4章 新たな協力者を加えて
4-1
卒業試験の話題が上るようになった
以前にも増してコーデリア様からつきまとわれるようになったジル様は、放課後
『お
誰もいないのをいいことに
「はぁ……今日はアリーシャとあまり話せませんでした」
『それは……心中お察しいたしますわ……』
あまりのげっそり具合に、好きでもない人に言い寄られるのって苦痛ですのねと同情を禁じ得ない。
ジル様の中から見ているだけのわたくしでも疲れるのだから、直接コーデリア様とやりとりをしているジル様の
『コーデリア様、毎日めげませんわね。
ジル様もコーデリア様に気を持たれないように気を
『そういえば、いつ
「それがまったく。去年の終わりくらいからやけに
『なるほど。ここ一年ほどのことでしたのね……はっきりあなたとは
「いっそはっきり結婚したいと言っていただければ断れるのですが」
机に額をくっつけたまま、ジル様がもう一度深くため息をついた。
二人でどうしたものかと考えていると、男女の声と足音が近づいてくるのが聞こえた。忘れるはずもない、コーデリア様の声だ。
『────この声! ジルベルト様、どこかに
自由に動けないわたくしは、ジル様にどこかへ身を隠すように指示をした。
視界がきょろきょろ動いて、隠れられる場所を探す。ここで教室を出たら
ジル様はガタンと席を立つと、教室の後ろ側に並んでいた自分のロッカーに体を
ややあって、教室のドアが開かれて二人分の足音が中に入ってくる。
「悪かったな、帰ろうとしたとこ引きとめて」
そう言った男の人の声にも聞き覚えがあった。ロッカーのドアのせいで外の様子をうかがい知ることはできないけれど、その声はライアン様のものだった。
「いいえ、
「その……ダンスの卒業試験の相手ってもう決まってるか?」
「…………いえ、まだです。先ほどジルベルト様に断られてしまって」
コーデリア様の声のトーンが下がる。気落ちした様子のコーデリア様を
「俺と組んでもらえないか?」
「あら、私でよろしいのですか? 最後の授業はどなたか組みたい方がいらっしゃるのでは?」
「…………がいいんだ」
「え?」
「最後だからこそ、コーデリア
「あの……?」
成り行きで
「君は忘れてしまったと思うけど、前に家のことで
まさかの告白に、聞いてしまってごめんなさいという気持ちになる。聞いてはいけないと思いつつも、耳も
少し間があってから、ライアン様が話を続ける。
「君が、ジルベルトを好きだということは知ってる。だけど、少しだけ俺にもチャンスをくれないか?」
「え……?」
「俺、君のことが好きなんだ。学園を卒業するまででいいから、俺を、君を
(言ったああああ! 言いましたわ! それで、コーデリア様はどうなさるの!?)
ロッカーの中は真っ暗で二人の様子は全く見えない。
コーデリア様はライアン様の告白に戸惑っているのか、「あの」とか「えと」とか言って
「コーデリア嬢!」
彼女を呼び止めようとするライアン様の声と、パタパタと走り去る足音が聞こえた後、教室内がしんと静まり返った。
『び、びっくりしましたわね』
こそっと声をひそめて口を開くと、ジル様も同じように声をひそめて同意した。
「ええ。まさかライアンがコーデリア嬢に思いを寄せていたとは……」
わたくしもびっくりしましたわ。まさか、あの
ここでライアン様に
『ジルベルト様、これはチャンスではありませんか?』
「なにがです?」
『ここでライアン様とコーデリア様が
「なるほど、確かに……ひとまずライアンを追いかけてみましょう」
そうして、ジル様がロッカーのドアを開けた時だった。
教室に
「っっっっ!」
「っっっっ!」
ライアン様はまずいという顔をして固まった。おそらくそれはジル様も同じはずで、石像のように固まってしまった二人の間に
弁解しようにも、ロッカーから一歩踏み出したこの状態ではどうあっても今しがた教室に来たという言い訳は通用しない。ジル様はそそくさとロッカーを出て身なりを整えた。
気まずすぎる沈黙を破ったのはライアン様だった。
「ジルベルト……今の……」
見てたのか? と問われるより早く、ジル様が頭を下げた。
「すみません! 故意に聞こうとしていたわけではなくてですね。その……まさか、あんな話をするとは思っていなくて……」
聞いてしまったことを
「なんだって、そんな
「その……コーデリア嬢と顔を合わせたくなくて……」
「…………」
ジル様の言い訳に、ライアン様が
『すみません、ライアン様! 聞いてしまったお
「ちょ……!」
「様?」
うっかりいつもの口調で話してしまい、ライアン様から
「恋のお手伝いって、どういうつもりですか!」
