第18話 騎士様の声が聞こえたわ。
みなしごのネリーには、母もいなければ父もいない。
白夜砂漠の白い砂の上。キャラバンに見つけてほしいと言わんばかりに、シャナルティン皇国から一日歩いた場所にぽつりと捨てられていた。
そんな彼女を赤ん坊の頃から育ててくれたのは、まるで不思議を体現したかのような森の集落で隠遁している、十三人の魔女。
十三人の魔女はかつて、皇国から迫害された魔女の生き残りで、長生きをしている分、たくさんのことを知っていた。
その内の一人である魔女ネルテにめいっぱいの愛情をそそがれながら、ネリーは彼女の娘のドロテとともに成長した。
ネリーの色、と言われたその髪は、ネリーの宝物だったけれど。
なんとなく、成長するごとに、集落の魔女たちはネリーを通して何かを懐かしんでいることを、彼女は悟っていた。
ネリーの髪がとっても長かったのも、ネルテを筆頭に誰もが切ることを渋ったからで。
それでもネリーは嬉しかった。
魔女の集落で、まがい物の魔女である自分が彼女たちに大切にしてもらえるのならそれで良かったし、魔女の集落での生活は毎日が豊かで楽しかった。
そんな浅はかなぬるま湯にひたっているネリーの心を見透かしていたのが、ドロテだったのかもしれない。
いつだってドロテは、ネリーのことを目の敵のようにしていた。同じことをネルテから教えてもらっても、自分の方がドロテより上手にできるのが気に食わないのかと、ネリーはずっとそう思っていた。
だってネリーもそうだったから。
ネリーは手先が器用でお勉強は得意だったけれど、ドロテのように空を飛んだり、動物や草木、精霊の声を聞くことは上手にできなかった。ネリーだって、ドロテのことが羨ましかった。
だけどドロテは、ネリーの思いよりも遥かに強い感情を内に秘めていて。
――死んでよ、ネリー。
ズキリと、心臓を貫かれたような痛みが、無意識下に沈んでいたネリーを襲う。
ジクジクとそこから血が流れ出すように、ネリーの今までの人生までもが流れ出していくようで。
(集落から、出てはいけなかったのかもしれない。お外の世界は怖いわ。お姉さん、とっても怒っていた)
ドロテは、ずっとずっと、ネリーのことを憎んでいたみたい。
死を望まれるほど、ネリーはドロテに嫌われていたという事実が、ネリーの身体から体温を奪っていく。
ネリーの首を取って行ってもなお、殺しまでしなかったのがドロテなりの愛情だったというのなら、なんて悲しい思いやりなのだろう。
(それならわたしは、ずっとずっと魔女の集落にいるべきだったんだわ。お姉さんの目に入るようなところにいてはいけなかったの。だってわたし、捨て子だから。誰からも、本当は必要とされていないのよ)
両親に捨てられたのは知っていた。
でもそれがどうしたと思っていた。
魔女の集落で、ネリーはたくさんの愛情をもらっていたと、そう、思っていたから。
でも、それすら。
(わたしは何者なの。わたしの髪の色だけに、価値があるの?)
魔女たちはこの髪を通して、何を慈しんでいたの?
皇太子はどうしてこの髪色に惹かれたの?
ネリーはこの髪色のせいで、両親に捨てられたの?
でもそのネルテさえ、この髪を通して何かを懐かしんでいることを、ネリーは気づいていた、悟っていた。気づかないふりをしていた。
(わたしはひとりぼっちなのね。わたしがいなくなったって、誰もきっと困らないのよ。むしろ、わたしが生まれなければ、誰も不幸にならなかったのだわ)
ネリーは物心がついてから、ネルテを母と呼んだことがない。
だってネルテはネリーのお母さんじゃないと、誰かに――幼いドロテに糾弾されたから。
その時から既に、不幸の種が巻かれていたのだとしたら。
(そんなわたしなんか、いらないわ、いらないわ。お姉さんの言うように、死んでしまえばいいの)
ネリーの心は闇に沈んでいく。
今までの楽しい思い出も、嬉しかった出来事も、全部偽物のようで、くだらないガラクタの山になる。
わたしには過ぎた贅沢だったのよ、とネリーが手放そうとして。
不意に、誰かがネリーの名前を呼んだ。
そんなことはない、と声が聞こえた気がした。
闇の中、木霊してくる声。
だぁれ、とネリーは声に耳を澄ませる。
(ネリーさん、目を覚まして。死んではいけない。貴女にはもっともっと、やるべきことがあるんでしょう?)
