Phase 07 昏睡
僕は、
「薫、あなたはまだ死ぬべきではない。あなたは『正義の味方』になるべくしてここまで来たんでしょ? あなたの救いを求めている人はまだまだいる。だから、ここに来ちゃダメ」
母親からの言葉を余所に、三途の川の流れは早くなる。僕は、死んだんだ。だから、このまま地獄へと向かうんだ。三途の川の水はとても冷たく、躰の感覚が無くなってしまいそうだ。まあ、死人は躰の感覚なんて分かるはずがないのだけれど。
事情聴取を受けた後、アタシは薫くんが入院している病院へと向かった。医者に聞いたところ、手術は成功したらしい。でも、昏睡状態で目が覚めない。矢っ張り、刺されたところが悪かったのだろうか。病室へと入ったアタシは、無機質に鳴り響く心電図の音を聞いていた。心電図の音が鳴っているということは、薫くんは生きているのだろう。でも、意識を取り戻さないことにはどうにもならない。アタシは、冷たくなった薫くんの手を握る。
――お願いだから、生きて。
アタシが言えることなんて、限られている。言葉をかけたからって、薫くんの意識が取り戻せる訳ではない。最悪の場合、そのまま死に至ることもある。そう言えば、薫くんはアタシが前にプレゼントした十字架のネックレスを大事に付けているんだな。お守り代わりなのだろうか。アタシは、薫くんの首にかけられたネックレスを握る。握った瞬間に、薫くんの心拍数が早くなっていく。心拍数は100を超えて、120、130、140と徐々に上がっていく。薫くんの呼吸が、荒くなる。早くなる心臓の鼓動が、アタシの手に伝わっていく。そして、心拍数が150に達した時だった。薫くんが、目を開いた。
「ここは、どこだ」
「病室のベッドよ」
「そうか。僕は生き返ったのか。それにしても、胸が苦しい」
「心拍数が150を超えたら心臓にも負担がかかるって」
「だよな」
「それにしても、アタシがあげたそのネックレス、大事にしているんだね」
「ああ。このネックレスには不思議な力があるんだ」
「そうね。そのネックレスを握った瞬間にあなたは意識を取り戻した。どういう力が込められているのかは分からないけど、きっと何かの役に立つのは間違いないわ」
「そう言えば、意識を取り戻す前に突然心臓の鼓動が早くなったんだ。そして、失われた記憶が一斉にフラッシュバックした」
「それって、どういう事?」
「僕は、どうやら子供の頃に交通事故に遭ったらしい。それで前頭葉を損傷して2週間以上の記憶が覚えられなくなった。そして、前頭葉の障害と引き換えに僕は見えるはずの無いモノが見えるようになったんだ」
「それって、もしかして……」
「昏睡状態の時に確信したよ。僕は触媒となったモノを通じて残された映像が見えるようになったんだ」
「じゃあ、最初から雲雀丘彪流が一連の事件の犯人だと分かっていたの!?」
「そうだな。堂安亜由美の死体に触れた時、ある『映像』が見えたんだ。それは、ファミレスで毒入りのコーヒーを飲んで意識を失う堂安亜由美の映像だった。そして、その映像の最後に映っていたのは雲雀丘彪流の顔だった」
「じゃあ、あの時警察を呼んだのは……」
「それは僕じゃない。君にも紹介したい人物だから病室に入ってきてもらう」
薫くんの言葉で、ドアが開かれる。ドアの向こうには、ホストと思しき背の高い男性が立っていた。男性は、アタシに対して気さくに話しかけてくる。
「やあ、君が毛利碧ちゃんね。僕は
「す、スパイ?」
「そうだなぁ、まあ詳しい話は薫から聞いてくれ」
「そうだ。厚藤彰悟は『歌舞伎町トラブルバスターズ』のホスト専門のスパイだ。元々は歌舞伎町でも売れっ子のホストだったんだけど、僕がオファーを出して『スパイになってくれ』って頼み込んだんだ。それからホストクラブを転々としながら情報収集を行っている。ちなみに『童顔少年団』での源氏名は
「でも、どうして売れっ子ホストがスパイなんかやってんの?」
「僕、元々務めていたホストクラブが暴力団のフロント企業だって分かっちゃって。それが馬鹿馬鹿しくなったからホストをやめて仕事を探していたんです。そうしたら『スパイ募集中』というチラシを街中で見かけて。なんか面白そうだったから面接を受けたんです。もちろん、採用されて現在に至っています」
「その暴力団って、もしかして……」
「ああ、もう知っていると思うけど関東最大の暴力団、『颯天会』だよ」
そうだったのか。颯天会は、歌舞伎町を裏で牛耳っていたのか。アタシの両親は、颯天会の組員に脅されて殺されたようなモノだ。だから、アタシは暴力団が赦せない。絶対この手で握りつぶしてやる。
――病室の中で、アタシは一人壁を殴っていた。
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