第十九話 お宅訪問(3)

「ただいまー。あっ、ボスだー。こんにちはー」


 リビングに姿を現し、俺を視認した咲良が、嬉しそうに手を振ってくる。


「咲良、お帰りなさい。ケーキあるけど、チーズケーキとチョコレートケーキ、どっちがいい?」


 椿さんがヘンゼルとグレーテルを誘惑する魔女のような声で言う。


「チーズケーキ!」


 咲良が弾んだ声で答える。


「紅茶はミルクたっぷりね」


「うん!」


 咲良が頷き、椿さんがまた席を立つ。


「ボス、この前は、レッスンを休んでしまってごめんなさいでしたー。今日もそれを心配して来てくれたんですよねー?」


 咲良は俺の椅子の隣にちょこんと腰かけると、申し訳なさそうな上目遣いでこちらを見てくる。


「いや、レッスンの方は全然大丈夫。むしろ、俺としてはみっちり先生に教えて貰えてラッキーだったよ。それで、次からは練習に参加できそう?」


「はいー。ちゃんとお勉強の時間を作ります。私、植物係なんですけど、いきものがかりの子たちが大変そうなんで手伝ってたんですよねー。でも、しばらくは植物係だけに集中するねってお話してきましたー。ウサちゃんたちをモフモフできないのはちょっと残念ですけどー」


 じゃれついてくるゴールデンレトリーバーの背中を撫でながら言う。


「そうなんだ。我慢できて偉いね」


 俺は思わず犬よりも彼女の頭を撫でたい衝動に駆られるが、身長差でギリ手が届かなかったらみじめなのでやめた。


「はい! ……秘密の作戦もありますし」


 ちょっと声を落とす。


「秘密?」


「はい。――本当は内緒ですけど、ボスにだけ教えてあげますね。私、得意と不得意な科目に差があるので、国語と社会の時に、こっそり苦手な算数と理科な勉強をするつもりです。私、悪い子になっちゃいます」


 咲良が椅子を寄せて耳打ちしてくる。


「そ、そうなんだ。こっそり頑張れ」


 ただの内職を世界の秘密のごとく囁くルルママがかわいすぎる。


 このボイスを切り抜きして囁きASMRとしてネットに挙げたら再生数がすごそうと思ってしまった俺は汚れている。


「はい!」


 太陽光発電ができそうなほどに破顔する。


 守りたいこの笑顔。


「あっ、そうだ。ルルにお土産を持ってきたんだけど、いる?」


 俺はふと思い出し、椅子の下に置いたビジネスバッグからラッピングされた小箱を取り出す。


「え、私のせいで迷惑をかけたのに、お土産なんて貰っちゃっていいんですか?」


 咲良が恐縮したように身体を縮こまらせる。


「まあ、励ましスパチャみたいなものだから。気にしないで」


 そう言って、小箱を咲良の前のテーブルに置く。


 もし二人が落ち込んでたらプレゼントでもして励まそうと思って用意したのだが、この様子では必要なさそうである。でも、せっかく用意してきたんだしな。


「じゃあ、貰っちゃいますねー。早速、開けてもいいですか?」


 神妙な面持ちで尋ねてくる。


「うん。もちろん」


「なにかなー、なにかなー。――おー! サボテン! アストロフィツム属ですね! 鸞鳳玉! うふふー、中々いい身体してるねー、キミ」


 鉢ごと持ち上げて、星形のサボテンをしげしげと眺める。


「気に入って貰えた?」


「はい! 欲しかったやつです! ありがとうございます。でも、どうして私の欲しいものが分かったんですか? 魔法使いですか?」


 目をキラキラさせて言う。


「いや、前にファミレスで、ルルが蘭かサボテンが気になってるって言ってただろ? それで、どっちにするか迷ったんだけど、小型のサボテンの方が場所を取らなくて世話の手間も少ないかなと思って」


