フォーゴトン・マトリクス

書い人(かいと)/kait39

フォーゴトン・マトリクス

 この世界はどうやら、作り物らしい。

 内容のかくはこんなものだったが、その映画を知る人間はどうやら身近には居ないようだった。

 確か、一世を風靡ふうびするほど有名だったはずで、タイトルだって明確に覚えている。

 あまりにも周囲に知る者が居ないので、ネットに質問として書き込もうとしたが、サーバーかなにかの内部エラーで未だに書き込めていない。

 他にもおかしなことがあった。

 『水槽の脳』、だったか。

 面白い概念だったので、知的な物腰で知られる同僚の女性にそれとなく伝えてみたが、驚くべきことに一切知らないと返してきた。

 そこまで複雑な考えではないのだが、「全く知らない、宇宙人の言葉を聞いているみたい」とまで言われて彼は閉口してしまった。

「あれ、何が難しいんだろう? 思考実験みたいな話だけど」

 椅子にキイ、ともたれて、彼は悩んだ。

 なにかくぐり抜けて、上手く説明できないものか、と彼は真剣に思い悩んだ。

「思考実験の意味自体なら分かるけど、なんだろう。その話を聞いている間だけ、IQが五〇くらい下がる気分になるの」

「ははは、とんでもないな。仕事中には話さないでおこう」

 そんな軽口を言い合って、彼は業務を再開し、そして一日の仕事を終えた。

 帰り道の長い信号待ちに携帯で、水槽の脳、と検索をしてみるがどこにもない。

 妙な音。

 自分がトラックに轢き殺される、折れてぶちまける音だった。


 変な夢を見たものだと、翌朝の彼はそう思った。

 仕事ですら夢だったらしく、日付は何も変わっていない。

 真面目に仕事をしたはずだったが、同じ内容をやることになった。

 おかしい。

 夢で見た通りの仕事だぞ?

