第2話

 いつもなら残り物を温めた物を食べて出勤する。

 だが今日は右手で食事しながら左手を吸血鬼の餌にするという、生涯二度と無いであろう朝を過ごしていた。 

 居候するならば事情くらいは話せと口を割らせているところだ。


「派閥?」

「ああ。二つに分かれてて、俺は人間のいない森に住んでた」

「もう一つの派閥は?」

「分からない。何年か前に決裂して交流無いから」

「何で森から出たんだよ。親御さんは?」

「奴らが俺たちを狩りにきたんだ。穢れた血族は滅びろと。父さんも母さんも殺された」

「穢れた血族って、同じ吸血鬼じゃねえの?」

「……俺は正しくは吸血鬼じゃない。人間との混血だ」

「え!? そんなことあんの!?」

「ある。奴らはそれを穢れた血だと言ってるらしい。でも陽翔は純潔の吸血鬼なんだ。親が両方とも吸血鬼」

「混血と純血はどう違うんだよ」

「体質も能力も全く違う。俺たちは血だけじゃ生きられないから人間の食べ物も必要だ。でも純血は血だけでいい。身体能力も桁外れだ」

「ん? でも肉じゃがじゃ駄目なんだろ」

「役割が違うんだ。血は栄養で食べ物は腹が膨れる。腹が膨れても栄養がなきゃ死ぬ」

「へー」


 澪はもう一度ぢゅううと吸うとぽんっと誠の腕から口を放した。

 ごちそうさま、と手を合わされるのは妙な図だ。


「なあ、あんた酒飲むだろ」

「それはまあ。血で分かるのか?」

「分かる。酒を飲む奴の血は好きじゃない。俺もちょっと、酔う」


 そう言うと、澪は目をしぱしぱさせて首をぷるぷると振った。確かに人間が酔い始めた様子によく似ている。

 のんびり吸血鬼談義をしていたらあっという間に出勤時刻となった。

 誠は慌てて支度をするが、澪はくらくらと頭を揺らしている。


「本当に酔ったな。大丈夫か? 俺仕事行くけど」

「へーき」

「本当かよ」

「誰も殺しに来ないなら平気」

「吸血鬼ってのは積極的に殺しに来るのか?」

「分からない。でも見付けようないし、来ないと思う」

「魔力で察知! みたいのは?」

「そんなのは無い。人間との違いは食事と筋力だ」

「なら平気か。インターフォン鳴っても出るなよ。電話も出るな」

「分かってるよ。行ってらっしゃい」


 澪は目をこすりながら手を振ってくれた。

 ぽやんとしている姿は眠いのを頑張って起きてる子供のようだ。誠は思わずよしよしと頭を撫でた。


「……何」

「可愛いなと思って」

「な、なにそれ」

「年相応ってことだよ。陽翔、行ってくるぞ」

「ふやぁぁ」


 まるで答えたように声をあげ、口を大きく開けた。

 もしかしたらお腹が空いてるのだろうかと誠は小指を加えさせてみる。けれど、やはり吸い付いているだけだ。


「牙出せ。出ないか?」

「うーん。痛くないな。というか涎掛けがいるな」

「……できればオムツも欲しい」

「あ、くさい」

「ごめん……」

「吸血鬼っていっても人間と同じだな」


 指を抜くと陽翔はやああ、と駄々をこねた。行かないでと言われているようで悪い気はしない。

 澪も陽翔が引き留めようとしていると思ったようで、駄目だぞ、と抱き直して誠と一歩距離を取った。一歩下がられたのが妙に寂しくて、誠はもう一度澪を撫でた。


「それじゃあ行って来ます」

「行ってらっしゃい」


*


 誠が出勤して一番最初にやるのはまず休憩だ。

 朝から仕事なんてやりたくないし、真面目にやって早く終わらせて万が一誰かの分を手伝うことになったらたまらない。業務はのんびりやっても余裕で終わる程度にしか持たないのが誠のポリシーだった。

 だが今日は違う。出勤してすぐに子持ちの同僚に駆け寄った。


「なあ。赤ん坊の服ってこの辺で売ってるか?」

「駅前のデパートにあるけど。プレゼント?」

「うんにゃ、うちの子」

「へー。お前の子――……は!?」


 誠が恋人のいない独身である事を知ってる同僚は目をひん剥いた。

 全部すっ飛ばして子供ってどういうことだ、と誠を問い詰めようとしていたが、その時ほかの同僚が声をかけてきた。


「なあ。今日飲みに行くけどどう? 日本酒うまいとこ見つけたんだ」

「パス。子供待ってるし、俺が飲むとあいつも酔うし」

「は? 子供?」

「じゃあ俺急ぐから」

「え!? ちょ、ちょっと待て! 何だそれ!」


 そして誠は一日中子持ちの社員に赤ん坊の世話について聞いて回り、社内を騒然とさせた。

 けれどそんなことは気にも留めず、誠は定時と同時に席を立ち大急ぎで会社を出てデパートでひと揃え買って帰宅した。


 帰宅し鍵を開けると、音を聞きつけた澪が陽翔を抱いてぱたぱたとやって来た。


「おかえり」

「ただいま。良い子にしてたか」

「うん。それ何? 凄い荷物だね」

「陽翔の着替えとかオムツとか」

「え? それ全部?」

「ああ。あ、こっちはお前な」

「俺?」

「俺の服じゃデカいだろ。パジャマもいるし」

「……ありがとう」


 誠は買って来たオムツや服を陽翔に着せ、澪にも着替えをさせた。

 今時の若者が何を好むかなど分からなかったのでマネキンが着ているものをそのまま買ってきた。


「おお、似合う似合う」

「いいの? 俺まで、こんな」

「いいんだよ。陽翔だって兄ちゃんが綺麗にしてた方がいいよな~」


 誠が頬をぷにぷにと突くと陽翔は嬉しそうにきゃっきゃと笑った。

 口を開けて笑っていたので、今だ、と誠は小指を加えさせた。しかしやはりおしゃぶり代わりにされるだけで牙を立てる様子はない。


「なあ、母親はどうやってたんだ?」

「分からない。陽翔は一緒に育ったわけじゃないから」

「え? そうなの?」

「ああ。陽翔は生まれてすぐ奴らに連れて行かれたんだ。それで母さんは取り返しにいったんだけど、戻って来るときに付けられた。それで俺たちは……」


 澪はしょんぼりと肩を落として陽翔を撫でた。

 陽翔を連れて来たせいで母親が殺されたのなら陽翔を恨んでもよさそうなものだが、澪はぎゅうっと愛おしそうに陽翔を抱きしめた。


「何が進化した種だ。何が偉いっていうんだ」

「進化? 決裂したのは混血と純血の違いじゃないのか?」

「違う。奴らは自分達を進化した種で、俺たちを劣等種だっていう」

「それはおかしくないか? 始まりは全員純血だろ。純血は継続であって進化じゃない」

「……そういやそうだね」

「進化って具体的にどう変わったんだ?」

「全然知らない。俺は森の外を知らないんだ。進化するとそんな変わるの?」

「変わるよ。陸で生きるようになった魚もいる」

「そんなの別の生き物じゃないか」

「それくらい変わったのかもしれないだろ。牙が無いから血の摂取方法が違うのかもな……」


 何度指を加えさせても血を直接垂らしても陽翔は飲まなかった。

 澪が実演して何度も見せても陽翔はきょとんとするばかりで、結局今日も澪だけが血を飲んで一日は終わった。

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