ダメダメ菩薩は如来になりたい

国城 花

第1話


『おかあさんのびょうきがなおりますように』


『おとうさんがはやくかえってきますように』


『がっこうがたのしくなりますように』



『…すまぬ。我は…我では、おぬしを救うことができない…』




「……グスッ…グスッ…」


『…また幽霊か』


本堂の奥から聞こえた泣き声に、掃除をしていたそらは顔を上げた。


空が掃除をしているのは、だだっ広い畳敷きに無駄に天井が高い部屋である。

年季が入った柱や梁に、天井から吊るされているよく分からない装飾。

1人でいると何となく居心地が悪いのは、この部屋の主に見られている気がするからかもしれない。


ここは寺であり、空の家でもある。

空は寺の息子なのだ。


寺の本堂には大きな仏像が一体ある。

泣き声は、どうやらその仏像の裏から聞こえてきている。


『また居つかれたら困るな…』


つい先日、「行くところがないんです…」と言って本堂に居ついてしまった女性の幽霊を何とか説得して成仏させたばかりである。

と言っても、説得したのも成仏させたのも、住職である空の父がやったのだが。


『幽霊に居つかれると、掃除の時困るんだよなぁ』


掃き掃除をしている時に生前の恨み言を言われたり、拭き掃除をしている隣で泣かれたりされると気が滅入ってしょうがない。


『また父さんに頼もう』


そう思いながらひょいっと仏像の裏を覗くと、幼い子供がうずくまっていた。

5,6歳くらいの男の子に見える。


『子供の幽霊…か?』


しかし幽霊にしては、見たことのない服装をしていた。

体に大きな布を巻きつけたような恰好をしており、上半身は半裸に近い。


『どっかで見たことあるような…』


子供の服装に既視感を覚えていると、うずくまっていた子供が顔を上げた。

真ん丸の瞳に涙をいっぱいに溜め、柔らかそうな頬を膨らませている。


「何を見ておる!我は見せ物ではないぞ!」

「…ごめん」


反射的に謝りつつ、子供の髪型に注目が行く。


『クラスメイトの女子がこんな髪型してたな』


子供は髪を頭のてっぺんでお団子のようにまとめている。

指でぶすっとさしてみたいが、絶対に怒られるからやれない髪型だ。


「悪いけど、ここおれの家だから出ていってくれない?」


泣いている子供に言うのは心苦しいが、幽霊にずっとここにいられると掃除が進まない。

すると、子供は怒ったように立ち上がる。


「我に出て行けというのか!」

「出て行けっていうか、成仏してほしいというか…」

「成仏できるのならしておるわ!」


わぁっと泣きながら床に突っ伏す子供の姿に、おもちゃ屋さんにこういう子供がいたなと思い出す。


「成仏するために、我はがんばっているというのに…」

「自分でできないなら、おれの父さん呼んでこようか?」

「人の手を借りて成仏などできないわ!」

「この前の女の人は父さんの念仏聞いて成仏してたけどな…」

「……?」


泣いていた子供は、空の言葉に首を傾げつつ顔を上げる。

顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。

手持ちが雑巾しかないのだが、さすがにそれで拭いたら可哀想だろうか。


「おぬし、何のことを言っている?」

「何って…幽霊なんだから、成仏してほしいなって」

「我は幽霊ではない!」


ダンッと立ち上がった子供の勢いの良さに、床に穴が開かないかと心配になる。

うちは古い寺なのだ。


「でも、成仏したいんだろ?」

「我は如来にょらいになりたいのだ!」


ここで空も、どうやら話が噛み合っていないことに気付く。


「お前は幽霊じゃないのか?」

「だからさっきもそう言ったであろう!」

「じゃあ、何なんだ?」


頭に大きなお団子を乗せた不思議な子供は、涙と鼻水をぐっと拭う。


「我は、菩薩ぼさつである」

「…ぼさつって何?」


空の反応に、子供は顎が落ちるくらい口をぱっかりと開ける。


「おぬし、寺の子ではないのか?」

「そうだけど」

「寺の子であるのに、菩薩も知らないのか!」


子供は、またダンダンッと地団駄を踏む。

そろそろ穴が開きそうなのでやめてほしい。


「よいか!菩薩というのは、如来になるために修行を積む者のことだ!」

「にょらいって?」


ダンダンダンッ!と地団駄の回数が増える。

ミシリと嫌な音が聞こえた気がする。

穴が開いたら修繕費を払ってくれるのだろうか。

うちは貧乏な寺なのだ。


「如来とは、菩薩が修行をしてさとりを開いた者のことだ。成仏とはすなわち、悟りを開くことを言う」

「えーっと…つまり、お前は菩薩で、成仏して如来になりたいってこと?」

「そういうことだ」


子供の言う「成仏」とは悟りを開くことで、空が言っていた「成仏」とは幽霊があの世に行くことである。