「おおー、なるほどー。それでも、サボテンって同じ品種でも姿形が全然違うんで、センスが問われるんですよー。この子は中々のものですよ。この品種は普通は白いスポットが入ってるのが多いんですけど、敢えてのシンプルなソリッドでグリーンなボディを選ぶとは、さすがボスです」


 日頃はのんびりと喋る彼女にしては珍しい早口だった。


 配信時のルルも植物に関しては饒舌ではあるが、今の様子を見るに、あれでも抑えていたんだな。


「店員さんのおかげだよ」


 そうは言ったが、全くの偶然ではない。


 これまでの配信の発言を総合し、彼女は植物好きではあるが、ゴテゴテした派手な感じのは好きではないというところまでは突き止めていたので、なるべくシンプルな見た目のを選んだ。


 まあ、そこまで言うとキモいから黙っておくけど。


「あらあら、かわいい子を貰えて良かったわねー」


 椿さんが咲良用の紅茶とケーキを持って戻ってきた。


「うん! ボスはすごいんだよ。私のことを何でも知ってるの」


 咲良がなぜか胸を張って言う。


「まあ、コラボが俺のV活動の生命線だからさ、シューティングスターのVのことは特によく知っておかないとね」


 椿さんに誤解を生まないように補足する。


 ルルにも詳しいが、ルルにだけ詳しい訳ではない。


 俺は関わったVの情報は全てデータベース化して保存しており、暇さえあれば見返している。つまりは営業努力であって、まるで俺が児童に関心があるかのような物言いは控えて欲しい。


「ただいまー。――あっ、ホエるん、いらっしゃい。わざわざ来てもらってごめんね。次のレッスンからはまたちゃんと参加するから」


 そうこうしている内に、籾慈が帰ってきた。


 俺を見つけて、流れるように手を合わせて謝ってくる。


 謝り慣れてるし、謝られなれている動作だった。


「お邪魔してます。とにかく、元気そうで良かったよ。そう断言できるからには、学校の方も大丈夫そう?」


「うん。とりあえず、部活の助っ人は全部断ることにしたんだ。後は、優等生の子からノートをコピーさせてもらったから、それをプロに丸投げして要点だけまとめた最強のレジュメを作ってもらって、集中的に勉強すれば、次のテストで平均ラインをクリアするのは余裕だよ」


 そう言って、陽気にダブルピースを繰り出してくる。


 割と合理的な解決案だな。


 シネはVとしてはアホキャラだが、籾慈本人には上級家庭の地頭と要領の良さを感じる。


「籾慈、ケーキ食べるー?」


 アイランドキッチンの奥から椿さんが声をかけてくる。


「んー、晩御飯は?」


 籾慈は逡巡するように顎に手を当てた。


「出前のお寿司よー」


「あー、ホエるんが来てるから見栄張っちゃって。じゃー、ケーキはちょっと我慢かな。現役時代と同じ感覚で食べてたらヤバイもんね」


 跳びついてきたゴールデンレトリーバーをワシャワシャ豪快に撫でながら答えた。


「なら紅茶だけ淹れてあげるわ」


「ねえねえ、見て見てー、ボスに貰ったー」


 咲良はサボテンを籾慈に見せびらかす。


 ルルママもいいけど、こうして普通に子供しているのをみるとちょっとほっとする。


「あ、いいなー。っていうか、ルルっちにだけずるくない? ウチも何か欲しいなー」


 半分冗談のような口調で顔を近づけて、催促してくる。


 もし彼女が共学校に通っていたら、さぞたくさんの男子を勘違いさせ、甘酸っぱい青春の思い出を量産していたことだろう。


「一応、用意してきたけど、シネが気に入るかどうかはわからないぞ」


 俺はビジネスバッグからラッピングされた百貨店の紙袋を取り出して、籾慈に手渡す。


 咲良は植物好きという明確なデータがあったので、プレゼントは選びやすかった。


 だが、籾慈の嗜好は不明である。


 ホラーゲームが嫌いでパーティゲームとかバカゲーが好きということくらいしか知らない。スポーツ方面にも興味があるようだが、怪我でやむなく部活を引退したという経緯を考えると安易にその手のプレゼントをするのは地雷を踏む可能性がある。


