樹海の子

ほのなえ

出会い

 その男は疲れ果てていた。何もかもが上手くいかない人生に。


 とにかく今いる場所から逃げ出したいと思って、港に停まっていた船に飛び乗り…気がつけばこんなところにいた。


 そこは、辺り一面うっそうと木々が生い茂り、陽の光すら通さない場所…樹海だった。



 男は真昼でも薄暗い樹海の中を、どこに向かうでもなく、ひたすら歩いてゆく。行き先はない。決めていないのではなく、そもそもないのだ。


 樹海はどこも同じような景色で…おまけにうっすらと霧が出ていて視界も悪く、道に迷ってしまうことが多いという。方位磁針コンパスを持っていても、磁力でも発生しているのだろうか…磁気が狂ってしまって使い物にならないこともあるらしい。

 そのため一度ひとたび樹海に入れば、出口を見つけるまで彷徨さまよい続け…力尽きるまで出られない可能性も大いにあった。


 しかしそれでもいい。たとえこのまま樹海から出られずに、ここで命が尽きても構わない…男はそんな思いで歩いていた。

(もしかしたら、そのために…この命を終わらせるために、自然とこの場所に足を運んだのだろうか)

 男はふと、そんなことを考える。一度中に入れば簡単には外には出られない樹海…そんな場所を訪れるとなると、死を望んで来た者も少なからず居るだろう。

(そして、私もその一人だった…それだけのことなのかもしれない)



 辺りから不気味な鳥や獣の鳴き声が聞こえてくる。男は足を止めて辺りを見渡し、身震いする。

(死んでもいいと思っている今の状況でも、怖いと感じるんだな)

 男はそう思って苦笑した後、再び歩き出す。太い木の根に足を取られて歩きづらいため、下を向いて慎重に歩いていると、コツンと何かが頭にぶつかった。

「ひっ」

 男は思わず声をあげる。

 男の目の前には、首を吊った状態の人間の白骨…骸骨が、ロープで木の枝にぶら下がっていた。どうやらここで、自ら命を絶ったようである。

 始めはその骸骨を恐ろしいと思いながら見ていたが、自分もこれから死のうかと思いつつある今、男はふとそのに対し、親近感のようなものを覚える。

(私も、いい加減ほっつき歩いてないで、この人と同じくこの場所で、さっさとこの命を終わらせようか…)

 男はそんなことを思いながら、その宙ぶらりんの骸骨をぼんやりと眺める。


 ガサガサッ。


 後ろから物音がして男はドキリとし、恐る恐る振り返る。そうして目にしたものに、男は目の前の骸骨以上に衝撃を受ける。


 そこには、小さな子供がいた。髪が肩のあたりまで伸びていて、男の子なのか女の子なのか、性別はよくわからない感じだった。顔は可愛らしく、くりくりとした目でこちらを見ている。

 男は驚きのあまり、思わず話しかける。

「な、なんで君、こんなところに…」

 その子は不思議そうに首を傾げる。

「おじさんこそ、こんなとこで何してるの? 道に迷ったの?」

「いや、私は…」

 男が、自分の今の状況を、この子供に対し何と説明すればいいのやら…と考えていると、その子はにんまりと笑って言う。

「迷ってるなら、僕が樹海の出口まで案内してあげようか?」

「あ…案内?」

(何を言っているんだこの子は。樹海の中を迷わずに歩けるというのだろうか。こんな小さな子供が…)

 男は、思ったことを口にする。

「君が? この樹海の中を、一体どうやって…」

 それを聞いた少年は、得意気な様子で言う。

「僕、樹海の中でも道に迷わないんだ。ここでずっと暮らしてるからかな、木の一本一本、全部見分けがつくし…木のだって聞こえるんだよ?」

 男は呆気にとられた様子でその少年(自分のことを「僕」と言ったのでおそらく男の子なのだろう、と男は判断した)を見る。

(樹海で…暮らしている? 木の見分けがつく? それに…木の声が聞こえる…だって…?)

 男は信じられないことばかり言ってのける少年の言葉に、思わず頭を振り、かがんで少年に目線を合わせて言う。

「何の遊びだか知らないけど…おかしなこと言ってないで、早く家に帰りなさい。もし本当に道に迷わないなら、帰る事だってできるだろう?」

「うーん、そう言うなら帰るけどさ。でも、おじさんはどうするの? 道に迷ってるなら…僕がおじさんのこと、樹海の外まで案内できるけど?」

「いや、私は…ここから出る気は…無い」

 男はそう言った後、こんなことを言っても、この少年にはその真意は伝わらないだろうなと思い…ふいと少年から目をそらす。

「ふーん。そっか」

 少年はその言葉に首を傾げることもなく、意味ありげに男を見る。男はそんな少年の反応を意外に思いつつも、ふと、少年がと言ったことについて心当たりがあることに気が付き、口を開く。

「そういえば、この樹海のどこかに…『ノースの村』という、隠れ里のような…秘境の小さな村があるそうだな。もしかして、そこの子なのかい?」

「ううん、違うよ」

 少年が否定するので、男はさらに驚いてしまう。

「ええ? でもさっきって…。じゃあ、君は一体どこに…」

「もしかして、おじさん…ノースの村が目的で来たの?」

 少年が男の言葉を遮り、尋ねる。男は慌てて否定する。

「いや、そういう訳じゃないんだ…何て言えばいいのかな」

 男が、自分はここで命を絶つつもりだと少年に説明するべきなのか迷っていると、少年がその様子を見て言う。

「とりあえず、僕の家に来る? ここで突っ立ってると、森の獣…狼とか熊とかが集まって来るかもしれないし。そこでゆっくり話を聞くよ」

「え? …あ、ああ…じゃあそうしようか」

 男は少年の家に興味があったのもあり、思わず少年の提案に頷いてしまう。

「じゃ、行こう。こっちだよ」

 男は変わり者の少年の言動に戸惑いつつも、その少年の後ろに付いて歩いてゆく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る