仕方がない場合のチンパンジー

そうざ

Become a Chimpanzee

 折角の行楽日和だと言うのに、僕は近所の公園で彼女と無為に過ごしていた。

 そんな僕達に、ちょっとすみません、と声を掛けて来たむさ苦しい格好の青年は、テレビ局のADと名乗った。近くの公民館で催眠術師のパフォーマンスを撮影していて、近辺で被験者役を探していると言う。催眠術に掛かっても掛からなくても構わない、自然なリアクションで構わない、と説明された。

 生返事の僕とは逆に、彼女は乗り気の様子だった。このまま時間を食い潰していても詰まらないと思った僕も、結局、首を縦に振った。


 公民館には、僕達を入れて合計五人の一般人が集められていた。カメラが回り出すと、如何にも怪しげな催眠術師がパイプ椅子に居並ぶ僕達に雰囲気たっぷりに囁き始めた。

 元々この手の番組に懐疑的な僕には全く催眠の効果はなかったが、彼女を含む他の四人は次々と頭を垂れて行く。催眠術師は僕にチラッと目をやって軽く舌打ちをすると、それっきり無視をし、パフォーマンスを先に進めた。

 一人目の小母さんは座っていたパイプ椅子が重くて持ち上げられなくなり、二人目の女子高生は特定の言葉だけが発せられず、三人目のお爺さんは前面で握り合わせた両手が解けなくなってしまった。

 催眠術師はどんどんオーバーアクションになって行く。周囲のスタッフも更に盛り上げようと大袈裟に驚嘆と賞賛のどよめきを上げる。野次馬もちらほらと集まり始めた公民館は、一種の興奮状態に陥っていた。

 最高潮に盛り上がった所で、遂に彼女の番が来た。ポジション的に大オチだ。皆の注目が集まる。既に居ない事にされていた僕は、スタッフの後方から息を呑んだ。

 催眠術師が高らかに叫ぶ。貴方はチンパンジーですっ――と。

 一瞬、彼女の顔に躊躇いが過ぎったように見えたのは、気の所為なのか。次の瞬間、彼女は幾らか鼻の下を伸ばし、微かな鳴き声を漏らしながら両手の甲を床に当て、リズミカルに歩き出した。

 そう言えば、ほんの数ヶ月前に二人で動物園へ行った。あの時は愉しかった。辛うじてまだ愉しかった。どうして今のような冷めた関係になってしまったのだろう。

 そんな事をぼんやり考える僕を余所に、彼女は椅子に上ったかと思うと、そこから勢い良く跳躍、スタッフを追い回し、散々威嚇をした挙げ句、カメラに興味津々の様子で取り付き、レンズに顔を押し付け、くんくんと激しく鼻を鳴らした。歯を剥き出しにした猿公面は鬼気迫るもので、正に非の打ち所のない見事なチンパンジーだった。

 ああ、もう別れよう――と僕は思った。 

 やがて、催眠術師の一声で被験者一同がけろっと我に返った。四人は口々に、まさか自分が催眠術に掛かるなんて、と在り来りの感想を述べるのだった。


 帰り道、僕達はやっぱり無言だった。然り気なく彼女の様子を窺うと、思い掛けず視線が交わった。上気の余韻が残る頬と、泣き笑いが潜んだ瞳が、あの場の雰囲気的に仕方ないじゃん、と訴えていた。

 抱き締めてやりたいかも――と僕は思った。

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仕方がない場合のチンパンジー そうざ @so-za

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