第20話 新しい街を彷徨いながら 

ダウンジャケットにジーパン、そして首には凌がクリスマスにプレゼントしてくれたピンクのマフラーを巻いて、私は後ろ髪を引かれる思いで家を出た。


郵便局のATMで少ない貯金を下ろし、地下鉄に乗ってとりあえず新宿へ向かった。


どこへ行けばいいかなんてわからない。


でも、東京を出た方がいいと思った。


東京にいたら、凌に会いたくなってしまう。


遠くへ行った方がそんな自分を抑えられる。


そうだ。北を目指そう。


寒いのは苦手だけれど、雪は好きだ。雪の街に住もう。


東京駅で東北新幹線に乗って、遠くへ行こうと決心した。


新宿からJR中央線の快速電車に乗って東京駅へと向かった。


東京駅は新宿駅さながらにダンジョンのような様相を呈していた。


沢山の乗り換え通路があり、どこへ行けば新幹線に乗れるのか戸惑いながら、私は案内板をキョロキョロと探しながら歩いた。


ビジネスマン風のスーツを着た男性、大きなキャリーバッグを持った旅行帰りの人、小さな子供がいる家族連れ・・・沢山の人がこの街を訪れ、そしてまた散っていく。


通りすがる人々は目的地へ向かって颯爽と歩いて行く。


でも私には目的地などない。


帰れる場所もない。


でも死ぬ覚悟も勇気もない。


どこでもいいから、住むところを探して生きていくしかない。


終着駅までの切符を買い、新幹線乗り場の改札を抜ける。


新幹線が到着するまで、プラットホームにひとり佇んだ。


しばらくすると銀色のボディにピンクの線が入った新幹線がゆっくりと到着し、やがてピタリと止まった。


私は切符を見ながら、指定席を探し、座席に座ると膝の上に置いたスポーツバッグを抱えた。


発車のベルが鳴り、ゆっくりと新幹線が次の駅へ向かって走り出した。


窓の外を流れる東京の街は、暗い夜の中でいくつもの眩い光を放っていた。


さよなら、東京。


さよなら、凌。


私は、そうつぶやきスポーツバッグに顔を埋めた。





2時間後。


私は宇都宮駅の近くにあるビジネスホテルの一室にいた。


東北の奥の方まで行こうと思っていたのに、新幹線が東京から遠ざかるたびに、怖くて体の震えが止まらなくなった。


そして気が付くと、宇都宮駅で新幹線を飛び降りていた。


私って、なんて中途半端な人間なんだろう。


結局東京近辺でしか生きられないなんて。


でも無意識的に栃木に来たのには理由があった。


中学校の時に仲良くなった女の子が栃木から来た転校生だった。


彼女の朴訥で温かな性格が好きだった。


この土地なら、こんな私でもひとりで生きていけるかもしれない。


私は備え付けのベッドに寝転んで目を瞑った。


ホテルの部屋はどこかひどく他人行儀に思えて、心細さが身に染みた。


貯金の残金はそんなに多くないから、何日もビジネスホテルには泊まれない。


一日でも早く住むところと仕事を見つけなければならない。


出来ればマッサージの仕事をしたいけれど、贅沢は言っていられないから、雇ってくれるところならどんな仕事でもするつもりだった。


ふいにお腹がぐうと鳴った。


・・・どんなに悲しくてもお腹は減るんだな。


私は駅を降りてからコンビニで買ったおにぎりとペットボトルのお茶をテーブルに置くと、遅い晩ご飯を食べた。


今頃凌は、私が作ったカレーライスを食べているかな。


ううん。凌は優しいから、きっと私を必死に探してくれているよね。


あんな身勝手なメッセージを送った私に怒って、呆れて、少しだけ泣いて、そして月日が経てば雪が解けるように少しづつ私を忘れる。


ごめんね。凌。貴方の大切な人生を振り回して、本当にごめんね。


とりとめもなくそんなことを考え、また涙が溢れて、それでも全部晩ご飯を食べ切った。


お腹がふくれると、とても大切なことを忘れていたことに気付いた。


職場を、「リリー」を辞めることを、誰かにちゃんと伝えなければならない。


一から施術を覚え、他のスタッフと切磋琢磨して、やっとセラピストの仕事に自信が持ててきたのに、ここで辞めることになってしまうことが身を切られるように辛かった。


古田さん、美紀ちゃん、店長・・・お世話になったスタッフの顔が次々と浮かんでくる。


直接店に電話を掛ける勇気は持てなかった。


それに営業中の私用電話はきっと迷惑だろう。


私はスマホで古田さんの電話番号を呼び出し、通話ボタンを押した。


3回目のコールで古田さんは電話口に出てくれた。


「もしもし。伊織です。」


「どうしたの?伊織ちゃん。電話なんて珍しいね。」


古田さんは私の突然の電話に驚いているようだった。


「すみません。夜遅くに。」


「いいよいいよ。どうした?」


