4章 新たな協力者を加えて

4-1


 卒業試験の話題が上るようになったころ

 以前にも増してコーデリア様からつきまとわれるようになったジル様は、放課後だれもいなくなった教室で机にしていた。


『おつかれですね』


 誰もいないのをいいことにねぎらいの言葉をかけると、ジル様は突っ伏したまま深いため息をついた。


「はぁ……今日はアリーシャとあまり話せませんでした」

『それは……心中お察しいたしますわ……』


 あまりのげっそり具合に、好きでもない人に言い寄られるのって苦痛ですのねと同情を禁じ得ない。

 ジル様の中から見ているだけのわたくしでも疲れるのだから、直接コーデリア様とやりとりをしているジル様のろうは相当たまっているにちがいない。


『コーデリア様、毎日めげませんわね。つうでしたら、あのようにそっけない態度を取られたらすぐに脈なしだと気づくと思うのですが』


 ジル様もコーデリア様に気を持たれないように気をつかっているのに、どうしてこれが本人に伝わらないのか。いえ、伝わっていてもお構いなしなのかもしれませんが。


『そういえば、いつごろからコーデリア様に言い寄られていたのですか? きっかけみたいなものに心当たりはありませんの?』

「それがまったく。去年の終わりくらいからやけにあいさつされるようになったとは思っていたのですが、今年に入ってからは授業でペアを組まないかとさそわれることが増えていって……」

『なるほど。ここ一年ほどのことでしたのね……はっきりあなたとはけっこんできませんと言ってしまえませんの?』

「いっそはっきり結婚したいと言っていただければ断れるのですが」


 机に額をくっつけたまま、ジル様がもう一度深くため息をついた。

 二人でどうしたものかと考えていると、男女の声と足音が近づいてくるのが聞こえた。忘れるはずもない、コーデリア様の声だ。


『────この声! ジルベルト様、どこかにかくれましょう!』


 自由に動けないわたくしは、ジル様にどこかへ身を隠すように指示をした。

 視界がきょろきょろ動いて、隠れられる場所を探す。ここで教室を出たらろうはちわせてしまうし、隠れるのなら教室内のどこかしかない。

 ジル様はガタンと席を立つと、教室の後ろ側に並んでいた自分のロッカーに体をすべり込ませた。

 せまいロッカーの中にジル様のいきづかいが響いて、変にドキドキしてしまう。

 ややあって、教室のドアが開かれて二人分の足音が中に入ってくる。


「悪かったな、帰ろうとしたとこ引きとめて」


 そう言った男の人の声にも聞き覚えがあった。ロッカーのドアのせいで外の様子をうかがい知ることはできないけれど、その声はライアン様のものだった。


「いいえ、だいじょうですよ。それでお話とはなんでしょう?」

「その……ダンスの卒業試験の相手ってもう決まってるか?」

「…………いえ、まだです。先ほどジルベルト様に断られてしまって」


 コーデリア様の声のトーンが下がる。気落ちした様子のコーデリア様をはげますように、ライアン様が「それなら」と声をかける。


「俺と組んでもらえないか?」

「あら、私でよろしいのですか? 最後の授業はどなたか組みたい方がいらっしゃるのでは?」

「…………がいいんだ」

「え?」

「最後だからこそ、コーデリアじょうがいいんだ。どうか最後の授業、俺といっしょおどってくれないだろうか?」

「あの……?」


 まどうようなコーデリア様の声が聞こえてくる。

 成り行きでぬすきしてしまっているじょうきょうに居たたまれなさを感じつつ、外の様子に聞き耳を立ててしまう。ジル様もわたくしと同様にかたをのんで見守っているのがわかる。


「君は忘れてしまったと思うけど、前に家のことでなやんでる時、親身に話を聞いてくれたことがあっただろ? 俺、そのときの君の言葉に救われたっていうか──それから、ずっとコーデリア嬢のことが気になってて」


 まさかの告白に、聞いてしまってごめんなさいという気持ちになる。聞いてはいけないと思いつつも、耳もふさげないこの状況ではどうあっても二人の会話が聞こえてしまう。

 少し間があってから、ライアン様が話を続ける。


「君が、ジルベルトを好きだということは知ってる。だけど、少しだけ俺にもチャンスをくれないか?」

「え……?」

「俺、君のことが好きなんだ。学園を卒業するまででいいから、俺を、君をおもう一人の男として見てもらえないだろうか?」

(言ったああああ! 言いましたわ! それで、コーデリア様はどうなさるの!?)