ネリーの心に優しく染みこんでくるこの声は、いったいだぁれ?
なんとなくこの声が、幾度となくネリーの胸をときめかせてくれたことを覚えている。
その声はまるでネリーを闇からひっぱり出そうとしているようで、ネリーは耳をふさぎたくなった。
でも、一番最初にいらないと思ってしまったネリーの首は真っ先に闇に葬られてしまったから、塞ぐ耳もなくて。
ネリーは闇の中で、子供のように蹲った。
(いやよ、いやよ。わたし、あんなにお姉さんに恨まれていたの。お姉さんの素敵な家族を奪ったわたしは、生きていたら、いけないのでしょう?)
ネリーがいなかったらきっと、カイニスはその両親を探しに行くこともなかったし、ネルテが寂しい思いをすることもなかった。きっとドロテだってもっと素直に育って、人の不幸を嗤うような子には、なっていなかったのかもしれない。
やっぱりネリーはいらない子なのよ、と意識を閉じようとすれば、また、誰かの声が優しく降りそそいできて。
(生きて。どうか生きて、ネリーさん。死なないで。俺はまだ、あなたの笑顔を見ていない。あなたと初めましての挨拶すら、していないんだ)
誰かがネリーに会いたがっている。
あなたは、だぁれ?
ネリーとまだ、初めましてをしていない人?
声が、冷え切っていたネリーの心を温かく包んでくれる。
ネリーの指先にぬくもりが灯って、ひときわ明瞭に声が聞こえてきた。
(表情がなくても、声がなくても、いつも楽しそうにしているネリーさんに救われたんです。呪詛をかけられ、友人や家族に憎まれて絶望もした。だけど、俺なんかよりよっぽど大変な思いをしてきたはずのネリーさんが楽しそうにしていると、希望が持てたんです。どうか、目を覚まして。あなたに出会えたことを、悲しい出来事にしないでください)
この、温かい声は。
ネリーは顔を上げる。
ぬくもりを探して目を凝らすと、闇の中、もう随分と見失っていた自分の顔が見えて。
――おはよう、わたし!
毎朝、いつも。
今日を楽しむために見つめてきた、自分の笑顔。
鏡に映るネリーは、いつだって笑っていて。
(どうか、笑ってください、ネリーさん。あなたの笑顔を、見せてください。あなたの声を、どうか聞かせて)
笑ってと訴える声。
鏡の向こうで楽しそうに笑っている
(……こんなの、わたしらしくないわ)
そう、思ったら。
まるで最初からそこにあったかのように、闇の中で星が瞬き出す。
流星群のように流れていく瞬間の煌めきは、ネリーの大切な命の輝き。
魔女ネリーの心の破片が流星になって、闇を照らしていく。
闇の世界を照らす星々が、ネリーの進むべき道を差し示した。
まるで天の川のようなその道を、ネリーは駆け出して。
「ねぇ、わたしも会いたいわ! わたしを待ってくれる人、わたしの運命の人! 魔女ネリーの、運命の御方!」
ネリーは呼吸を吹き返す。
自分の運命の人と、出逢うために。
そして辿り着いた、その道の果てで――
【エルネスト、さん】
「ネリーさん、良かった!」
最初に目に見えたのは、知らない天井。
そしてネリーの手を握る誰かの影。
ネリーが意識してその手の繋がる先を探せば、全身鎧に覆われた、甲冑の騎士様。
ネリーの目覚めを待ち望み、温かい声を伝えてくれたのは、ネリーの未来の旦那様。
魔女スティラが、エルネストをネリーの運命だと占ったことの意味が、ここにあった。
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