私は少しの沈黙のあと、喉の奥から絞り出すように声を発した。


「リリーを・・・お店を辞めます。」


「え?!」


「もう私、お店には行けないんです。引っ越しすることになって。」


「え、待って!全然話が見えないんだけど。」


「東京を出ることにしました。理由は言えないんですけど・・・。お店の皆には迷惑かけることになって本当に申し訳ないです。」


古田さんは少し黙り込み、それから穏やかな口調で言った。


「何か事情があるんだね。伊織ちゃんが自分勝手な理由でお店を辞める子じゃないってことは私もスタッフの皆も知ってる。だから全然気にしないでいいんだよ。」


私は古田さんの優しい言葉に目頭が熱くなった。


「本当に・・・すみません・・・古田さんや美紀ちゃんと別れるの、辛いです。」


語尾が震えるのを抑えることが出来なかった。


「うんうん。泣かないで。私から店長やスタッフには上手く言っておくから。」


「ありがとうございます。古田さんには最後までお世話になりっぱなしで・・・。」


「そんなことないよ。私も伊織ちゃんと会えなくなるの淋しい。ね、東京を離れるんだよね。落ち着いたら必ず私に連絡頂戴。心配だから。ひとりで抱え込んじゃ駄目だよ?」


「はい・・・。必ず連絡します。」


「約束だよ。待ってるからね。」


「はい。本当にお世話になりました。」


私は涙声になるのを必死にこらえ、通話を終えた。


古田さんみたいなお母さんが欲しかったな・・・そう思った。






次の日から求人誌を片手に仕事を探した。


しかし住み込みで雇ってくれる職場を見つけることは困難だった。


街のマッサージ屋、工場、花屋、スーパーのレジ、どこも通いでしか雇ってもらえない。


一週間、足を棒のように探しても、仕事をみつけることは出来なかった。


とりあえずアパートを借りようと、小さな不動産屋へ入った。


「すみません。」


私が声を掛けると、バーコード頭の中年男性が奥からカウンター席まで出て来た。


「あの・・・部屋を借りたいんですけど。」


「あ、そう?じゃ、そこ座って。」


私が物珍しいのか、その中年男性は私の頭から足のつま先まで舐める様に視線を這わせた。


「どんな物件がいいの?」


「一番安い物件をお願いします。どんなにボロくても構いません。」


「うーん。そうねえ。」


中年男性はずり落ちそうな眼鏡を直しながら、机の向こうでパソコンを打ちこんだ。


しかしすぐには物件を紹介せずに、私の身辺を探り始めた。


「アナタ、おいくつ?」


「23歳です。」


「一人暮らしの予定?」


「そうです。」


「家族は?」


「いません。」


「仕事は?」


「これから探します。」


「じゃあ保証人は?」


「・・・いません。」


すると中年男性は大きなため息をついて、眼鏡を外した。


「保証人がいないんじゃ、部屋は貸せないなあ。」


「・・・え?」


「最近多いのよ。部屋代払わないでバックレちゃう若い子。だから大家さんも保証人がいないと貸したがらないの。」


私は焦って、反論した。


「私は絶対に黙っていなくなったりしません!ちゃんと賃貸料も払います!」


「でもねえ。」


「東京では保証人がいなくても貸してくれました。」


「東京とここは違うから。」


中年男性は、そう厳しく言い放った。


「・・・・・・。」


私が黙り込んでいると、中年男性は労わるような口調になった。


「君、本当に住むところないの?」


「・・・はい。」


「もし君さえよければ、部屋付きのいい仕事紹介するけど。」


「え?」


目を見開く私に、中年男性はにやりと笑った。


「仕事っていっても水商売だけど、経験ある?」


水商売と聞いて私はガッカリした。


風俗に身を沈めるつもりはなかった。


「ないです。」


「君みたいに若くて可愛い娘を紹介したら、喜ばれるんだべ。背に腹はかえられないだろう?どう、やってみない?」


「身体を売るなんて私には無理です。」


私はきっぱりと言った。


「いや、そこまでハードなヤツじゃなくてさ。僕の知り合いのスナックのママさんが若い女の子のスタッフを探してるの。たしか前に住み込みで勤めてた子が辞めちゃったばかりだから、部屋も空いてるんじゃないかなあ?」


「スナック・・・?」


「なに、水割り作ったり、酔っ払いのおっさんの戯言をニコニコ笑って聞いてあげればいいだけの仕事よ。」


水商売なんて初めてだけれど、この際仕事を選べる立場ではなかった。


「お願いします。」


私はその中年男性に頭を下げた。

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