第2話 革ジャンを着た夢追い人

「いかかですかぁ!」


「よろしくお願いしまぁす!」


「お身体、お疲れじゃありませんかぁ!」


靖国通り沿いの道では、老若男女様々な人達が通り過ぎる。


スーツを着たサラリーマン、観光に来ている外国人、大学生風の若いカップル、ゴスロリファッションを身に着けた女の子、近くに大手お笑い事務所の本社があるからかテレビでよく見る芸人が通ることもある。


しかしそのほとんどの人は、私の姿など一瞥もせずに通り過ぎていく。


ここ歌舞伎町ではどんなに奇抜な恰好をしていても、それが当たり前のように受け入れられる。


そういう意味ではこの街は、どんな人種にも寛容と言えるのかもしれない。


歌舞伎町にある有名ホストクラブの大きな看板をひっさげた宣伝カーが、道路を走り抜けていく。


初めて見た時は物珍しさでずっと眺めていたけれど、最近ではもう見慣れてしまった。


そんなカオスな街中、道端でチラシを配っている私などは、電柱やポスターと同じくらい、いやそれよりも目に留まらない空気みたいな存在なのだ。


それでも、ごくほんのたまに、幾人かの人達がチラシを受け取ってくれる。


30分配って、3人にチラシを渡せたなら御の字だ。


でも今日は巡り合わせが悪いのか、誰一人としてチラシを受け取ってはくれなかった。


ブランドの服で着飾った若い女性が、私をチラリと見て蔑んだ笑みを浮かべた。


冷たい風が私の頬を撫で、セミロングの黒髪が乱れて、ほっぺたが赤くなっているのが自分でもわかった。


チラリチラリと粉雪が降り、風に舞っていた。


私は、その小さな雪の結晶をそっと手の平に乗せた。


雪は風に吹き飛ばされ、またどこかへと運ばれていった。


スマホの時刻表示を確認すると、配り始めてもうすぐ30分が経とうとしていた。


そろそろ上がろうと思っていたその時、今日初めてのその幾人かの一人が、ゆっくりと私の前に立ち止まり、チラシを受け取ってくれた。


「ありがとうございまぁす!」


そう言いながら視線を上げると、若くて背の高い男が私の顔を凝視していた。


イギリスの国旗がプリントされた白いTシャツの上に古着であろう革ジャンを羽織り、穴の空いたジーパンを履いているその男は、私から視線を外すとチラシに目を落とし、じっと内容を吟味し始めた。