 おとごころがキュンキュンするような展開に、ドキドキしながらコーデリア様の答えを待つ。

 ロッカーの中は真っ暗で二人の様子は全く見えない。

 コーデリア様はライアン様の告白に戸惑っているのか、「あの」とか「えと」とか言って狼狽うろたえた末、「少し考えさせてください!」と言って教室から走り去ってしまった。


「コーデリア嬢!」


 彼女を呼び止めようとするライアン様の声と、パタパタと走り去る足音が聞こえた後、教室内がしんと静まり返った。


『び、びっくりしましたわね』


 こそっと声をひそめて口を開くと、ジル様も同じように声をひそめて同意した。


「ええ。まさかライアンがコーデリア嬢に思いを寄せていたとは……」


 わたくしもびっくりしましたわ。まさか、あのこうなライアン様がコーデリア様を……そこまで考えて、これはこちらにとってもチャンスなのではないかと気づいた。

 ここでライアン様にがんってコーデリア様を射止めてもらえれば、ジル様が言い寄られることもなくなるのではないかしら? そうなれば、ジル様とコーデリア様が結婚する未来もなくなるわけで。コーデリア様もライアン様というこいびとができて、結果的におたがいに都合がいいように思えた。


『ジルベルト様、これはチャンスではありませんか?』

「なにがです?」

『ここでライアン様とコーデリア様が上手うまくいってくだされば、これまでのように言い寄ってくることもなくなるのでは?』

「なるほど、確かに……ひとまずライアンを追いかけてみましょう」


 そうして、ジル様がロッカーのドアを開けた時だった。

 教室にもどってきたライアン様とロッカーから一歩外にしたジル様の目が合った。


「っっっっ!」

「っっっっ!」


 ライアン様はまずいという顔をして固まった。おそらくそれはジル様も同じはずで、石像のように固まってしまった二人の間にみょうちんもくが流れた。

 弁解しようにも、ロッカーから一歩踏み出したこの状態ではどうあっても今しがた教室に来たという言い訳は通用しない。ジル様はそそくさとロッカーを出て身なりを整えた。

 気まずすぎる沈黙を破ったのはライアン様だった。


「ジルベルト……今の……」


 見てたのか? と問われるより早く、ジル様が頭を下げた。


「すみません! 故意に聞こうとしていたわけではなくてですね。その……まさか、あんな話をするとは思っていなくて……」


 聞いてしまったことをなおに白状したジル様に、ライアン様はわしゃわしゃとかみをかき乱してため息をついた。


「なんだって、そんなせまくるしいとこに入ってたんだよ」

「その……コーデリア嬢と顔を合わせたくなくて……」

「…………」


 ジル様の言い訳に、ライアン様がするどい視線を向けてくる。好きな人をじゃけんあつかわれたらライアン様だっておもしろくないだろう。針のむしろに座らされているようなごこの悪さに、思わず口を開いた。


『すみません、ライアン様! 聞いてしまったおびに、そのこいのお手伝いをさせていただけないでしょうか!?』

「ちょ……!」

「様?」


 うっかりいつもの口調で話してしまい、ライアン様からげんな目を向けられる。ジル様は手で口元をおおったまま少しだけライアン様ときょを取ると、彼に聞こえないくらい小さな声でこうしてきた。