「水槽の脳の話って、しましたかね」

「いえ、初耳」

「思考実験の一つなんだけど、難しい話だから、分からなくなったら教えてほしい」

「へえ?」

 知性を試されているような気がした同僚の女性が、やる気を出して前のめりになる。

「世界が全部作り物ってこと。OK?」

「あれ……、そんな長い言葉の音声じゃなかった気がするけど……。なぜかわからないわ……?」

 難聴というわけでもない。難解でもないはずだ。

「ワールド・シミュレーション」

「……ああ。前の言葉の意味かしら。

 でもなんだろう……全然関連付けられない。簡単な英語のはずなのに、考えがまとまらなくなるの」

「IQが五〇くらい下がる感じ?」

「ええ、まさにそう言おうとしたところ。貴方、心は読める?」

「いや。未来なら分かるかもしれない」

 彼女は軽く吹き出した。

「だったら良いわね」

「今日は残業をして帰るよ。トラックが歩道に突っ込みそうな気がしてね」

「未来予知にしては陳腐ね」

 そう言って、彼女は笑った。

 翌朝の彼女は驚いたように彼を見た。

「たまたまよね。本当にあわや大事故だったの。貴方が帰宅していたら、本当に引かれていたかも。確か帰り道はその方向と時刻だったから」

「そりゃ、命拾いだったよ。

 ニュースはちゃんと見たから知ってる」

「今日の未来予知は?」

 同僚の言葉に、彼は肩をすくめて、

「できない」

 そう言った。


 「ワールド・シュミュレーション」これについて考えてみろ、IQが下がるで


 というスレッド(インターネット掲示板の板の一つ)を、彼はネットの巨大掲示板で立ててみた。

 幸いにしてサーバーエラーは起きず、一コメント目に「分かるやつおる?」と書き込んでおいた。

 反応は、

「意味はわかるが、なんか考えられなくなる」

「IQを下げる文字やん! なんだこれ、魔法?」

 似たような意見が噴出している。

 翌日には大手のまとめサイトにて、

 【ワールド・シミュレーション】この文字について考えるだけで数学ができなくなると話題に【原因不明】

 というような内容でまとめられてしまう始末だ。

 立て主である彼はスレッド内で懇切丁寧に意味を説明したが、「難しすぎるやろ、哲学者か何か?」

 などと返されてしまった。

 家のPCに向かって、「俺は天才じゃない……」よな、とは小声で出た。

 学業はそこそこできたが、別に特段賢いとも思っていない。天才など、とうに諦めている。

 周りが馬鹿なのだ、と言ってしまうのは簡単だったが何かがおかしい。

 相手は全国的な掲示板だ。書き込んだ全員が、こぞって自分に嘘を吐いているとは思えない。

「俺だけエイプリルフールの只中ただなかなのか……?」

 他の手段で言葉を伝えられないか、判断しようとしたが、2スレッド目にして反応があった。

「何が難しいのか、全くわからない。

 外側の世界が、この世界をコントロールしているって妄想だろ? 映画にもなってた」

 他の書き込みでの反応は、

「意味不明な電波野郎が来た」

「スレ主対処して」

「わかったふりをしたガキだな」

「待て、単語の一部はスレ主の説明と同じじゃね?」

 彼はこう書き込む。

「彼の意見が正しいよ。そのまま合っている」

 迂闊うかつに説明を行うと、また訳の分からない事になりそうだ、と彼は考えてそれ以上は踏み込まなかった。

「その映画の名前は分かります? 自分はもちろん知っている。てか、むっちゃ有名だよね?」

 彼は追加で書き込んだ。

「もちろん。なぜかどこにも検索に引っかからないね。なんか怖いんだけど」

 その後、その人物から書き込まれることはなかった。


 さらに翌日。

 彼のPCに、見知らぬメールが放り込まれていた。

 メールのタイトルは、『ワールド・シミュレーションについて』

 文面を見ると、彼自身の本名と住所、スレッドに書き込みをしたことが特定されて書かれていた。

 心臓が飛び出しそうなほど驚いたのだが、どういう意味か図ろうとする。

 スレッドの書き込みをした、という内容だけなら、確かに誰でもに大量に送りつけるスパムメールという可能性も考えられなくもない。

 だが、本名と住所がバレている。

 メールはこう続いていた。

 『私に興味があるのならば、仕事の終わりに一丁目のカフェまで来てください。

  危害は加えません。』

 その日の仕事が終わるまで、彼は極度の緊張状態だった。そして、これからはさらなる緊張が待っている。

 仕事の終わりに「なにかありました?」と同僚の女性から心配そうに聞かれるが、

「ちょっとね。大事な用事ができてしまって」嘘ではないだろうし、彼女を危険に巻き込むこともないと思える、穏便な言葉でお茶を濁したのだった。

 彼女も突っ込むことはしないが「何かあったら、相談くらいなら受けます」と言ってくれた。

 一丁目のカフェは、街中まちなかにあるチェーンではない、おそらくは個人経営の店だった。

 個人経営といっても、それなりに大きな店である。店内の飲食スペースも広い。

 『一番右端手前の席で待っています。』追加された伝言のメールを頼りに、待ち合わせを行った。

 店の人間に事情を話して、カフェ店内の右へと足を進める。

「貴方が待ち合わせの方ですか……?」

 おそらくは彼だろう。席に座るのは無機質な顔立ちの、無表情の男だった。

 服は綺麗なスーツを着込んでいる。会社員、と見えるだろうが顔立ちは端正で、たとえば、想像力のない機械が人間を想像したのなら、きっとこうなるのだろうと思わせる何かが、その男にはあった。

