第14話 何もせずただ抱きしめ合って

アロマオイルマッサージのお客様を送り出して、手の空いた私は給湯室で汚れたタオルを洗濯することにした。


洗濯機のないこの店では、洗濯は全てスタッフが手洗いする。


夏が近づいていた。


桶に水と洗剤をいれ、その後タオルを水につけ揉み洗いする。


冬の水の冷たさに比べると、水が温く感じるこの季節は有り難かった。


「手伝うよ。」


いつの間にか給湯室に入ってきた古田さんが、私の横に立ち有無を言わさずタオルを洗い始めた。


「ありがとうございます。」


「いいって。今日はお客様が少ないからね。」


「けっこうこの仕事って、暇な時と忙しい時の差が激しいですよね。」


「そうね~。いまさっきのお客様、施術中ずっと寝ててさ。いびきがすごくてちょっと笑っちゃった!」


「でも寝てるってことはそれだけ気持ち良いってことですよ。」


「まあ、私はゴッドハンドだからねっ!あははっ!」


古田さんの朗らかな人柄に接すると、私まで明るくなる。


私達は洗濯をしながら、束の間のお喋りを楽しんだ。


洗濯が終わり脱水をし、タオルを干している最中に、古田さんがふと思い出したように言った。


「そういえば、いつも伊織ちゃんを指名するお客様いるじゃない?影山さんだっけ?」


「・・・はい。」


「この前、新宿西口にある高層ホテルの前で、影山さんらしき人を見かけたのよね。」


・・・ホテル?


私の胸がどきんと音を立てた。


「女性と一緒だった・・・とか?」


「あら。気になる?」


古田さんがにやにやと笑った。


「いえ・・・そんなんじゃないですけど。」


「安心して。女性と一緒じゃなかったから。影山さん、いつものラフな格好とは打って変わってビシッとしたスーツを着てたわよ?前髪も上にあげて出来るビジネスマンってカンジ。」


「・・・そうなんですか?」


「うん。でも影山さんと一緒に歩いていた男の人、黒いサングラスかけてて、ちょっと怖そうだったな。もしかして影山さんてアブナイ人だったりして。」


古田さんは何の悪気もなくそう言って笑った。


凌から就職した会社名や仕事内容は聞いていない。


さりげなく尋ねても「大した仕事じゃないよ。」といつもはぐらかされてしまう。


凌はなんの仕事をしているのだろう。


まさか危ない橋を渡っているのでは。


喉に重い石が詰まったように、呼吸するのが苦しくなった。


ただ、凌が心配だった。





凌の帰りが遅くなる日が多くなった。


そしていつ寝たのかもわからないくらい早く起きて、顔も見ないまますぐに仕事へ行ってしまう。


今日も私が朝起きると、もうリュックを背負って家を出ようとしていた。


もちろんスーツではなく、白い綿のシャツに黒いジーパン姿だ。


古田さんが言っていたスーツを着た凌らしき人は、別人なんじゃないかと思いたい自分がいる。


「おはよう、凌。」


私はパジャマ姿のまま、凌に声をかけた。


「あ、おはよ。伊織。」


「もう行くの?」


「ああ。今夜も遅くなりそうだから、伊織は先に寝てて。ちゃんと戸締りしなよ。」


「うん。朝ごはんは?」


「途中でなんか買って食うから大丈夫。」


「仕事大変?無理してない?」


「無理してないよ。」


「ホントに?凌・・・危ない仕事してないよね。」


「・・・してないよ。」


凌は窘めるような声でそう言うと、私の両肩を掴んだ。


「伊織も今日は仕事だろ?お互い頑張ろうぜ。」


「うん。凌もお仕事、頑張ってね。」


凌が家から出て行き、私はキッチンの椅子に座ってぼおっとしていた。


凌は私に何か隠してる・・・そんな疑いが晴れない。


凌が遠くへ行ってしまったらどうしよう。


そんな不安が渦巻くばかりだった。





その日、遅く帰ってきた凌が眠るベッドの中へ私は潜り込んだ。


私と凌はいつも別々の部屋で寝ていた。


凌は寝室のベッドで、私は自分の部屋に布団を敷いて、お互い夜は近づかないというのが2人の暗黙のルールだった。


今夜、私はそのルールを破ろうと思った。


ユミカさんに言われた言葉がずっと胸を燻ぶっていた。


私は凌になにも恩返しできていない。


だからせめて疲れた凌の癒しになりたい。


凌に気持ちよくなってもらいたい。


ただ、そう思った。


私はベッドで背中を向けて眠る凌を、後ろから腰に手を回し、抱きしめた。


凌の体温が私の体温と交じり合う。


凌の匂いが私の鼻先をくすぐる。


凌の全てが、今私の腕の中にあった。


「・・・伊織?」


目を覚ました凌が私の名を呼んだ。


私の方へ身体を向けた凌は、驚いたように私の顔を見た。


私は再び、凌の胸に抱きついた。


「どうしたの?怖い夢でも見た?」


私は黙って首を振った。


凌に、しよう、と言おうと思っていた。


でもこんな状況になっても、どうしてもその言葉が出てこなかった。


そんなことを言ったら、ふたりの間の大切ななにかが壊れてしまいそうな気がした。


そんな私の思いを見透かすように、凌は目を細めた。


「このまま、こうして眠ろっか。」


凌が私の身体を強く抱きしめ、私もきつく凌の身体を抱きしめた。


凌の胸に顔を埋めながら、私は泣いた。


いま、里香先輩の気持ちが痛いほどわかった。


「死んじゃいたい。私、このまま死んじゃいたいよ。」


私のつぶやきに凌は何も答えず、少し辛そうに微笑むと、ただ私の髪を撫でた。


私と凌は、キスもセックスもせずに、ただお互いを抱きしめ合って眠った。

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