第2話 騎士様に求婚されてしまったわ!
ネリーの家は「魔女の森」の最果て、魔女の集落の中でも外れの方にある。庭は他の家に比べて広く取られているかわりに、家は小さい。この家はネリーが師匠から受け継いだ大切な宝物の一つだ。
その宝物の家へと訪ねに来る者は滅多にいない。もちろん同じ集落の魔女たちは気楽にやってくるけれど、そうではなくて、外界の、森の外からのお客人が来るなんてこと、ネリーが物心ついてからは数えるほどしかなかった。
どんな時でも魔女は着飾ることを忘れてはいけない。
魔女の盛装はどんな合金の鎧でも勝てやしない。
そう教えてくれたのもネリーの師匠だった。
ウエストをきゅっと絞り、スカートの布をたっぷりと持ち上げて花を模したドレープが魅力的な、ネリーの
このドレスを着て、何でも入る亜空間収納のおまじないをかけたとんがり帽子を被れば、どこからどう見ても立派な魔女になる……のだけれど、残念ながらネリーには帽子をかぶる頭がなかった。その代わりに、彼女の目であり耳でもある、カメオ付きのライラックのチョーカーが、彼女の細くて白い首を彩っている。
【お待たせ! ラァラ、甲冑さん、中へどうぞ。とっても美味しいお茶を淹れたのよ】
身支度を整えたネリーが改めて出迎えると、勝手知ったる様子でラァラが家に入ってくる。甲冑の人も一緒にどうぞと扉を開けて待っていたネリーだけれど、甲冑の人はなかなか入ってこようとしないで、ジッとネリーを凝視していた。
熱い視線を受けて、ネリーは首をかしげる。ゆらゆらと首から生まれる文字も傾いて。
【甲冑さん? 入らないの?】
「……お邪魔します」
聞こえた声は落ち着いた男性のものだった。
お腹をくすぐるような、低い声。
首までのネリーより頭二つ分は高い甲冑の人が、彼女の横をすり抜けて家へと入る。魔女の集落は女性ばかりで、年に数回やってくるキャラバンの男性以外にほとんど面識がないネリーはちょっとドキドキした。
ラァラは先に居間にあるテーブルについてお茶をすすっていた。お茶菓子のナッツも遠慮なくつまんでいる。甲冑の人がちょっと戸惑うように入り口で足を止めてしまったので、ネリーは彼の背中を押して、もう一つのティーセットをセッティングしてある席へと座らせた。
【暑いでしょ。甲冑は脱いだら? 白夜砂漠と魔女の森を抜けたら、もう危険はないでしょう?】
「いや、自分は……」
「やめておけ、ネリー。こいつの兜は脱がせるな。茶が不味くなる」
怖気が走ると言いたげに腕を擦りながらラァラがそんなことを言うので、さすがのネリーもちょっと咎めた。
【ラァラ、お客様に失礼だわ。魔女の言葉は言霊なのだから悪口はだめよ、ってお師匠様も言っていたわ。ほら、お茶が不味くなっちゃった】
ネリーがラァラのお茶を指し示しながらそう言えば、ティーカップに口をつけたラァラが突然お茶を吹き出した。
「ぶっ! ……おいこらネリー! お前これ、言霊茶か!」
ラァラの言う通り、ネリーが出したのは言霊茶。
言霊茶は暗示作用のある魔女の薬茶だ。美味しいと思えば美味しいし、不味いと思えば不味くなる。
ネリーはしてやったりと自分の首の上、次に文字が生まれる場所を指さして。
【二年ぶりのお客様だもの! 歓迎のお茶はもちろんとっておきよ!】
「くっそ、こんなもん出しやがって……美味しくなぁれ、美味しくなぁれ……」
うきうきと流れ出るネリーの文字。
その浮かび上がる文字の踊りっぷりとは違って、ラァラはお茶に向かって美味しくなぁれと念じている。小さい少女が一生懸命にお茶に美味しくなれと言っている横では、甲冑の人が居心地悪そうに身じろぎした。
「あの、ラァラ殿」
「なんだ。私は忙しい」
「そろそろ説明が欲しいのですが……その、この方は? 魔女……なのでしょうか? 首が、ありませんが、どうやって……」
甲冑の人がなかなか本題に入ってはくれないラァラを急かせば、ラァラはばつが悪そうにひとつ咳払いをした。
「あー……そうだな。挨拶がまだだったな。エルネスト。こいつはネリー。魔女だ。諸事情で首は今、家出中だ」
【違うわよ、ラァラ。首はお姉さんにとられてしまったのよ。家出じゃないわ!】
ネリーが抗議の言葉を首からくゆらせるけれど、ラァラは全くそれに頓着しない。さっさと話を進めようとしてしまう。
「で、ネリー。こいつはエルネスト。シャナルティン皇国の近衛騎士。てめぇの首を持っていった姉弟子ドロテに呪われた、哀れな犠牲者様だ」
【ドロテに呪われた!?】
「姉弟子?」
ネリーがちょっと崩れた雲の文字を浮かべると同時に、エルネストの驚いたような声が上がった。
ネリーとエルネストは驚愕のままお互いの顔を見つめ合おうとして、ふと黙ってしまう。
ネリーはエルネストの視線が甲冑に隠れていて分からないし、エルネストもネリーのどこを見たら不躾じゃないのかとつい悩んでしまって。
奇妙な沈黙が生まれる中、ラァラがお茶をすする。
「ネリーに任せると、エルネストが小説一冊分くらいの文字を読む羽目になりそうだからな。あたしが順に話してやるよ」
そう言って、ラァラはまず最初にネリーの生い立ちについて話し出した。
