人と吸血鬼のそれなりな日常
蒼衣ユイ
第1話
藤堂
趣味の延長で選んだシステムエンジニア職は、趣味なだけあってそこまで高度なことはできないがそれなりのことはできるので給料もそれなりの額を貰っている。上司も同僚もそれなりに良い人たちだ。
それなりの人生をゆるゆると生きていたらあっという間に二十代が終わりを告げ、三十代に足を突っ込んでから二年が経った。
周りの同年代には結婚している者も多く、飲み会になるとうちの子自慢が始まるのだ。
「かわいー! もうすぐ二歳でしたっけ?」
「初めてで女の子なんて可愛いくて仕方ないでしょ」
「はい。仕事なんてやってられませんよ」
「それ仕事の飲み会で言っちゃう?」
「あ~、つい本音が」
「藤堂君は結婚願望あるの? 子供欲しいとか」
「子供は好きだけど結婚はなあ……」
「じゃあ子持ちと結婚しろ。それか養子」
「別に無理して育てたいわけじゃないし」
何度この話をすれば気が済むんだろうか。それとも恋人すらいない誠も会話に入れるようにという配慮なんだろうか。
だとしたら余計なお世話だ。誠は会社の金で飲める打ち上げだから来ているだけで、仕事が終わってまで同僚と過ごしたくないというのが本音だ。これを乗り切り二軒目(自腹)に行くか行かないかという話になったら誠は帰宅一択である。
こうして、楽しくないわけではないが楽しいとも言い難いそれなりの木曜日が終わった。
――終わるはずだった。この吸血鬼兄弟にさえ出会わなければ。
「ギャー!!」
「動かないで。ちょっとでいいから」
「ちょっとなら刺して良いよって言う奴いるか!? つーかどんな馬鹿力だお前!」
あと十歩も行けば自宅マンションというところで誠はナイフを持った少年襲われていた。
見た限りでは十七か八くらいだろう。そんな子供だというのに、押しても引いてもびくともしない。馬乗りになった状態からぴくりとも動いてくれない。ナイフを押さえつけるので精いっぱいだ。
誰か通らないかと祈っていたら、神の助けか赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。赤ん坊がいるなら親がいる。助けてもらおうと思ったが、その必要もなく少年は俺を放り出した。
「
「は、はると?」
「腹減ったか? 大丈夫だぞ。餌捕まえたからな」
「餌? おわっ!」
少年は赤ん坊をマンションの階段の陰に隠していたようで、抱き上げてあやすのかと思えば再び俺に馬乗りになった。
「おい! 餌ってなんだ!」
「ちょっとでいいから!」
「だーかーら! おまっ……!!」
先ほどまでは加減していたのか、少年はさらに強い力で誠を押さえつけた。
ついに刺されるかと思ったが、誠の腕を貫いたのはナイフではなかった。
「……牙?」
少年は誠の腕にかぶりつき、そこに親指の爪ほどはありそうな牙を突き立てていた。
犬歯だと誤魔化すにはあまりにも大きい。少年が牙を抜くとだらりと血が流れ、何だそれは、と固まっていると急にくらりと頭が揺れた。
「な、なん、だ、これ」
「よし!」
「よ、よしじゃない……」
「陽翔。大丈夫だ。飲める血だぞ」
「は?」
誠の腕に何か柔らかい物がくっついてきた。
見るとそこには赤ん坊がいて、驚いたことに少年が赤ん坊口を誠の血に浸している。
「馬鹿か! 飲みモンじゃねー!」
「飲み物だ! 俺たち吸血鬼は血を飲むんだ!」
「……あ、やっぱそういう?」
「じっとしててくれ」
「いやいや、お前どんな目線で言って――」
赤ん坊ごと放り投げてやろうかと思ったが、よく見れば少年はカタカタと震えて涙目だった。
「陽翔。飲んで」
「……おい」
「何で飲まないんだよ。飲んでくれよ……!」
ついに少年の目からぼろぼろと涙があふれた。涙を拭うと誠の血が頬をかすめ、少年の顔は涙と血でぐちゃぐちゃになった。
赤ん坊の顔がぶにぶにと押し付けられるが状況は一向に変わらない。誠は怒る気も失せ、赤ん坊を抱いて立ち上がった。
「陽翔! 放せ! 何すんだよ!」
「どっちがだ! 赤ん坊は哺乳瓶だ!」
「吸血鬼の赤ん坊は咥えさせれば牙で噛むんだ!」
「でも飲んでないだろ! 飲まない理由を考えろ! 来い!」
「放せ! 放せよ!」
誠はぎゃあぎゃあ言い争いながらも少年と赤ん坊を風呂に放り込んだ。
少年は適当なスウェットに着替えさせた。赤ん坊の服は持ち合わせがないので元の服を着せていたが、すうすうと寝息を立てていて幸せそうだ。
「……お風呂ありがと」
「はいどーも。肉じゃが食う?」
「いらない……」
「食べれない? 食べたくない?」
「食べれるけど栄養にならない」
「まあそんな気はしたよ。随分やつれてるけど、いつから食ってないんだ」
「ひと月」
「は!? そんなに食べなくて大丈夫なのか、吸血鬼って」
「ああ。でも陽翔はまだ赤ん坊だ。これ以上は……」
「その子は弟? まさかの息子?」
「弟。父親は違うけど」
「ふうん。お前の名前は?」
「……
さてどうしたもんかと肘を付きため息を吐くと、同時に澪の腹からぐうううう、と激しいうめき声が鳴り響いた。
澪はじいっと誠の腕を見つめた。そこには先程牙を突き立てられた穴がある。押せばまだジワリと血が滲む。
澪はじいいいいいっと見つめて目を放さない。ぐうぐうと腹も鳴り続けている。
「……俺が倒れない程度にしてくれ」
「いいのか!」
「良くは無いが死なれても寝覚めが悪い。俺を殺すなよ」
「ああ!」
ぱあっと眩しい笑顔を見せ、澪は何の躊躇も遠慮も無く誠の腕にかぶりついた。
ぢゅうと気持ち悪い耳障りな音がして、誠は思わず眉を顰めた。だが不思議と痛みは無く、けれど頭がくらくらし始めた。
「ま、まて、なんか、頭が」
「麻酔みたいな成分が出てるから」
「……陽翔は指くわさせればいい?」
「普通は」
「じゃあ小指」
誠は陽翔の小さな口に小指を入れて加えさせた。ちゅうちゅうと吸ってはいるが血は出ていない。
「何で、何で飲まないんだよ……」
澪はまたぼろぼろと涙を流した。声を上げるのを我慢しながらぎゅっと陽翔を抱きしめる。
「おい。とりあえず今日は寝るぞ。お前ソファな」
「……泊めてくれるの?」
「ここで子供追い出すほど鬼じゃねえよ」
「あ、有難う……」
誠の予想に反して澪はしおらしく、ぺこりと丁寧に頭を下げた。
その姿はなんだか可愛らしく見えて頭を撫でてしまった。
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