第7話 それでも君をひとりにしたくない


和やかな夕食が終わると、影山さんはストーカーがドアを叩くのを玄関の前で待機すると言った。


いつでもストーカーを追いかけることが出来るように、影山さんはあらかじめ革ジャンを羽織り、スニーカーを履いたまま上がり框に体操座りをした。


「伊織ちゃんは部屋の奥にいて。俺がストーカーを追いかけて部屋を飛び出したら、しっかりと鍵を閉めるんだ。」


テレビを消して、部屋の中が静まり返ると、一気に緊張感が高まった。


暗い窓の外はまだ粉雪が降り続けていた。


こんな凍り付いたような寒い夜にストーカーは来るのだろうか?


時計の針の音が正確なリズムで時を刻んでいる。


そして長い静寂の時間が唐突に終わりを告げた。


部屋の外からコツコツと足音が近づき、ドアの前で止まると、ドアを叩く大きな音が鳴り響いた。


影山さんは恐怖に震える私に目配せすると、勢いよくドアを開けた。


逃げるストーカーとそれを追う影山さんの足音が部屋から遠ざかっていく。


私は影山さんに言われた通り、玄関へ走りドアの鍵を閉めた。


大きく深呼吸をしながら、部屋の片隅に座り込む。


その瞬間、別の恐怖が私の心を埋め尽くした。


もし影山さんがストーカーに襲われて、身体に傷を負ってしまったらどうしよう。


もし命を奪われてしまったら・・・。


そんな最悪な事態を想像し、頭を抱えてうずくまった。


ストーカーなんてもうどうでもいい。


影山さんが無事でいてくれれば、それだけでいい。


お願い、影山さん。


どうか早く帰って来て!


どこにいるかもわからない神様に向けて、その言葉を呪文のように心で唱え続けた。


そうしてどれくらいの時間が経ったのだろう。


ふいに私のスマホが鳴った。


電話口に出ると、元気そうな影山さんの声が聞こえてきて、私は心底ホッとした。


「影山さん!いま、どこですか?」


「もう部屋の前にいる。伊織ちゃん、部屋の鍵、開けてくれる?」


「はい!今開けます!」


鍵を外しドアを開けると、雪で髪を濡らした影山さんが息を切らして立っていた。


私は思わず影山さんの革ジャンの胸にしがみついた。


「よかった・・・影山さんが無事で・・・」






再び影山さんを部屋に招き入れた私は、バスタオルを渡し、髪を拭いてもらった。


部屋の中は暖房で温めてある。


熱いコーヒーを淹れ、ふたりで飲み、落ち着いたところで影山さんが申し訳なさそうに肩を落として話し出した。


「ゴメン。あともう少しの所で取り逃がした。アイツ、バイクで逃げやがって。」


「・・・・・・。」


「小太りで無精髭を生やした中年男だった。パーカーを被っていたからハッキリと顔は見えなかったんだけど・・・伊織ちゃん、心当たりある?」


私は黙って首を横に振った。


でも、もしかしたら、いつも行くスーパーの店員かもしれない・・・そう思った。


「もうそんなことはどうでもいいんです。影山さんが無事で戻って来てくれたから。もしかしたらストーカー男は刃物や危ない物を持っているかもしれない。だから影山さんはもうこれ以上何もしないで下さい。」


「そういうわけにはいかないよ。」


「でも影山さんになにかあったら、私どう償ったらいいかわかりません。」


私は両手でスカートを掴み、顔を下に向けた。


「ねえ。伊織ちゃん。」


「・・・・・・。」


「俺の部屋で一緒に住まない?」


私は影山さんの思いがけない言葉に顔を上げた。


影山さんはいつになく真面目な表情で私をみつめ、私の両肩を掴んだ。


「君をひとりぼっちでこんな危ない所に置いていくことなんて出来ない。」


「・・・・・・。」


「何も持たなくてもいい。君の大切なサボテンだけ持って、俺の部屋においで。そうしない限り、俺の方が君の心配で参ってしまう。俺の部屋に来れば、君をストーカーから守ってあげられる。お願いだからそうしてくれないか?」


「それは・・・出来ません。」


私は肩に置かれた影山さんの手から逃れた。


「どうして?」


「私、貴方とそういう関係になれないんです。」


「そういう関係・・・」


「恋愛関係ってことです。一緒に住むってそういうことでしょ?」


「伊織ちゃんは俺が嫌い?」


探るような影山さんの瞳の動きから逃げる様に、身体を遠ざけた。


「嫌いじゃない。嫌いなわけがないです。でも・・・駄目なんです。」


「何が駄目?」


私は目を瞑り、大きく息を吐き、今度はしっかりと目を開いて影山さんの顔を見た。


「私には婚約者がいるんです。」


「婚約者・・・。」


「はい。私のママには大きな借金があるんです。それを知り合いの資産家に肩代わりしてもらっているんです。」


「それで?」


影山さんが続きを促した。


「その資産家の息子が・・・私と結婚したいと言い出したんです。ママは借金を返せないので、私を借金のカタとしてその資産家の息子に差し出したんです。」


「借金ってどれくらい?」


影山さんの問いかけに、私は息を小さく吸ってからつぶやいた。


「1000万円です。」


「1000万・・・。」


「ママは私を女手ひとつで育ててくれました。私はママを捨てることなんて出来ない。私がこの結婚を断ったら、ママはどんな目に遭わされるかわからない。だから私はこの結婚を断ることが出来ないの。・・・婚約者がいるのに、恋愛なんて不誠実な真似は出来ないんです。」


「その婚約者とはいつ結婚する予定?」


「いまその人は仕事の関係で海外へ行っています。1年後に帰国するそうなので、その後すぐに結婚の準備を進めることになると思います。」


影山さんは私の話を聞いても顔色ひとつ変えず、静かな口調で尋ねた。


「その婚約者の話、詳しく聞かせてくれる?」


私は影山さんに言ってもどうしようもないことだとは思ったけれど、ママが世田谷区の地主である深沢良一郎という男に借金を肩代わりしてもらっていること、そしてその借金をチャラにする条件として、私がその息子、深沢貴士と結婚することを約束させられている、と話した。


「君はその婚約者をどう思っているの?結婚してもいい相手だと思ってる?」


「いいも悪いも・・・私に選択権なんてないんです。」


私と影山さんの間に重い沈黙が続いた。


「・・・わかった。」


影山さんは何かを吹っ切ったような声でそう言った。


「それでもいい。伊織ちゃんと俺は今から友達以上恋人未満の関係だ。一緒に住んだとしても俺は決して君に手を出さないし、君を恋愛対象としても見ないと約束する。それならどう?」


「・・・・・・。」


「俺も侘しい一人暮らしにはほとほと嫌気が差していたんだ。一緒に食事をしたり話し合える友達と暮らせたら、お互いほんの少しだけでも淋しさから解放されると思わないか?」


「・・・そんなに甘えてしまってもいいんですか?」


「いいよ。君なら。」


影山さんはそう言って、少し苦しそうに笑った。


こうして私は影山さん・・・凌と暮らすことになった。


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