逆行先が(元)婚約者の中ってどういうことですか? 婚約破棄されたのに『体の中』で同棲することになりました

風凪/ビーズログ文庫

プロローグ


「すみません、アリーシャ。あなたとのこんやくさせてください」


 王都ラーナクアにあるメイベル家のタウンハウスで、わたくしは婚約者だったジル様……ジルベルト・バートル様に婚約破棄をわたされた。

 最初、何を言われたのか理解できなかった。パチパチとまばたきをかえすこと数秒、ようやく言葉の意味を理解したわたくしは、「え?」と聞き返すことしかできなかった。


(婚約破棄……? 今、婚約破棄って言いました!?)


 何かのじょうだんかと思ったけれど、りょうわきに座る両親もテーブルをはさんで向かいに座るジル様も彼のご両親もとてもしんけんで冗談を言っているようには見えなかった。

 くらりと眩暈めまいを覚えてよろけたところをとなりに座るお母様に支えてもらい、両親の計らいでこれ以上ショッキングな話を聞かせられないと、わたくしは話し合いの場から退席させられることになった。

 お母様と使用人に支えられながら部屋を出ようとしたわたくしは、どうしてもなっとくできずにり返った。


「あの……ジル様、どうして……?」


 やっとのことで婚約破棄の理由をたずねたけれど、ジル様は顔をしかめるばかりで明確な理由を口にすることはなかった。すっとそらされた青い目がこちらを見ることはなく、けんかんに満ちた表情がひどく印象的だった。

 その後、両親に婚約破棄の理由を尋ねても「あんな最低な男のことは忘れなさい」とくわしいことは教えてもらえず、友人づてにジル様が学園で同じクラスだったコーデリア・パッカー様と婚約したことを知ったわたくしは、彼に裏切られたのだとさとった。

 もともとわたくしとジル様の婚約は家同士が決めた政略的なもので、そこにおたがれんあい感情はなかった。はくしゃく家同士でつり合いも取れていたし、製紙業を主にするバートル家にとって、広大な山を有するメイベル家はつながりをもつには都合がよかったのだろう。

 貴族のけっこんなんてそういった家の都合で決められるものであって、恋愛結婚できる人なんてひとにぎりだ。わたくしだって家のためにとつかくはできていた。そうは言っても、せっかく結婚するのだから相手のことを好きになりたいと思っていたし、相手の方にも好きになってもらいたいと思っていた。

 だから、わたくしがんりましたのよ?

 ジル様は整った顔立ちをしていて女性にもとても人気のある方だったので、彼の隣に並んでもずかしくないようにと、苦手だったおさいほうを練習したり、苦手な科目をお勉強したり、かげでこっそり頑張った。

 つい先日に学園も無事卒業できて、半年後にはけっこんしきを挙げる予定だった。けれど、努力は真実の愛にはかなわなかったらしい。

 ジル様はわたくしではなく、コーデリア様を選んだのだから。

 いつからわたくしは裏切られていたのかしら。

 思えば、ジル様はわたくしとあまり目も合わせてくださらなかったし、いっしょにどこかへ出かけたことも数えるほどしかなかった。

 結局のところ、ジル様にとってわたくしはただの政略結婚の相手でしかなかったわけだ。

 学園で過ごしたジル様との思い出がかんでは消えていく。

 初めて会った日のこと、婚約を申し込まれた日のこと、初めて一緒にお出かけした日のこと、全部覚えているくらい、いつの間にかジル様のことが好きになっていた。

 でも、好きになったのはわたくしだけで、彼はわたくしのことなんてなんとも思っていなかった。そう思ったら、あふれたなみだが止まらなくなった。

 裏切られたことが、そしてそれをけなかった自分自身が悲しくてくやしかった。

 思った以上にショックを受けていたわたくしは、両親に連れられて王都から領地にもどり引きこもることになった。



*****



 婚約破棄されて一年ぶりの夜会。

 ショックでふさぎこんでいたわたくしもこのままではいけないと、王都で開かれる夜会に参加することになった。

 弟にエスコートされて大広間に移動したわたくしは、きらびやかな会場をぐるりと見回して会いたくない人を見つけてしまった。

 わたくしの元婚約者だったジル様とその婚約者……いえ、もうご結婚されていたのでした。彼の奥様のコーデリア様。

 黒のフロックコートに身を包んだジル様は、一年前にお会いした時より大人っぽく見えた。その隣に並ぶコーデリア様もくりいろかみれいげ、上品なワインレッドのマーメイドドレスを着こなしていて、学生時代よりもあかけて美しさにみがきがかかっていた。

 本来ならあそこに立っていたのはわたくしだったはずなのに――そう思ったらズキンと胸が痛んだ。

 一年って心の傷もえたかと思っていたけれど、そうではなかったらしい。

 あちらに気づかれる前に場所を移動しようとした時、ジル様と目が合ったような気がした。けれどそれもいっしゅんのこと。わたくしはそのままきびすを返して、人混みにまぎれるようにしてかべぎわに移動した。

 窓ガラスに映りこんだ自分の姿に目を向ける。こしまである銀の髪をハーフアップにしてあいいろのドレスを着た自分の姿は一年前よりもせこけていて、それがいっそうみじめさにはくしゃをかけた。

 広いようでせまい貴族社会。わたくしが婚約破棄されたことはすでに知れ渡っていて、周囲はまるでものさわるように接してくる。その空気にえかねて外の空気を吸いに行こうとしたわたくしは、カツカツとってくるヒールの音に気がついて振り返った。

 次の瞬間、ドンッと体にしょうげきが走った。


「あなたさえいなければ……!」


 よろけた足が階段をはずして視界がかたむく。

 しまったと思った時には、わたくしの体は階段の最上部から投げ出されていた。

 キラキラと光るシャンデリア、細やかなちょうこくの刻まれたてんじょう、そしてコーデリア様のゆがんだがお―― すべてがおどろくほどゆっくりに見えた。

 完全に不意打ちだった。受け身を取る間もなく後頭部を打ちつけ、階段を転がり落ちたわたくしの体は、階段の一番下まで転がってようやく止まった。

 起き上がろうとしても体に力が入らない。周囲のけんそうがひどく遠くに感じられた。


 きっと打ち所が悪かったのだろう。ばくぜんと死を覚悟したら、頭の中に今日までのことがよみがえってきた。

 どうやら死ぬぎわに走馬灯が流れるというのは本当らしい。

 学園を卒業したら親が決めた人と結婚して、それなりに幸せな家庭を築けたらいいと思っていた。それなのに、婚約破棄されたあげく、階段からとされて死ぬだなんて……わたくしの人生、散々すぎじゃありません!?


(どうしてこんなことになってしまったの? どこでちがえてしまったの?)


 考えても答えは出てくるはずもなく、こみ上げた涙で視界がにじんだ。


(ああ、だめ……もう考えがまとまらない)


 何もかもが遠くに聞こえる。ゆっくりと目を閉じて意識を手放そうとした瞬間、遠くでだれかのどうこくが聞こえた気がした。


 そうして、わたくしアリーシャ・メイベルは十八歳でしょうがいを終えた……はずだった。

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