 以上の情報を考慮した結果、導き出されたプレゼントはいわゆる『消えもの』だ。


「おお、入浴剤だ! それもお高いやつ!」


 籾慈が紙袋を開いて拍手する。


 一応、配信で『お風呂が長くてお母さんに起こられた』という発言があったので、選んでみた。これなら使ったら終わりだから、贈り物として重くないしな。


「合格か?」


「うん! 嬉しい! 嬉しいけど、欲を言えば、なんかルルっちのと違って、無難なのを選びましたって雰囲気で、愛を感じないなー」


 わざとらしく唇を尖らせて見せる。


 読まれていた。


「へへー、私はボスの子分ですからー」


 咲良がニヘラと笑う。


「だよねー。でも、姉妹で差別するのは良くないと思うなー。はー、初めての男の人からのプレゼントだったのになー」


 籾慈が肩越しに俺を覗き込んでくる。


 ファミレスの時はまだ外だから遠慮があったようだが、今日は彼女のホームなので距離感が近いな。


「こら、籾慈。貰い物に失礼でしょ」


 紅茶のソーサーを手に戻ってきた椿さんがそうたしなめる。


「ああ、いえ、配信でもいつもこんな感じのノリなので大丈夫ですよ。でも、シネさあ、俺は大人だし、このナリだからもうそういう方面は諦めてるからいいけどさ。異性にあんまり思わせぶりな発言はしない方がいいと思うよ」


 将来、彼女が無意識サークラにならないか心配だよ俺は。


「ええー、ホエるん、悟るの早すぎじゃない? ホエるんが思ってるほど、女の子は男の子の身長を気にしてないと思うよ」


 籾慈が小首を傾げて言う。


「ふっ、みんな当事者にならない内はそう言うんだよ」


 俺は鼻で笑う。


「や、闇ホエるんだ。本当だって。ね、お母さんもそう思うでしょ」


「そうねー。男の人はハートだと思うわー」


 鷹揚に頷く椿さん。


 でも、俺は信じない。


 だって、豊橋パパは高身長のダンディなイケメンじゃん!


 全然言行一致してないじゃん!


「でも、ボスー、身長なんて高くてもいいことないですよー。だって、私、電車とかバスとか、子供料金じゃダメだってよく止められちゃいますし、この前の修学旅行なんか、先生と間違われちゃったんですよ!」


 頬を膨らませてぼやく咲良。


「……」


 それは良かったな。


 逆に俺は今でも近所のコンビニに行くのすら運転免許証が手放せないよ。


「あ、えっと、あーっと、咲良、せっかくいい入浴剤を貰ったし、一緒にお風呂入ろうか」


 籾慈は紅茶を雑に一口含んでから言う。


「うん! あ、でもこのサボテンさんに名前をつけてあげないと」


 咲良が名残惜しそうにサボテンを見つめる。


「うんうん。一緒にお風呂で考えよ」


 籾慈が何かを察したような顔で、咲良を引っ張るようにして部屋からフェードアウトしていく。


「本当、騒がしくてごめんなさいね。でも、二人共、人見知りな所があるから、健人くんにとても懐いているみたいで驚いたわ。これも健人くんの人徳ね」


 椿さんが二人の背中を見守りながら、感心したように呟く。


「人見知り? そうなんですか?」


 俺は首を傾げる。


 咲良はともかく、籾慈はどう見てもスクールカーストトップのコミュ力お化けにしか見えないけど。


 その後、出前寿司が届き、俺はなんだかんだで引き留められ、終電の間際まで豊橋家の御世話になった。


(親孝行、できてないなあ)


 うちはこの家みたいに上品な家庭ではなかったけど、それでもちょっと実家に顔を出したい気分になる。


 そんな一日だった。

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