「恋のお手伝いって、どういうつもりですか!」

『だって、ライアン様に頑張ってもらおうって方向で話が決まったではありませんか』

「だからって、いきなり手伝いますって声をかける人がいますか!」


 ぼそぼそと小声で言い合っていると、ライアン様から「ジルベルト?」と声をかけられてしまった。

 ギギギギ……とぎこちない動きでジル様がかえると、ライアン様の視線は怪訝なものからしんなものを見るようなものに変わっていた。ライアン様がわざとらしくため息をついてみせる。


「なんだってこいがたきに相談しなきゃならないんだよ」

「恋敵だなんて! 僕としてはライアンに頑張ってもらったほうがありがたいというか」

「…………話が見えないんだが?」


 どういうことだ? という視線を受けて、ジル様はちかごろのコーデリア様の行動に困っていることを話した。


「僕はアリーシャ以外を妻にむかえるつもりはないので、どうしたってコーデリア嬢の気持ちには応えることができません。ですから、ライアンにコーデリア嬢を口説き落としてもらえたほうがこちらとしてもありがたいのです」

「こっちからしてみればうらやましすぎて一発ぶんなぐりたい気分だが、言いたいことはわかった」


 けんにしわを寄せて苦々しい表情をかべたライアン様は、ジル様の提案にひどくかっとうしているように見えたけど、最終的には利益がいっしたということもあって、わたくしたちの出した提案に乗ってくれることになった。


 ライアン様の話によると、コーデリア様のことが気になりだしたのは、夏の長期きゅうが始まる前だったという。ライアン様は卒業後の進路について頭を悩ませていたそうだ。

 ケルディ家の三男であるライアン様はしゃくぐこともなく、兄のスペアとして生きることもない。領地ではくしゃく家を支えるか、王都でか文官になるかのせんたくせまられていた。貴族としては別段めずらしいことでもなかったけれど、自由に選べることが、逆に自分が必要とされていないようで苦しかったとライアン様は語った。そんな折に目が覚めるような言葉をかけてくれたのがコーデリア様だったそうだ。ライアン様は本人のプライベートに関わることだからとくわしいことは教えてくれなかったけど、コーデリア様もいろいろと苦労している方なのだと話してくれた。

 夏の長期休暇の時に会えなかったことで一気に想いはふくらんで、卒業を前に気持ちだけでも伝えたいと、今日の告白に踏み切ったらしい。


「それなのに、よりにもよってお前に見られるとか……」

「それに関しては申し訳ありませんでした。僕だってまさかあんなことが起きるだなんて思いませんでしたし────あ、でも安心してください。聞きはしましたけど、見てはいませんので」

「そういう問題じゃねーよ」


 がくりとかたを落としたライアン様は、ジル様からのフォローになってないフォローに深いため息をついた。


「手伝ってくれるって言ってもらったとこ悪いけど、俺もう振られてると思うんだよなぁ」

『そんなことありません!』


 わたくしは思わず声を張り上げてからはっとした。


(しまった、人前でしゃべらないって約束しましたのに……あまりのライアン様のうじうじっぷりについ口を出してしまいましたわ)


 ジル様ごめんなさいと心の中で謝りつつも、口元を塞がれていないことからまだ話していていいと判断して、そのままジル様の口調をて話を続ける。


『「ごめんなさい」ではなく「少し考えさせてください」でしたから脈はあります』

「そんなもんか?」

『ええ。コーデリアさ……嬢の顔を見たわけではないので確信はありませんが、おそらくいきなりのことでびっくりしてしまったのだと思います』

「なら、コーデリア嬢の気持ちが落ち着くのを待てばいいってわけか」

『いえ、考えるひまあたえてはいけません。このままの勢いでガツガツめましょう』

「なっ……そんなたたみかけるような真似……引かれないか?」

『それはやってみないとわかりません。ですが、いつもジルさ……僕にそっけなくされているので、急にやさしくしてくれる異性が現れたら案外コロリといってしまうかもしれませんよ?』