『だって、ライアン様に頑張ってもらおうって方向で話が決まったではありませんか』
「だからって、いきなり手伝いますって声をかける人がいますか!」
ぼそぼそと小声で言い合っていると、ライアン様から「ジルベルト?」と声をかけられてしまった。
ギギギギ……とぎこちない動きでジル様が
「なんだって
「恋敵だなんて! 僕としてはライアンに頑張ってもらったほうがありがたいというか」
「…………話が見えないんだが?」
どういうことだ? という視線を受けて、ジル様は
「僕はアリーシャ以外を妻に
「こっちからしてみれば
ライアン様の話によると、コーデリア様のことが気になりだしたのは、夏の長期
ケルディ家の三男であるライアン様は
夏の長期休暇の時に会えなかったことで一気に想いは
「それなのに、よりにもよってお前に見られるとか……」
「それに関しては申し訳ありませんでした。僕だってまさかあんなことが起きるだなんて思いませんでしたし────あ、でも安心してください。聞きはしましたけど、見てはいませんので」
「そういう問題じゃねーよ」
がくりと
「手伝ってくれるって言ってもらったとこ悪いけど、俺もう振られてると思うんだよなぁ」
『そんなことありません!』
わたくしは思わず声を張り上げてからはっとした。
(しまった、人前でしゃべらないって約束しましたのに……あまりのライアン様のうじうじっぷりについ口を出してしまいましたわ)
ジル様ごめんなさいと心の中で謝りつつも、口元を塞がれていないことからまだ話していていいと判断して、そのままジル様の口調を
『「ごめんなさい」ではなく「少し考えさせてください」でしたから脈はあります』
「そんなもんか?」
『ええ。コーデリアさ……嬢の顔を見たわけではないので確信はありませんが、おそらくいきなりのことでびっくりしてしまったのだと思います』
「なら、コーデリア嬢の気持ちが落ち着くのを待てばいいってわけか」
『いえ、考える
「なっ……そんな
『それはやってみないとわかりません。ですが、いつもジルさ……僕にそっけなくされているので、急に
「お前、結構いい性格してんな……」
『仕方ないでしょう? わたくし……じゃなかった、僕だってなりふり構っていられないんですから。というわけでライアン、
赤くなり始めた空を背に、わたくしはライアン様に
『男女の仲を深めるには、二人でお出かけするのが一番ですわ!』
ライアン様と別れてお
わたくしの指示でページをめくるジル様が「でも」と反論する。
「いくらなんでも早すぎませんか?」
『そんなことありません! 卒業まで時間も限られていることですし、行動を起こすなら早いほうがいいと思います──本来でしたらコーデリア嬢の好きな場所へ行くのがいいのですが、まだわからないでしょうし、今回は
わたくしが話すことをジル様が書記係のように書き連ねていく。
一通り案を出し切ったところで、今まで口を
「なんだか僕の時と全然違くありませんか……?」
すぐにそれがアリーシャとの本屋
『一通りのデートプランは練ったので、お誘いするタイミングはライアン様にお任せしましょう』
机の上に広げられたデートプランを
*****
ライアン様にデートプランを
わたくしとジル様は
観葉植物がそこかしこに置いてあるカフェは、人気のお店だけあって結構な人で
「さて、何にします?」
『え?』
「いつも僕が選んでしまっているでしょう? こういう時くらいあなたが食べたいものを食べてください」
思ってもみなかったジル様の申し出に、
『本当に? 本当に、わたくしの食べたいものを
再度
ベリータルトを待っている間、席から見えるカップルらしき男女を見たジル様が、「初めてのデートか」と呟きをもらした。
その呟きに、初デートのことを思い出す。ジル様との初めてのデートは確か動物園だった。
ジル様はしばらく
「初めてアリーシャと出かけたのは動物園でした。動物を見ながらなら上手く話せるかと思ったのですが、あの頃は今にも増して
ジル様が
かくいうわたくしも当時はガチガチに緊張していたので、ジル様の質問に答えるだけで精いっぱいで、自分から話題を振ることができなかったのですよね。今思えば、わたくしたちは似た者同士だったのかもしれません。
「あれ以来、デートの前には計画を綿密に立てないと気が済まなくなってしまって……」
その話を聞いたわたくしは、
『…………ジル、ベルト様は初めてのデートのことを
「今ならもっと上手くやれるのにとは思っています」
悔しそうに絞りだされた返事に、思わず笑ってしまった。
「どうして笑うんですか……」
『気を悪くさせてしまったのでしたら謝りますわ────でも、わたくしは初々しくてよかったと思いますけど。初めてなんですもの、緊張して当たり前ではありませんか』
