5 真の

 魔法使いが帰ってきた。いつもより厳しい顔つきで。


「お、お帰りなさい……」


 怯える声には応えず、どかりと椅子に腰を下ろす。そして、子供の顔を無言で眺める。


(何か、なにかしちゃったっけ?!)


 聞こうにも、鋭く細められた視線に身体が竦む。子供はなんとか、及び腰で近付いていく。


「あ、あのぉ「お前」はい!」


 背筋を伸ばした子供へ、どこか冷たい声が落とされた。


「まだ何も、思い出さないのか」

「えっ」

「思い出さないなりに、何か感じるものは?」


 その言葉、声、瞳の先。自分を見てはいるが、その後ろに問いかけるような。

 そう思えた途端、


(何か、分かったんだ)


 子供の目の前が暗くなる。


(この人を、怒らせるような。ボクに関係あるのは、この人を不快にさせる事なんだ)

「……」


 俯いた子供へ向けられる、魔法使いの眼差し。帯びた憂いは、子供には見えていない。


「……まあ、思い出せないならそれでもいい」


 むしろそちらの方が良いとも思える。それは言わずに、立ち上がる。


「帰って早々、悪かったね」


 ぐるりと見回し、今更に細部の確認をする。頭から飛んでいたのだ、血が上りすぎて。


「そうだ、君に一つ提案……あ?」


 足音。遠くなる気配。振り向くともう、小さな姿は消えていた。


「…………は」


 半分開いた扉から、事態は容易に想像出来た。


「あの馬鹿?!」


 ◇◇◇


「はぁっはぁっ……ぅぐっ、はぁっ……」


 飛び出してしまった。あの家から、あの人の前から。


「うぐぇっ……ふぅっ、うぅ……」


 泣きながら歩く。先ほどまでは走っていたけれど、根に躓いて足を捻ってしまった。痛みと寂しさに、余計涙が出る。


(なにしてんだろ。……何がしたいんだろ)


 あの暖かい場所から逃げ出して。もう帰れない。帰ったらまた不快にさせる。


(やだ……そんなの……これ以上……)


 あの美しく、優しい魔法使い。何だかんだ言いながら、家においてくれたひと。気に掛けてくれたひと。

 その目に嫌悪の色が映り、静かに自分を見据えていた。


(嫌われたくない……)


 だからといって今、自分は何を目指しているのか。闇雲に、ただ、逃げているだけ。


「……はぁっ……はぁっ…………ま、ほぅ……」


 結局教えてもらえなかったな。言葉が、木々のざわめきにかき消される。


「は……つか、れた……」


 立ち止まる。なんだかどうでもよくなって、ごろりとその場に寝転がった。拍子に足首が痛む。恐らく腫れているだろうと、どこか他人事のように考える。


〈──おや? お前は誰だ?〉

「……え?」


 耳元で突然響いた声に、子供は目を丸くした。


〈へえ、綺麗な瞳ね〉

〈全くだ。夜明けの空か、はたまた海か〉

「え? え??」


 起き上がり、声の主を探す。しかし姿は捉えられず、楽しげなそれは増えるばかり。


〈……たまげた。こいつはもしかして〉

〈え? ……本当だ!〉

まことの管理者!〉

〈真の者が見つかった!〉


 声は幾重にも重なり、共鳴し、子供の頭をわんわんと揺らす。


(なに? 何の話? まことのかんりしゃ?)


 この声は何の声だ。一体何について喋っているんだ。


〈今日は最高の日だ!〉

〈難が去れば運が来る!〉

〈皆にも早くこの事を……そうだ仮の管理者〉


 声が、低まった。


〈仮の者。あれはもう要らない〉

〈そうだ、要らない。糧に〉

〈主の糧に〉


 何か、恐ろしいものが感じられた。子供の呼吸は浅くなり、身体が勝手に震え出す。


(今度は、何を……)