緩いパーマが取れかけたような黒髪で、その透明で真っすぐな瞳は長い前髪で半分隠れていた。


その風貌は、ギターこそ背負っていなかったけれど、まだ名が知られていないバンドマン、といった感じの夢追い人に見えた。


こういう店にあまり興味がなさそうなタイプだな・・・と思いながらも、私は営業用スマイルを絶やさずに男の反応を伺った。


「これって今すぐやってもらえんの?」


男はそう言ってチラシをひらひらと揺らす。


「はい!本日は空いてますのですぐご案内出来ますよ!」


私はエサにかかった魚を逃さないように、満面の笑みでそう答えた。


「本当に一時間2980円?安くない?」


「本当ですよ。なんなら30分コースもございまして、1600円です。」


「ふーん。」


男は暫くあさっての方向を見て考えこんだあと、私に人懐っこい笑顔を見せた。


「じゃあお願いしよっかな。最近、肩が凝っててさ。」


待ち望んだ言葉に、私は心の中でガッツポーズを取った。


「ありがとうございます!このビルの6階ですので、店までご案内しますね~。」


私がビルの自動ドアを開けてエレベーターのボタンを押すと、男は素直に私の後をついてきた。


エレベーターに乗るよう男を先に促し、後から私も乗り込むと6のボタンを押した。


エレベーターが上昇すると同時に男が口を開いた。


「これ、君にやってもらうことって出来る?」


男がチラシを私の目の前に掲げた。


「ええと・・・指名料500円頂くことになっちゃいますけど。」


「それは全然平気。」


「なら大丈夫です。ありがとうございます!」


私は男に向かって大きくお辞儀をした。


客が釣れたばかりか、自分に指名が付くなんて、今日は超ラッキーデーだと思った。





店内に入り、受付に立つ店長に少しだけ誇らしげに声を掛けた。


「田山、指名入りました!」


「おう。今日は絶好調だな。」


私は物珍しさからかキョロキョロと店内を見回している男を受付へ促した。


「靴は脱いで頂いてスリッパへお履き替え下さい。」


「了解っす。」


男はおどけたように敬礼して笑って見せた。


少したれ目な目元には笑いじわがあり、右の首筋にはホクロが2つあった。


男は新品の黒地と白のスニーカーを脱ぐとそれを丁寧に揃えて置き、緑色の簡易スリッパへ履き替えた。


「お客様、今日はどのコースになさいますか?ボディマッサージ、足裏マッサージあとはヘッドマッサージなどもございますが。」


「それ全部やってもらえるコースってある?」


「ございますよ。」


私はメニュー表を指さした。


「桜コースですと、ボディ60分、足裏60分、ヘッド15分がセットになって7500円になります。」


「じゃあそれでヨロシク。」


男はそう即答した。


「お着替えはどうなさいますか?上下で210円ですが。」


「着替えはいいや。」


「ポイントカードはお作りしますか?1000円ごとに1ポイント貯まりまして全部貯まると一回施術が無料になります。」


「作ってくれる?」


「ではお名前をご記入ください。」


男はボールペンで自分のフルネームを、達筆な文字で記入した。


ポイントカードの氏名欄には「影山凌」と書かれていた。


私は影山さんが料金を支払うのを待って、施術するベッドへ案内した。


一番奥のベッドが空いていたのでそこを使うことにして、ベッドの下からカゴを取り出した。


「こちらにお荷物をお入れ下さい。」


「どうも。」


影山さんは肩にかけていた黒いショルダーバッグと脱いだ革ジャンをカゴの中に入れた。


「ではこちらのベッドでうつぶせになって頂けますか?」


「ハァイ。」


影山さんは子供のように素直な返事をした。


ベッドはベージュ色のシーツに焦げ茶のタオルでベッドメイキングされている。


背の高い影山さんの身体は、ベッドぎりぎりになんとか収まった。


「本日は田山が担当致します。よろしくお願いします!」


「こちらこそヨロシクね。」


軽く上半身を軽擦し、肩にある僧帽筋を親指で指圧した。


思ったより固い。


肩をほぐす前に、その周りにある筋肉をほぐし、つぼを押していくことにした。


肩の凝りは腕の付け根や首の付け根をほぐすのが効果的だ。


後頭と首のあたりにある天柱や風池という頭痛にも効くというツボを押す。


腕の付け根にある三角筋、上腕二頭筋を掴んで揉みほぐし、肘、そして親指と人差し指の間にある合谷というツボを押さえる。


そして背面に移り、肩甲骨、脊柱の際を指圧し、もみほぐしていく。


肩こりがひどい。きっと目の疲れや頭痛もあるに違いない。


影山さんは押された場所が痛むのか、ときたま「痛っ!」と小さく声をあげた。


お客様には話などせずに黙々と施術されたい人と、セラピストとの会話を楽しみたい人の二通りのタイプがいる。


影山さんはどちらのタイプだろうかと考えあぐねていると、向こうから話しかけてきた。