「そんなものでしょうか?」
『ジルベルト様はいつも気負いすぎではないかと思いますの。もっと肩の力を
「一緒にいる時間を、楽しむ…………そう、ですね。確かにあなたの言う通りです。アリーシャのためと言いながら、失敗したくないと思うあまりいつの間にか計画が第一になってしまっていました。予定を
反省するように一度目を
「あの、ありがとうございます。あなたのおかげで自分の
ジル様がそう思ってくれたことが嬉しくて、わたくしは口元を
話が一段落したところでベリータルトが運ばれてきた。
イチゴやブルーベリーが
ジル様からタルトが好きなのかと聞かれたので、タルトというよりはベリーが好きなのだと答えた。いつも二人で話をするときはアリーシャのことが中心なので、ジル様がこうしてわたくし自身のことを聞いてくるのは珍しい。
カフェを後にして腹ごなしに町の西通りをぶらぶら歩いていると、不意にジル様の口が「アリーシャ」と動いた。
でも、すぐにそれが自分ではないことに気づいた。視界の
「ジル様! こんなところでお会いするなんて
「…………ええ、まぁ。あなたは?」
さすがにデートの下見をしていましたとは言えず、ジル様が言葉を濁す。聞き返されたアリーシャは、連れの
そのうちの一冊を見たジル様が「【アーティアス聖戦】……」とタイトルを読み上げた。
アリーシャは一番好きな本なのだと答えて、ジル様が少し前に読んだことを知ると感想を聞きたがった。
立ち話もなんなのでということで、
アリーシャはベリータルトとアイスティーを、ジル様はコーヒーだけを頼んで向かい合って座る。
ジル様はアリーシャの前に運ばれてきたタルトを
「ベリータルト、好きなんですか?」
「え? ええ。あ、でも、タルトがというよりはベリーが好きで」
少し前のわたくしの言葉とアリーシャの答えが被る。内心ヒヤヒヤしたものの、さすがにわたくしとアリーシャをイコールで結ぶことはできなかったのだろう。不自然に黙り込んでしまったジル様にアリーシャが声をかけると、彼はぎこちない動きでベリータルトから顔を上げた。
「あ、いえ。僕の友人にも同じ理由でベリータルトを頼んでいる方がいたので、少し
取り
(──友人、か)
それが今のわたくしとジル様の関係。
仕方ありませんわよね。もともと名前を知られたくないからと名乗らなかったのはわたくしですもの。
まさか今になって後悔することになるだなんて思いもしなかった。
ジル様に名前を呼んでもらえるアリーシャが羨ましい。向かい合って顔を見ながらお話しできるのが羨ましい。死んでしまったわたくしと違って、未来のあるあなたが羨ましい。
でも、今さらどうしようもないことは自分が一番よく知っている。だからこそ、わたくしは目の前にいる
アリーシャを送り届けた帰りの馬車の中で、ジル様は終始
『楽しめましたか?』と聞くと、
先ほどまでの二人の様子を思い出す。好きなケーキの話をしたり、読んだ本の感想を言い合ったり、面接のようだった初めてのデートの時とは
それは昔わたくしがジル様とこうありたいと思った光景だった。
ジル様と体を共有するようになって、彼がどれだけわたくしとの時間を大切にしようとしてくれていたのかを知った。
もうわたくしが間を取り持つ必要なんてないのかもしれないと思いつつ、一つだけ、これだけは言っておかなければと思ったことを口にする。
『ねぇ、ジルベルト様。今日、あの子と手を
手がわきわきしていたのを知ってますよ? と
そう簡単に繫げたらこんなに
そんな昔
*****
数日後。
ダンスの授業でワルツを踊るライアン様とコーデリア様に目を向けた。
卒業試験に向けて練習に励む二人は、時折笑い合いながらステップを踏んでいる。
ライアン様からはわたくしが立てたプランでデートに行ってきたと報告があった。ジルベルトのおかげで仲良くなれたという言葉通り、ジル様がコーデリア様に話しかけられる
わたくしたちの都合でライアン様とコーデリア様を無理矢理くっつけるような形になってしまったので申し訳ないと思っていたのですが、なんだかんだで楽しそうな様子に内心ほっとする。
ジル様も同じ気持ちだったのかもしれない。
「ジル様? どうかされました?」
アリーシャに声をかけられて、ジル様の視線が目の前で踊るアリーシャに戻る。
ジル様は小さく首を振ると、目元を緩めて
「いいえ────ただ、うまくいくといいなと思って」
「?」
言われていることの意味がわからずきょとんとするアリーシャに代わって、わたくしは心の中で同意した。
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