「見つけた! ……なにこれ?!」

「?!」


 その声に肩が跳ね、身体の強張りは逆に解けた。


「何でこんなに集まって……」


 魔法使い。けれど、その声が自分に向いてないと気付くと、子供は恐々後ろを向いた。


〈仮の管理者よ〉

〈見つけたのだ。真の者を〉


 また声が木霊する。魔法使いは見えない何かへ顔を向け、声に応えた。


「……ああ、だから集まってたのか」

〈この者が真の管理者だ〉

「?!」


 一際近くで声がした。けれどやはり、子供にその姿は見えない。


「あの、なんの、はなし……」


 戸惑う子供に声は応えず、魔法使いは浅く息を吐いた。


〈まだ未成熟〉

〈しかし管理するには問題はない〉

〈お前なんぞよりよほど良い〉

〈お前はもう要らない〉


 青と金を、瞬かせる。何が要らないか、それだけは理解できた。


「……そう。まあ、だろうとは思ってたよ」


 髪を混ぜ、魔法使いはそれに頷く。赤と銀が霧を散らす。


「そうだね。問題も区切りがついた事だし……君」

「へっ」


 しゃがみ、目線を合わせた魔法使いは、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「ぁ……」

「提案がある。魔法使いにならないか? ……いや、君ならより凄い存在になれるな」

「え?」


 それを聞き、木々や風や、あの声達が騒ぎ始める。


〈何を言う仮の者!〉

〈提案だと? 決定事項だ!〉

〈お前に何か言う資格はない!〉

「静かにしろ。決めるのは真の者だ」


 一段低く響いた声に、辺りは一瞬にして静まり返る。


「は、あの」

「ごめんよ。要するに、この山の『管理者』にならないかという話だ」


 呆けた顔の子供へ、魔法使いは話を続ける。


「君はね、この山の主が呼んだんだ。いや、色々重なって助けたと言っても良いかな」


 顎に手を当て、選ぶように言葉を紡ぐ。


「ここの『魔法使い』……管理者はね、長らく仮の者が担って……あ、そもそも」


 魔法使いとは、生命を司る『主』の補佐。この山の主は、


「君を助けた、君が引っかかってた大木だよ」

「は、ぁ」

「そして君は『真の者』だ。仮ではなく真の管理者に……アタシなんかよりずっと上手く補佐役になれる。君は」


 魔法使いになるために、ここに来たのかも知れないね。


「で、どうする?」

「へ」

「その魔法使いに、なりたいかい?」


 穏やかな顔に覗き込まれる。

 『魔法使い』。目の前の、自分を助けてくれたひと。


「う、ん……」


 こくり、と頷いた子供へ、自身も頷き返す。


「分かった。じゃあ」


 その頭を軽く撫で、魔法使いは立ち上がり、


「アタシは、晴れてお役御免ってワケだ」


 見惚れるような笑顔で、そう言った。


「え、なん、なんで……?」

「そういう決まりだからね。主の補佐は『ひとり』。これは変えられない」


 そこまで言って、魔法使いの目が、子供の足に向く。


「……ああまた。捻ったね?」


 再びしゃがんで、そこに手をかざす。何事か呟くと、痛みはすぐに消え去った。


「応急処置だ。戻ったら自分でちゃんとしなよ」

「あ、ありが……え?」


 その額に、目の前の額がつけられた。


「は……ぅあ?!」


 膨大な情報が流れ込んでくる。意識が押し流され、眩暈を起こし、子供は倒れそうになった。


「ぅ、ぁ……」

「おっと」


 魔法使いはそれを支え、いつかのように背を軽く叩く。


「急でごめんよ。少ししたらそれも収まるから」


 そして立ち上がり、森の奥へと行ってしまう。


「ぇ? ……! まっ待って……っ!」


 追いかけようと立ち上がり、足と頭の痛みに呻いた。


「無理をしないで休んでな。足だって気を抜くとまた捻るよ?」

「ま、待って……! なんで、ボクどうすれはいいの?!」


 ひらひらと手を振る魔法使いは、振り返らずに声だけ返す。


「頭ん中が整理されれば分かってくるさ。周りも……優しいだろうし、ここでの生活もぐんと楽になるはずだ」

〈当たり前だ〉

〈真の管理者だぞ〉

