再認識すると、僕は一度カメラを下ろして、傍にあったノートを手に取った。

 ペンで、さらさらっと書き記す。

 佐藤恵奈の一日。

 七時起床。

 八時にアパートを出る。

 八時二十六分発の電車に乗り、大学に向かう。

 九時に駅に到着。

 九時三分に駅のコンビニに入り、カロリーメイトとミネラルウォーターを購入。支払いは、ポイントカードに貯めていたポイントを使った。

 少しだけ、週刊少年ジャンプを立ち読みしてから、九時十分に店を出る。入ってきたサラリーマンに肩と肩をぶつけ合ったが、「ごめんなさい」と言っていた。

 九時十一分に、駅を出る。

 九時十一分三十三秒に、信号待ちで立ち止まり、九時十一分四十五秒に、そわそわと足踏みをした。九時十三分に信号が青になったので、十三秒を掛けて向かいの歩道に渡る。九時十三分五十三秒で、通りすがりのおばさんに「おはよー」と言われた。

 九時二十一分十四秒に、大学の門を通過。その三秒後に、同級生から「けいちゃんおはよー」と言われている。もちろん、彼女も鈴を鳴らすような声で「おはよう」と返していた。うん、すばらしい! ご両親の教育の賜物だな。それから、九時三十分二秒に、早めに講義室に入って、勉強を始める。使っているノートは、クルトガのディズニーデザイン。芯の濃さは、HB。ニートは、ロジカルノート。拍子に、可愛らしい水玉模様が入っていた。どこの会社だろうな、後で確認しよう! そして、百冊くらい注文しよう! 九時三十分五十三秒に仲間に「おはよう」と言われて、その三秒後にノートから顔を上げて「おはよう」と返して。そに一秒後にシャーペンを机に置いて、手を三秒振る。その一秒後に、昨日見たテレビの内容を思い出して、二秒後に、「あ、そうだ」と、仲間にその話を振る!

 うーん! 書ききれない!

 ああ! なんて素晴らしい毎日を送っているんだ、佐藤恵奈よ! すばらしい、素晴らしすぎるぞ! ここまで充実した生活なんて、早々送れるものじゃない! 君の生きる姿は、僕の世界を色とりどりに染め上げる! にじいろなないろさとういろ! 君が、今日笑った回数は、計三十五回! 髪の毛を整えた回数は百三十六回! さすが女の子だね! 容姿には人一倍気を使っているんだね! そして、自宅を出てから、今までに歩いた歩数は、五千四十七歩! 消費カロリーが空気を輝かせるよ! 

 ああ、美しい! ああ、素晴らしい! 

「…ああ、綺麗だなあ…」

 僕はそんなことを思いながら、「佐藤恵奈観察日記」に、ボールペンで、彼女の行動の記録を記していった。半年前に書き始めたが、もう、四十五巻を超えていた。今は四十六巻目。それももう少しで尽きそうだ。帰りに買うとしよう。

 現在、十二時三十五分四十三秒。

 佐藤恵奈は、大学を出て少し歩いたところにあるオープンテラスのカフェで、ランチを食べていた。いつもなら、タマゴサンドとコーヒーを頼むところを、今日はベーコンレタスサンドに、メロンソーダ。梅雨が開けて、蒸し暑い日が続いているから、たまにはさっぱりとしたものが食べたいのだろう。うん、健全でいいことだと思う! 

 彼女は、ランチを食べている合間、鞄の中から単語帳を取り出して眺めていた。すばらしいね。一分一秒と無駄にしないその心構え。僕も見習いたいところだ。

 オープンテラスに差し込む陽光が、佐藤恵奈を照らし出す。まるで、彼女の周りにだけ雪が舞っているかのように、テーブルの周りがキラキラと輝いていた。あのキラキラを一つ残らず、網で掬って、小瓶に詰めて保管したいくらいだ。

 あとで、あの席に座ってみようかな? きっと、彼女が毎日決まって着けているシャボンの香水のいい匂いが残っているんだろうな。

 あの香水、何処で買っているんだろう? 前に、同じものを買おうとしたけど、メーカーが多すぎてわからなかったんだ。いやいや、僕もまだまだだな。彼女の香水くらい、難なく見抜けないでどうする! そんなんじゃ、彼女を慕う人間第一号としてやっていけないぞ!

 僕は「佐藤恵奈観察日記」とは別に、「佐藤恵奈のためにやることリスト」と書かれたノートを取り出すと、さらさらっと書き記した。

 ・佐藤恵奈の使っている香水のブランドを調べる。そして買う。

 ついでに、「・佐藤恵奈の使っているロジカルノートを買う、できれば大量に」と付け加えておいた。うん、これでよし!

 僕はノートをぱたんと閉じて、傍の鞄に入れた。

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