 きつけるように言ってみせれば、ライアン様は悪だくみをする子どものような顔をした。


「お前、結構いい性格してんな……」

『仕方ないでしょう? わたくし……じゃなかった、僕だってなりふり構っていられないんですから。というわけでライアン、おうえんしてますから頑張ってくださいね』


 赤くなり始めた空を背に、わたくしはライアン様にげきれいの言葉をかけた。


『男女の仲を深めるには、二人でお出かけするのが一番ですわ!』


 ライアン様と別れておしきに帰ってきたわたくしは、机に向かいながらライアン様のデートプランを練っていた。ジル様が持っていた町の情報誌を見ながら候補をしぼっていく。

 わたくしの指示でページをめくるジル様が「でも」と反論する。


「いくらなんでも早すぎませんか?」

『そんなことありません! 卒業まで時間も限られていることですし、行動を起こすなら早いほうがいいと思います──本来でしたらコーデリア嬢の好きな場所へ行くのがいいのですが、まだわからないでしょうし、今回はいっぱん的なデートコースがよさそうですね。演劇やコンサートを見に行くのもいいですし、美術館をゆっくり見て回るのもおすすめです。それから女性の好みそうなカフェでランチをして、初めてのデート記念に何か小物をプレゼントできるといい思い出になると思います』


 わたくしが話すことをジル様が書記係のように書き連ねていく。

 一通り案を出し切ったところで、今まで口をはさまなかったジル様がぼそりと言った。


「なんだか僕の時と全然違くありませんか……?」


 すぐにそれがアリーシャとの本屋めぐりデートのことを言っているのだとわかった。あれはわたくしが生前ジル様と一緒に行きたいと思っていた場所なので、一般的なデートプランに入れるわけにはいかないのだ。『あれはアリーシャ専用なので』と言葉をにごしておく。


『一通りのデートプランは練ったので、お誘いするタイミングはライアン様にお任せしましょう』


 机の上に広げられたデートプランをながめながら『上手くいくといいですね』と声をかければ、ジル様もみを浮かべて「そうですね」と返してくれた。



*****



 ライアン様にデートプランをさずけてから数日後。

 わたくしとジル様はきゅうけい場所の候補に挙げていたカフェに来ていた。なんでもジル様も気になっていたお店の一つで、アリーシャと一緒に来る前に下見をしたいと思っていたそうだ。今までのアリーシャとのデートも必ず一度は下見に来るほどのてっていぶりで、わたくしはジル様とのデートの裏にそんな努力が隠されていることを今になって知った。生前ジル様と一緒に出かける回数が少なかったのは入念に計画を立てていたからだなんて、ジル様と体を共有しなければ知るよしもなかっただろう。

 観葉植物がそこかしこに置いてあるカフェは、人気のお店だけあって結構な人でにぎわっていた。これだけ周りがざわついていれば小声でしゃべるくらい問題ないだろうと、メニュー表を眺めながらこそこそと会話をわす。


「さて、何にします?」

『え?』

「いつも僕が選んでしまっているでしょう? こういう時くらいあなたが食べたいものを食べてください」


 思ってもみなかったジル様の申し出に、むねの奥がくすぐったくなる。


『本当に? 本当に、わたくしの食べたいものをたのんでよろしいのですか?』


 再度かくにんすると、ジル様が「ええ」とうなずき返してくれる。こんなふうにづかってくれるのがうれしくて、わたくしはようようとベリータルトとアイスティーを注文した。

 ベリータルトを待っている間、席から見えるカップルらしき男女を見たジル様が、「初めてのデートか」と呟きをもらした。

 その呟きに、初デートのことを思い出す。ジル様との初めてのデートは確か動物園だった。あこがれていた方とのデートということもあって、当日はすごくきんちょうしていたのを覚えている。ジル様はどうだったのかしらと思って、素知らぬふりをして『ジル様の初デートはいかがだったのですか?』とたずねてみた。

 ジル様はしばらくだまり込んだ後、ぽつりぽつりと当時のことを話しだした。


「初めてアリーシャと出かけたのは動物園でした。動物を見ながらなら上手く話せるかと思ったのですが、あの頃は今にも増してゆうがなくて、会話はぶつぶつれるし、緊張のあまり順路がわからなくなるしで、エスコートが上手くできませんでした。あげく、雨にまで降られて……」