「田山さんはこの仕事長いの?」


「いえ。まだ2年くらいです。まだまだ修行中ですね~。」


「でもとっても上手じゃん。ツボを押さえていてすごく気持ちイイ。」


「ありがとうございます~。影山さんはこういうお店、初めてですか?」


「そうね。初めてと言ってもいいかもしれない。」


「かもってなんですか?!もしかしてエッチなマッサージには行ったことがあるとか?」


「お。下ネタもオッケーなカンジ?」


影山さんはそう言ってニヤリと笑った。


施術は上半身から太腿やふくらはぎといった下半身へと移る。


影山さんは細く見える割に程よく筋肉がついていて、理想的な細マッチョだった。


さりげなく左手の薬指をチェックする。


指輪はなし。


でもカッコイイから彼女の一人や二人はいるだろうな、と自分の気持ちにブレーキをかけた。


「スポーツはされてますか?太腿が張ってますけど。」


私は大腿二頭筋をほぐしながら聞いた。


「ああ。学生の時にバレーボールやってたからかな。」


「すごーい!ポジションはどこですか?」


「セッター。」


「司令塔ですね~。」


「こう見えても頭脳派なのよ、俺。」


ひととおりボディのマッサージが終わり、足裏マッサージに移った。


足の裏にクリームを塗り、元気の源と言われる涌泉と呼ばれる中央のツボを最初に押す。


それから腎臓、尿管・膀胱のツボを面圧で流して体内の毒素を排泄する作用を促し、さらに胃や肝臓などの内臓に繋がっているツボを順に刺激していく。


右足の親指を刺激した時、影山さんがまたもや「痛っ」と声を出した。


「親指、痛いですか?」


「うん。ちょっとね。」


「親指は脳に繋がっているんですよ。頭を使うお仕事ですか?あ、寝不足の可能性もありますけど。」


「・・・・・・。」


影山さんの返答に間があった。


ちょっとプライベートに踏み込みすぎたかなと後悔していると、影山さんが照れくさそうに言った。


「実は俺、脚本家の卵でさ。まだ全然売れてないんだけど。」


「やっぱり!そういう上を目指す系の人だと思ってました!そっか、台詞とか考えなきゃいけないから頭使うんですね。影山さん、絶対に売れっ子になると思う。」


「・・・そう?ありがとね。」


「あとでサイン欲しいなぁ。」


「それは勘弁して。」


影山さんはそう言って苦笑いした。


「俺の事より、田山さんのことを教えてよ。どうしてこの仕事に就いたの?」


私は影山さんのかかとを親指の関節でグリグリと刺激しながら答えた。


「疲れている人を癒せる仕事に就きたかったんです。学生時代はなんの目標もないまま生きてきて。私高卒で働き始めたんですけど、最初の職場でいろいろ上手くいかなくて。どうしよう、私の人生このままでいいのかな・・・って思って。で、一念発起してこの店で施術を教わって、今に至るってカンジです。」


「ふーん。エライじゃん。もしかして親元から離れて一人で暮らしてるの?」


「はい。中野にあるボロアパートに。壁が薄くて隣の人が観てるテレビの音が聞こえてくるんですよ。」


「防犯は大丈夫?」


「まあ、なんとか。」


「女の子の一人暮らし、心配だなぁ。」


「ふふっ。お父さんみたいなこと言うんですね。」


「そりゃそうさ。君みたいな可愛い子だったらなおさらね。」


「わあ。お世辞でも嬉しいです!」


足裏マッサージも終わり、私は影山さんの頭の方へ移動し、ヘッドマッサージを始めた。


目を隠すために顔にタオルをかけた時見えた、影山さんの長いまつげが印象的で、その少年のようなあどけない顔に少し見惚れてしまった。


頭のてっぺんにある百会というツボを押して、親指を側頭部へ移動させる。


影山さんはヘッドマッサージ中、気持ちよさそうにされるがままになっていた。


全ての施術が終わり、影山さんはゆっくりと起き上がると、大きく伸びをした。


「あー、気持ち良かった。」


「お疲れ様でした!本日はこれで終わりとなります。」


「またリピートするよ。田山さん指名で。」


「ありがとうございます!またのお越しをお待ちしております。」


そうは言っても、再び来店してくれる人はとても少ない。


私はあとでガッカリしないように、影山さんの言葉を話し半分に聞き流すことにした。


店の扉までお見送りすると、影山さんは私に向かって小さく手を振り店を出て行った。


「今のお客さん、めっちゃイケメンじゃない?伊織ちゃんラッキーだったね!」


スタッフの美紀ちゃんがいつのまにか私の横に立ち、肘を突いた。


「性格も良さげだったよ。脚本家の卵なんだって。」


「道理でねえ。なんかオーラが違ったっていうか。また指名入ったらいいね。」


「口約束だけならなんとでも言えるからね。期待しないで待つことにする。」


私はそう言って微笑んだ。

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