〈お前とは違うんだ〉


 無慈悲な声達は、呆れたようにそう零した。


「やだ! ボク、何も教わってない! あなたから何も教えてもらってない!」


 魔法使いは答えない。


「ねえ! 弟子にしてって言ったのに!」


 その姿は遠くなり、やがて消えた。


「やだ、やだ……置いてかないで……」


 うずくまり、消え入りそうな声が霧に溶けていく。


〈どうしてあれがいいんだ〉

〈まだ未成熟だ。精神も不安定なのさ〉

〈あれはちゃんと、主の糧に成りに行ったか?〉


 その言葉に、子供は顔を上げる。


〈ああ向かってる〉


 だんだんと思考も回り始める。


〈これが少しでも、主のためになれば良いが〉


 立ち上がる。足の痛みなど気にならなかった。


〈無いよりはましだろう〉


 下げっぱなしの袋の中。について、聞きそびれたままだった。けれど、今は聞く必要もない。


〈それもそうか〉

「……ねえ」

〈管理者、どうした〉


 今まで声しか聞こえなかったもの達。その、見えた姿は幻想のようだった。

 人の姿をした、人でないもの。妖精とでも言えそうな、薄く蒼に煌めき透ける彼らは、この山そのもの。

 けど今はそんなこと、どうだっていい。


「連れてって下さい。主の所に」


 子どの言葉に、彼らは顔を見合わせる。


〈今は、どうだろう〉

〈あまり宜しくないのでは?〉

〈あれの事が済んでからなら……〉


 それを聞き、子供はとびきりの笑顔を向けた。


「そんなの関係ありません。今の管理者はボクだ」


 けして大きな声ではない。しかしそれだけで、周りは身を引いた。


〈い、や……真の者よ〉

「なに?」

〈あれ程度に……〉

「それ以上言うと消し飛ばします」


 天使の微笑みを浮かべるその口から、悪魔のような言葉が紡がれる。


「消し飛ばすじゃ無いんでした、自然に還します。主のためになりますよ?」


 その圧に誰もが震え上がり、凍り付いたように動けない。

 これが『真の者』の力。片鱗でこれほどの……。


「管理者はボクです。未成熟であろうとなかろうと。あの人のもとへ連れて行って下さい」


 さもなければ、どうしてくれよう?


〈ひぃっ?!〉

〈連れて行く! 今すぐ!〉

〈直ちに!〉

「っうわあ!」


 一気に集まった彼らに担がれ、子供は空に浮かぶ。


〈すみません管理者様!〉

〈申し訳ありません!〉


 完全に恐れをなした声に、子供は少しだけ肩を竦めた。


「はい、じゃあお願いします。なるべく早く」

〈はい只今!〉

〈帚星のように!〉

「わああ?!」


 風圧に仰け反りかけ、ちょっとやりすぎた、と子供は思った。


 ◇◇◇


「あー、飛ぶのも億劫になるとは」


 それでもなんとか追い付かれなかったと、魔法使いは胸をなで下ろす。


「ま、来るとも思わないけど。万が一もある」


 そして見上げる主は、また少し力を失ったように見えた。


「……今まで沢山力をお貸し頂き、有り難う御座いました。この命、少しでも貴方に行き渡りますよう」


 輝く幹に手を当てる。その身体が光り出す。


(こんな風に逝くとは思わなかったな。アタシも誰か、生け贄を探すかと思ったけど)


 あの子供は、来るべくしてここに来たんだろう。魔法使いになりたいとまで言って。


「何をどこまでお分かりなのか、主」


 大木は応えない。代わりに、あの子供の声が聞こえた気がした。


(死に際の何とかってヤツか?)


 そういえば、と、消えかかった意識で思う。


(結局、あの子は自分の事が分からず終いになったのか)


 輝く粒子になった身体が、僅かに力んだ。話せなかったのは心残りだが、子供に聞かせるには酷なものだ。そう思い直し、また主へと意識を戻す。


(まあ、知りたくなったら、自力で調べるなりするだろう)


 もう少しで自分は消える。還る。主と共に、あの管理者を見守ろう──


「無視しないでってばあ!」

「?!」


 目の前に、生命いのち溢れる光が舞った。



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