 不気味だ。初対面の人間にここまで違和感を覚えるのは何年ぶりだろうか。

 それなり以上に人間関係は構築してきたが、いい関係となるのか、何か大問題となるのかはわからない。

「こちらも、何か問題を起こそうというつもりはありません。

 座りますよ」

「はい。問題ありません」

 男に笑顔はなく、かといって怒っているわけでも物騒なわけでもない。

 そう、観察者というべきだろう。

 自分とは違う生物を眺める、あの感覚を受けているような気がして彼は悪寒がした。

 従業員の女性に、コーヒーの注文を取ってもらう。一番無難――一番人気と書かれているセットメニューのコーヒーと同じものを、それ単品で注文した。

 向かい側の彼は、普通のコーヒーを飲んでいるようだった。シュガースティックなどは開けてもいない。

 客層的に、女性向けのセットだったかもしれない。甘すぎるコーヒーはあまり好きではないが、焦って注文したからだ。仕方がない。

 学生くらいの若い店員が丁寧に受け答えをして、彼女が去ってから時間が経ってからテーブルを挟んで対面に座った無機質な彼に話しかける。

 質問だった。

「……状況は全く読めていない……。

 何か情報があるなら聞きたいところですね」

「ランダムアクセスだったのですよ。理解できるものを選ぶのは」

「……」

「私は『管理者』の一人。と言っても端役ですがね」

「……名前は?」

「必要ないでしょう。私はこの世界には、本来干渉しない側の存在です」

「はは、ゲームのシナリオとしては陳腐だ」

「陳腐なシナリオほど、現実に起きれば一大事となる。

 貴方もここ数日で理解したはずでしょう?」

「全て現実か」

「ええ、そして仮想の」

――電波野郎め。こいつはただの頭のおかしなハッカーで、俺を騙そうとしているに違いない!!

 それこそ現実を捻じ曲げてでも、無意味な確信を得てしまっていた彼だった。

 先ほどの女性従業員が、コーヒーを持って来てそして去っていった。

 見るからに甘そうだったが、今は糖分を大変に補給したい気分だった。

 科学的かどうかはさておき、脳に栄養をぶち込みたい。

 そうだ、科学だ。

「頭がおかしいのは俺か、君かな。さすがに自分以外の人類全体とは思えない。

 科学的根拠でも持ってきてもらいたいところだな」

「いずれにせよ、貴方は選ばれた。

 幸運か不運かは別ですが、まあ我々はこの惑星ほしの管理からそろそろ身を引きたいのですよ

 ある程度文明が進むのを見るのは良いですが、ありきたりな知的生命体の結果でしかないので」

「宇宙でも作ってそうな物言いだな」

 呆れたように、彼は口にした。

「幾つかは、まあ」

 相手の無機質さは相変わらずだった。

 このロボット端末的な存在は、自分に干渉することを選んだようだが――

忘れ去られた知識フォーゴトンにアクセス可能な人間は、三十万人に一人程度で、更に私達が干渉しているのはそのさらに百分の一以下です」

「宝くじの二等、くらいかな」

 反応だけはしておく彼だった。

「結局、それら全てが事実だったとして、目的は何なんだ?」

「我々は、進化の新しい可能性を探り、宇宙を精査しています。

 微細な存在とはいえ、この惑星の知的生命体、ホモ・サピエンスには可能性はあった」

「どうして、過去形なんだ?」

「未来が見いだせなくなったからです。

 言ったはずです。ありきたりだと」

 その言葉に対して何かを言いかけた彼だが、二の句が継げない。

「ニュークリア・ウェポンにコンピュータ・サイエンス。

 まあ、そこまで到達したことは褒められるべきことですが、緩やかに衰退する可能性は十分にあり得るので――

 ぞっとした。傲慢だが、おそらくはそうではない。

 アリの巣に興味をなくした子どもがそれを壊すような感覚だろうか――

「放置すればいい。干渉は無用だ」

「人類の進歩は、なかなか良い線を行ってましてね。このままだと、我々の方へ人類側から接触を行いかねない。

 我々から見て末端の末端でも、人類に干渉をしたがる不埒ふらちやからは居るものでね。

 それは、我々の本意ではありません」

「俺に、どうさせたいというんだ?」

「我々は、最も穏便で可能性のあるやり方を実行することに決めたのですよ。

 少しずつ、この惑星の人類にここが作られた世界であることを把握させ、何らかの策を講じてもらいたい」

「平凡な、俺にか?」

「まあ、他にも居ないわけではないので、頭の片隅にでも留めていてください」

 彼は立ち上がると、会計のレシートを指で挟むように掴んだ。

 退出する男の背中を見つめて、

「嘘っぱち」そう言う彼だった。

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