 ジル様がくやしげにおくみしめる。

 かくいうわたくしも当時はガチガチに緊張していたので、ジル様の質問に答えるだけで精いっぱいで、自分から話題を振ることができなかったのですよね。今思えば、わたくしたちは似た者同士だったのかもしれません。

 ういういしい思い出にひたっていると、ジル様がため息をついてうなれた。


「あれ以来、デートの前には計画を綿密に立てないと気が済まなくなってしまって……」


 その話を聞いたわたくしは、かんぺき主義なジル様らしいと思ってしまった。それと同時に、ジル様がデートの時にいつも時間を気にしていたのはそのためだったのだとなっとくした。


『…………ジル、ベルト様は初めてのデートのことをこうかいしていらっしゃるのですか?』

「今ならもっと上手くやれるのにとは思っています」


 悔しそうに絞りだされた返事に、思わず笑ってしまった。


「どうして笑うんですか……」

『気を悪くさせてしまったのでしたら謝りますわ────でも、わたくしは初々しくてよかったと思いますけど。初めてなんですもの、緊張して当たり前ではありませんか』

「そんなものでしょうか?」

『ジルベルト様はいつも気負いすぎではないかと思いますの。もっと肩の力をいて、一緒にいる時間を楽しんだらいいのですよ』

「一緒にいる時間を、楽しむ…………そう、ですね。確かにあなたの言う通りです。アリーシャのためと言いながら、失敗したくないと思うあまりいつの間にか計画が第一になってしまっていました。予定をめすぎて、彼女にきゅうくつな思いをさせていたかもしれません」


 反省するように一度目をせたジル様は、姿勢を正して言葉を続けた。


「あの、ありがとうございます。あなたのおかげで自分のちがいに気づけました。今度アリーシャと出かける時は、彼女と二人で楽しめるようなデートにしてみせます」


 ジル様がそう思ってくれたことが嬉しくて、わたくしは口元をゆるませた。

 話が一段落したところでベリータルトが運ばれてきた。

 イチゴやブルーベリーがれいに並べられて上から粉砂糖を振りかけられたタルトは見ているだけで心がはずんだ。相変わらず味はあまり感じないけど、よく味わえばちゃんとベリータルトだってわかるから満足感は十分にあった。

 ジル様からタルトが好きなのかと聞かれたので、タルトというよりはベリーが好きなのだと答えた。いつも二人で話をするときはアリーシャのことが中心なので、ジル様がこうしてわたくし自身のことを聞いてくるのは珍しい。美味おいしいものを食べて気分がよくなっていたわたくしは、つい嬉しくなっていろいろと話しすぎてしまった。

 カフェを後にして腹ごなしに町の西通りをぶらぶら歩いていると、不意にジル様の口が「アリーシャ」と動いた。

 いっしゅん、自分が呼ばれたのかと思って『はい?』と言ってしまった。

 でも、すぐにそれが自分ではないことに気づいた。視界のすみに映りこんだアリーシャは、ジル様に呼びかけられるとパッと顔をかがやかせた。


「ジル様! こんなところでお会いするなんてぐうですわね。お買い物ですか?」

「…………ええ、まぁ。あなたは?」


 さすがにデートの下見をしていましたとは言えず、ジル様が言葉を濁す。聞き返されたアリーシャは、連れのじょが持っていた荷物から本を数冊取り出して「今日は新刊の発売日でしたので」と意気揚々と答えた。