「ネリーは捨て子でな。魔女の森の外、白夜の砂漠に捨てられて干からびかけていたのを、うちにくるキャラバンが拾ってきた。それを育てたのがこいつの師匠であり、ドロテの母である魔女・ネルテだ」
ネリーとドロテは姉妹のように育ち、同じようにネルテに師事して魔女になるための修行を積んだ。
だけど、ネリーとドロテでは魔女としての素質が正反対で。
ネリーを善性の魔女とするならば、ドロテは悪性の魔女。ネリーが白魔術を得意とするならば、ドロテは黒魔術が得意というように、まさに水と油のような二人だった。
「ことあるごとにまぁ、こいつらは喧嘩してたな」
【だってドロテが意地悪ばかりするんだもの!】
「はいはい。んで、二人の母親で師匠でもあったネルテが、二年前に死んだ。寿命だ。ドロテを生むために、ネルテは魔女の婚礼を挙げていたからな」
「魔女の婚礼? それはもしかして」
「話の腰を折るな。その話はまだ後」
ちょこちょこと合いの手を入れてくるネリーとエルネストにイラッとしながらも、ラァラは順に話を進めていく。
「そこから一年。まぁ、ドロテは荒れに荒れてな。ネリーとの術比べなんて可愛いもので、本当に手を焼かされた」
【ラァラの工房に火ツツキ蜂の蜜を撒いて、ひと月の間、爆竹を鳴らしていたのは傑作だったわ!】
「おいコラ、ネリー。なんだって?」
【なんでもないわ】
火ツツキ蜂は竈門に巣を作る蜂で、その蜂蜜から作った蜜蝋は一ヶ月燃やしても溶けやしない。それを大量に床に撒いた部屋に爆竹を放りこんだ惨状は、推して知るべし。
「……思い出したら腹が立ってきた。とにかく、ドロテは荒れてたんだ。その果ての結果がコレだ」
【わたしの頭! 文字通り寝首をかいて、ドロテがわたしの頭を何処かにやってしまったのよ!】
そうしてドロテは行方をくらませた。集落のどこを探しても見つからず、占いが得意な魔女に行方を辿ってもらえば、魔女の森の外、白夜砂漠を越えたその先に行ってしまったという。
「それからはおそらく、エルネストが知る通りじゃないか?」
【エルネストさんは、ドロテを知っているのよね? それに呪いって?】
さも当然のようにラァラがエルネストに話を振ったので、ネリーも前のめりでエルネストを問いただす。ぐいっと頭のかわりに雲の文字がエルネストの方に流れてきて、彼は思わず両手を上げて身をのけぞらせた。
「ネリーさん、ちょっと落ち着いて。文字が顔に当たる……」
【あら、ごめんなさい】
ひょいっとネリーが椅子に座り直せば、ぐいぐい迫ってきていた雲の文字も引いていった。エルネストはこほんと咳払いをすると、居住まいを糺す。甲冑がガシャリと鳴った。
「妹弟子だというネリーさんに伝えるのは酷ですが……ドロテは我がシャナルティン皇国の皇太子殿下に見初められて後宮入りし、贅沢三昧、我がまま放題。気に食わない人間がいれば呪詛をかける彼女は、官吏たちの間で傾国の魔女と呼ばれています」
なんてこと、とネリーは天を仰ぐような仕草をした。
自分の姉弟子が傾国の魔女と呼ばれているなんて。首なし魔女のあだ名がつけられたネリーとはずいぶんと差がある。そんなことを思っていれば、話はそれだけにとどまらず。
「私もその一人です。顔が醜くなり、見た者全てに嫌悪と殺意を与える呪詛をかけられました。仕えている主君には、この呪いを解くまで顔を見せるなと言われ、その解呪方法が……」
「魔女の婚礼。その相手を探しにここまで遠路はるばる来たそうだ」
そこでようやく話が繋がった。
決して素顔をさらさない甲冑の騎士が、どうしてこんな最果てにある魔女の森にまでやってきたのか。
全ては呪詛を解くため、そのためにここまで。
【すごいわ、エルネストさん。魔女の婚礼のためにここまで来たのね。それで、お相手は見つかったの?】
「いや……その、あの」
「鈍いやつだな、ネリー。なんであたしがこいつをここまで連れて来て、お前に会わせたと思ってるんだ」
【え?】
はて、それはどういうことかしら? と、ネリーの文字がほんのりと傾くと、ラァラがにやりと不敵に笑った。
「魔女の婚礼、お前が挙げろ。ついでに首を取り戻して、やりたい放題の姉弟子にお灸をすえてこい」
ネリーの雲の文字がふっと途絶えた。
細くたなびく香炉の煙のように、首から薄く雲が流れていき――
【えぇっ!? わたしが結婚するの!? イヤよ、わたし、魔女として三百年は生きてから結婚したいの! 魔女の婚礼なんかしたら、長生きできなくなるじゃない!】
一拍おいた後、噴出した雲の文字はとっても大きく主張した。物理的に大きくて、部屋が雲に巻かれて霧がかったように目の前が真っ白になってしまう。
実はこの来訪は、ネリーのお見合いだったらしい。
ネリーのこの反応を当然のように予想していたのか、ラァラはついっと指を立てて息を吹きかけると、風が流れて、充満していた雲が窓から外へと押し出されていく。
晴れた視界で見えたのは。
「お願いです、ネリーさん。私と結婚してください。悪女ドロテを断罪した後は、必ず責任を持って、貴女を幸せにしますから」
いつの間にか椅子から立ち上がっていた甲冑の騎士が、ネリーの手をうやうやしくとって跪き、求婚する姿だった。
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