第4話 お姉さんに会いに行きましょう!

 後に残されたエルネストが呆然としていると、ラァラがひと仕事終えたというように、ふぅと息をつく。


「エルネスト、良かったな。これでお前の呪いが解ける。あたしら魔女は、お前と縁づくことができないから、これが一番丸くおさまる方法だろう」

「それはどういう……?」

「三百年前の魔女狩り。魔女を殺そうとした馬鹿どもの骨で白夜砂漠ができたっていう話を知らないのか? あの砂漠を作った呪いのせいで、あたしたちは砂漠を越えられない。この集落で砂漠を越えられる魔女は、もうネリーしかいない」


 感情の読めないラァラの声に、エルネストは鎧をがしゃりと鳴らして立ち上がった。

 視線を向けた先で見たのは、すっかり冷めた言霊茶をすすっている、赤毛の少女の姿で。


「あー、言霊茶、あったけぇ」

「……冷えてませんか?」

「いいや、あったかい。エルネスト、言霊茶を飲むコツはな、自分が世界で一番好きなお茶の味を思い出すことだ」

「はぁ……」


 どう声をかけるべきか逡巡して、結局エルネストが選んだのは当たり障りのない言葉だった。魔女が語りたがらないことは不用意に踏み込んではいけないと、エルネストはドロテに呪いをかけられた時に悟っていた。

 エルネストは椅子に座り直す。そろそろこの不思議なお茶が気になってしょうがない。

 エルネストがラァラに背を向けて頭の鎧を外そうとしたところで、パタパタと壁の向こうから軽い足音が聞こえてきた。途中まで持ち上げていた鎧が、がしゃんとエルネストの首に備わる。残念ながら、お茶は飲めそうにないらしい。


【持ってきたわ! 魔女の婚礼の儀式書よ!】


 ちゃちゃーんと陽気な足取りで、ネリーは一冊の大きな本を持ってきた。

 最高級の銀色クロコダイルのなめし革を、金の縁取りで装丁した豪奢な古書。大切にされてきたのがよく分かる重厚さだ。


「儀式書……やはり婚礼というからには、大掛かりなものなのですね」

「難しく考えるな。儀式書とは言うが、いわゆる便覧のようなもんだ」

【ふふ、素敵ね。お師匠様の婚礼はどんなものだったのかしら】


 ネリーが机の上に本を置くと、三者三様の面持ちでその本をのぞきこむ。煙と鎧と赤毛がひしめきあった。


「ネルテの婚姻は冴えないもんだったぞ。あんまり参考にはならん」

【まぁ、そうなの?】


 ラァラに返事をしながら、ネリーは儀式書へと手を添えた。

 分厚くて重たい、どっしりとした表紙をめくる。

 儀式書の一ページ目には、魔女の婚礼に係る五つの項目が設けられていた。


 純血と純白の魔女盛装マギカ・ドレス

 オーロラの露で育てた青薔薇のブーケ。

 金環日食から錬金するプラチナの指輪。

 精霊への感謝、大地から祝福をいただく饗応。

 生命を紡ぐ誓約のキス。


 ページをめくれば、それぞれの項目に関わる詳細が書かれていて、三人は身を寄せ合って目を通していく。

 途中、首が凝ってしまったエルネストが顔を上げると、ネリーの首から本の内容がゆらゆらと綴られていて。

 エルネストは、なるほど、これは便利だと、顔を上げてネリーの文字を読み始めた。首が痛くならないのはとてもいいことだと鎧の向こうで柔らかく微笑む。

 やがて、一通り目を通したところでラァラが顔を上げた。ネリーも上体を起こして、椅子に座り直す。


【婚礼用の衣装と小道具が必要なのね。魔女盛装マギカ・ドレスの刺繍なら大丈夫だわ。わたし、とっても得意だもの!】

「だな。青薔薇の生育も、ネリーならまぁできるだろ。指輪の錬金はあいつに教えてもらって、饗応もいけるな。あとは……」

「誓約のキス……?」


 ネリーがドレスのデザインについて熱心に本を読み込もうとする横で、ラァラが婚礼に必要なものを指折り数えていく。どれも心当たりがあるようで、一つ一つ、指が折られていくけれど。