 そのうちの一冊を見たジル様が「【アーティアス聖戦】……」とタイトルを読み上げた。

 アリーシャは一番好きな本なのだと答えて、ジル様が少し前に読んだことを知ると感想を聞きたがった。

 立ち話もなんなのでということで、しくも先ほどのカフェでお茶をすることになった。

 アリーシャはベリータルトとアイスティーを、ジル様はコーヒーだけを頼んで向かい合って座る。

 ジル様はアリーシャの前に運ばれてきたタルトをぎょうして尋ねた。


「ベリータルト、好きなんですか?」

「え? ええ。あ、でも、タルトがというよりはベリーが好きで」


 少し前のわたくしの言葉とアリーシャの答えが被る。内心ヒヤヒヤしたものの、さすがにわたくしとアリーシャをイコールで結ぶことはできなかったのだろう。不自然に黙り込んでしまったジル様にアリーシャが声をかけると、彼はぎこちない動きでベリータルトから顔を上げた。


「あ、いえ。僕の友人にも同じ理由でベリータルトを頼んでいる方がいたので、少しおどろいてしまって」


 取りいているゆうれいと同じとは言えなかったのだろう、ジル様が【友人】という言葉でわたくしの存在をした。


(──友人、か)


 それが今のわたくしとジル様の関係。

 仕方ありませんわよね。もともと名前を知られたくないからと名乗らなかったのはわたくしですもの。

 まさか今になって後悔することになるだなんて思いもしなかった。

 ジル様に名前を呼んでもらえるアリーシャが羨ましい。向かい合って顔を見ながらお話しできるのが羨ましい。死んでしまったわたくしと違って、未来のあるあなたが羨ましい。

 でも、今さらどうしようもないことは自分が一番よく知っている。だからこそ、わたくしは目の前にいるアリーシャじぶんに未来をたくして割り切るしかないのだと、強く自分に言い聞かせた。


 アリーシャを送り届けた帰りの馬車の中で、ジル様は終始じょうげんだった。

『楽しめましたか?』と聞くと、かんはつれずに「ええ」と返された。

 先ほどまでの二人の様子を思い出す。好きなケーキの話をしたり、読んだ本の感想を言い合ったり、面接のようだった初めてのデートの時とはちがえるほど、自然に何気ない話ができるようになっていた。

 それは昔わたくしがジル様とこうありたいと思った光景だった。

 ジル様と体を共有するようになって、彼がどれだけわたくしとの時間を大切にしようとしてくれていたのかを知った。

 もうわたくしが間を取り持つ必要なんてないのかもしれないと思いつつ、一つだけ、これだけは言っておかなければと思ったことを口にする。


『ねぇ、ジルベルト様。今日、あの子と手をつなごうとして繫げませんでしたね?』


 手がわきわきしていたのを知ってますよ? とてきすると、ジル様は口をパクパクさせて声にならない声を上げた。エスコートの時はしっかり繫げているのに、どうして並んで歩いているときは手を繫げないのかしら?

 そう簡単に繫げたらこんなにもんもんとしてません! と声を大にして言うジル様に、もっと欲に忠実になってくれたっていいのにと思う。だって、わたくしだってもっと手を繫ぎたかったんですもの。

 そんな昔いだいた思いもめて、わたくしはジル様に『そういうところもふくめて気負わなくていいと思います』と伝えた。



*****



 数日後。

 ダンスの授業でワルツを踊るライアン様とコーデリア様に目を向けた。

 卒業試験に向けて練習に励む二人は、時折笑い合いながらステップを踏んでいる。

 ライアン様からはわたくしが立てたプランでデートに行ってきたと報告があった。ジルベルトのおかげで仲良くなれたという言葉通り、ジル様がコーデリア様に話しかけられるひんが目に見えて減っていった。

 わたくしたちの都合でライアン様とコーデリア様を無理矢理くっつけるような形になってしまったので申し訳ないと思っていたのですが、なんだかんだで楽しそうな様子に内心ほっとする。

 ジル様も同じ気持ちだったのかもしれない。


「ジル様? どうかされました?」


 アリーシャに声をかけられて、ジル様の視線が目の前で踊るアリーシャに戻る。

 ジル様は小さく首を振ると、目元を緩めてほほんだ。


「いいえ────ただ、うまくいくといいなと思って」

「?」


 言われていることの意味がわからずきょとんとするアリーシャに代わって、わたくしは心の中で同意した。

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