どうりで話が噛み合わないはずだ。



『菩薩…如来…』


どこかで聞いたことのある単語に、空は首を傾げる。

すると、隣にある大きな背中が目に入る。

本堂に安置されている、仏像である。


「そういえばうちの仏像、なんとか菩薩っていう名前だったな」

「なんとか菩薩とはなんだ!我は観音菩薩かんのんぼさつである!」

「言われてみれば、仏像と同じ格好してるな」


頭の上に大きなお団子を乗せているのもそうだし、お風呂上りにバスタオルを巻いたみたいな恰好も仏像と同じである。


「でも、この仏像は子供じゃないぞ?」


仏像はどう見ても大人のような姿をしているが、目の前の菩薩はどう見ても子供の姿である。


「それは…我の力が足りないから…」


もごもごと喋っていた菩薩は、思い出したように空を指さす。


「そんなことより、寺の子であるのに菩薩も如来も知らないとは何ということか!」

「高2だったら普通だと思うけど」


寺の子だからと言って何でも知ってると思われると困る。


「最近は神様系のライトノベルを読んでるから神様には詳しいけど、仏教はあんまり知らないなぁ」

「そのらいとのべるというやつでは、仏教は主流ではないのか…?」

「うん」


菩薩は、がっくりとうなだれる。


「確かに仏教はこの国にあとから伝わったものではあるが…ひと昔前には、仏教が神道しんとうを押すほど興隆こうりゅうしていたというのに…」

「何言ってるかよく分からないけど、今は転生ものとかも人気だよ」

「ほう!」


元気になった菩薩が起き上がる。


「転生と言えば、仏教。やはり仏教も人気ではないか」

「転生って仏教なの?」


空の疑問に、菩薩は怒ったように頬を膨らませる。

丸々としたほっぺを指で押してみたい衝動にかられる。


「転生とはすなわち輪廻転生りんねてんせいのことであろう。良い行いをすれば良い境遇に生まれ変わり、悪い行いをすれば悪い境遇に生まれ変わる。それらの苦しみから抜け出すために、人々は修行をするのだ」

「へぇ…」


空が言った「転生」とは「異世界転生」とか「転生したらチート能力者だった」みたいな意味だったのだが、本来はそういう意味らしい。


「我も如来になるために、修行をがんばっているのだが…我は、いつまで経っても如来になれない…」


菩薩は、ぽろぽろと涙をこぼす。


「我は菩薩であるから、人々を救わなければならないのに…ここにおっても、そもそも参拝者がほとんど来ない」

「…それは申し訳ない」


この寺は歴史は古いが、小さい寺なので参拝者は少ない。

寺に人がたくさん来るのはお盆や葬式くらいである。

寺の維持も家族でやっているので、息子である空もこうやって掃除を手伝っているのだ。


「たまに来ても、寺で柏手かしわでをする始末…」

「神社と寺の区別がつかない人もいるからなぁ」


さすがに空は寺の息子なので、その区別はできる。


鳥居があるのが神社。

仏像があるのが寺。


お参りの時に手を打つのが神社。

お参りの時に手を打たないのが寺。



悲しみに暮れて泣いている菩薩の姿に、さすがに空も申し訳ない気持ちになってくる。

参拝者が少ないのはうちの寺のせいである。


「どうやったら如来になれるんだ?」


菩薩は涙をごしごしと拭う。


十信じゅうしんから始まり、十住じゅうじゅう十行じゅうぎょうと位を上げ、最後に妙覚みょうかくとなれば晴れて如来となれる」

「…もっと分かりやすく言ってくれ」


普通の高校生に仏教用語で喋られても、何が何だか分からない。


「我ら菩薩は、人々を悩みや苦しみから救う。それが我らにとっての修行であり、如来となるために日々修行を積むのだ」

「つまり、人助けをすればいいってこと?」

「まぁ、そういうことだ」


空は、なるほどと納得する。


「お前が如来になれないのはうちに参拝者が少ないのも原因っぽいし、おれもお前が如来になれるように手伝うよ」

「人の子に何ができるというのだ」


うーん、と空は考える。

そして良いことを思いついた。


「ここにいて参拝者が来ないなら、こっちから見つけに行けばいいんじゃないか?」

「…どういうことだ?」


首を傾げる菩薩の手をとり、引っ張る。

普通の子供のような柔らかい肌だった。


「寺の外には人がたくさんいる。困ってる人だってたくさんいるさ」

「外に行くのか?」

「菩薩は外に出ちゃだめって決まりがあるのか?」

「いや、ないが…」

「じゃあ、行こう」


空に軽く腕を引っ張られ、菩薩は困惑しながらもぽてぽてと歩く。


本堂を出る時は少し不安そうに後ろを振り返っていたが、空と手を繋いだまま外の世界に出た。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る