 最後の一つ。

 エルネストがその内容に眉をひそめていれば、ハッとした様子でネリーの頭の文字が揺らいだ。

 何かを主張するようなその揺らぎに、エルネストとラァラが注目すれば。


【エルネストさん、どうしよう? わたしに首がないので誓いのキスができません!】


 てらいのないその綴りに、エルネストのほうが動揺してしまう。

 キス。口づけ。接吻。

 首のないネリーを見て――エルネストはなんだか奇妙な気持ちになった。


「首が、ありませんね」

【そうなのよ! どうしましょう?】

「首を取り戻すのが先決、ですか」

「そういうこった」

「でも首は……」

【お姉さんが持っていってしまったわ】


 つまり、婚礼を挙げるにしろ、ドロテを断罪するにしろ。


「魔女の森と白夜砂漠を越えて、ドロテに会いに行かないといけないな? 安心しろ、ネリー。まだキャラバンが滞在しているから、それについていけ」


 人生の転機はいつも突然。

 ラァラの鶴の一声で、ネリーの旅立ちが決まった。



 ✥✥✥



 キャラバンに納品するラァラの魔法薬の都合で、出立はその二日後だった。

 ネリーは初めての外の世界に、期待で胸を膨らませる。

 旅支度は簡単に。長期不在に向けて家の中を簡単に整理するのと、必要なものをぽいぽいととんがり帽子の中に詰めるだけ。

 この二日間、エルネストはネリーとラァラのもとを行ったり来たり。鎧をガシャガシャ鳴らしながらお手伝いをしてくれるエルネストに、ネリーは未来の旦那様の人柄の良さを垣間見て、ちょっぴり嬉しくなった。素敵な人に、間違いなし。

 そうして迎えた旅立ちの日、ネリーは色んなものが詰めこまれたとんがり帽子と身の丈ほどのエニシダの杖を持って、エルネストと一緒に魔女の集落の入り口へと赴いた。

 ネリーの見送りには、集落の魔女たちも集まってくれた。そこにはもちろん、失敗した魔法薬の効果も切れたらしい、いつもの大人のラァラもいて。

 波打つたっぷりとした赤髪を頭の上の方で一つにくくったラァラは、黒いタイトなロングスカートに白衣という姿。翠緑の目をきらめかせて、ネリーが手に持ってたとんがり帽子の中にあれこれと、とっておきの魔法薬を放りこんでいく。


「よし、これだけあれば何があっても対処できるな。あとはー……あ、ネリー。これを忘れていたぞ。カメオの予備だ」

【ラァラ、違うわ。置いていったのよ。なくしたら嫌だし、それにこれは外さないもの!】


 ネリーがいつもつけている、ライラックのチョーカー。

 今日もネリーの首元で横顔の女性が微笑んでいるけれど、ラァラはそれに渋面をつくる。


「持っていけ。何かあった時に困るのはお前だぞ」

【大丈夫よ】


 ネリーは気楽に返しつつ、とんがり帽子をひっくり返して、ラァラが余分に詰めた薬品たちが落ちてこないか確認した。ネリーもめいっぱいにとんがり帽子へ荷物を詰めこんだから、亜空間収納のおまじないの容量を越えているかもと、不安になったから。

 そんなネリーに舌打ちをしたラァラは、エルネストに近づいた。ネリーが持っていこうとしないなら、旅の同行者に預けるだけ。エルネストはもう、ネリーにとっての他人じゃないのだし。


「エルネスト」

「え?」

「ネリーのカメオだ。いいか、絶対になくすな。もしネリーのカメオが壊れたら、これを使え」

「はぁ……」


 いまいちこのカメオが何かを理解していないエルネストに、ラァラは脅すようにドスを効かせつつも、ネリーに聞こえないように声をひそめた。


「ネリーのカメオはあいつの命だ。あいつは魔女だが、魔女の血統じゃない。不老長寿でもなければ、首がなけりゃ死んじまう。カメオがネリーの頭を担っているんだ。ネリーから絶対にカメオを外すんじゃないぞ」

「っ、ネリーさんはそのことを」

「カメオのことは知ってるが、寿命の話は知らんだろうな。ネルテは話さなかったらしい」


 ため息をついたラァラとは対称的に、エルネストは真摯に彼女の言葉を受け止めた。

 ネリーも知らない彼女の秘密。

 それでようやく、どうして魔女たちがネリーをエルネストに差し出したのかを理解した。


「ネリーはあたしたちと同じ人生を歩むには儚すぎる。お前が来てくれて良かった」

「それは、厄介払いですか?」

「あぁ? そんなわけあるか。呪うぞ」


 エルネストがあえて挑発すれば、ラァラはそれに乗る。

 それだけで、ネリーがこの集落の魔女たちに愛されて育ったことがよく分かって。


「……ドロテの馬鹿のせいで、三百年前のように魔女への悪感情がネリーに向くかもしれない。どうか、ネリーを頼む」


 ラァラが頭を下げた。

 白夜砂漠を生んだという恐ろしい魔女の一人が、一介の、むしろ長いこと忌まわしく思ってきただろう国の騎士に、頭を下げた。

 本当なら、助けを求めたエルネストこそが頭を下げるべきなのに。

 だからエルネストは。


「もちろんです。見ず知らずの私のために、彼女は人生を預けてくれたんです。必ず、報います」


 一度口にした約定を、違えはしない。

 エルネストの返答にラァラが満足そうにうなずくと、待っていたかのようにキャラバンの指揮者が旅立ちの号令をかけた。

 ネリーはキャラバンの最後尾にちゃっかりついている。

 エルネストも魔女の集落へと向けて一礼して、その隣へと並んだ。


【行ってくるわね、みんな!】


 旅立ち日和のいい天気。

 ネリーはそう綴った雲の文字を、青い空へと楽しげにたなびかせた。

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