2 悪夢の方が余程良い

 朝起きて、伸びをして、そういえば変な夢見たなあと思えれば良かったのに。


「おう、起きたか」

「………まだ聞こえる……」


 起き抜けに聞く、誰だかもよく分からない声というのは、こうも精神を削るものなのか。


「この辺の病院ってどこだろ……」


 大学の授業は午後からだし、やっぱり一回診てもらった方がいいな、これ。


「あん? 何言ってる」

「……まずご飯食べよ」

「おい、俺の声が聞こえてんだろう? ぐちぐち言ってないで状況を受け入れろ」


 幻聴に妙な説教をされるとは。だからといって応えない。応えたら最後、後戻りできない気がする、色々と。


「子供じみた抵抗は止せ。俺の声はおまえ以外にも聞こえるぞ。このまま俺がくっちゃべったまま出歩きたくないだろう?」


 それはなんと恐ろしい。私は口を閉じているのにどこからか聞こえる男の声、「なんか腹話術してる奴いるwww」みたいに動画を上げられ拡散され、それが親にまでたどり着き「大学生になるからって、やっぱり一人暮らしさせるんじゃなかった。こんな変なこと始めてないで戻ってらっしゃい」とか言われるんだ。嫌だ。


「しけた面するな。俺だってやりたくてこんな事してねえよ、お前とくっついちまって困ってんだ」


 くっつく? そういえば昨日、お腹の中に入ってしまったと聞いた。その上それがくっついてしまったと?


「え、まって。お腹の中から出れないって事?」

「おう? やっと俺と話す気になったか」


 しまった。


「そうだ。お前を喰おうとした鬼を潰した時、お前大口開けて叫んだだろう。俺も幾らか驚いちまって、ちょいと滑ってそのままお前の腹の中に入っちまった訳だ」

「はあ?」

「それだけならどうにかなれた筈なんだが、まあ、なんか存在の相性が良かったのか、馴染んじまったらしくて抜け出せんかった」

「はあああ?」


 ちょっと、理解が追いつかない。突っ込みどころが増えた。


「…ちょっと、初めから順に行こう。まず、まずそもそもあんたは、なに? なんであそこにいたの?」

「俺か? 俺は……俺……は?」


 すごい嫌な予感がするんだけど。言い淀まないで欲しいんだけど。


「俺は……誰だ?」

「うっそだ……」


 最悪だ。積んだ。正体不明の記憶喪失の右手がお腹の中にいてなんかくっついちゃったらしいんです、なんてどこの奇妙な物語?


「いや待て。思い出すから待て。……あー、そう、俺は元はお前みたいな姿だったはずだ」

「人間って事……?」

「そう、多分」

「多分て」

「いいだろう。で、あー、こう色々斬っていて、まあ強かった、はずだ」


 切る? 何、殺人でもしてたの?


「それがちょいとへまをしちまって、バラバラになっちまった……んだったか? で、ちょうどそこにお前が通りかかった」


 私は頭を抱えた。要するに? 殺人してたら殺人仕返されでもしてこんな姿になったと? 何でそれで生きていられんの?


「なにあんた化け物……?」

「あーそう言われたりしてた気もするな、そういえば」

「……次、行こう。それで、手だけになった所に私が来て、驚く」

「蛙みてえだったな」


 その光景を思い出したらしい手から、くくっと音がした。……これは、笑った、のだろうか。

 そもそも、手だけなのにどこから見ているんだろう。喋るのもどうやっているのか。


「で、私の顔に、突然張り付いてきた」

「後ろから頭掴まれてんのにぼーっと立ってっからだ。あのまま俺が何もしなかったら、頭握り潰されて死んでたんだぞ」


 そこも、分からない。あそこには私と手しかいなかったはずだ。でも、何となくまた嫌な方向に、予想がついてきた。


「あの時、私の後ろに『私には見えない何か』がいて、私の頭を握っていたと?」

「なんだ、見えてなかったのか? 俺は見えてるくせに、変な奴だな」


 手だけの奴に変な奴呼ばわりされたくない。


「でも、じゃあそれをどうにかして私を助けてくれたってこと?」

「まあなあ。あのなんにも分かってねえ間抜け面が潰れるのを見るのは、夢見が悪そうだったからな」


 いちいち一言多い気がする。が、今は状況把握を優先しよう。私は続きを促す。


「で、鬼をトばした所でお前が騒ぎ出したもんだから、つられて驚いちまって腹ん中よ」

「顔に張り付かなきゃ駄目だったの?」


 それが無ければ、私もあそこまで驚かずに、お腹に異物を招待するなんて事にならなかったと思うのだ。


「咄嗟だったからなあ。得物も持っちゃいなかったし、俺自身が飛びついてその衝撃で鬼を微塵にするのが一番手っ取り早かったからな」

「微塵?」

「そいつがどしゃ降りみたいに降りかかったのは、ご愛嬌だと思ってくれ」

「どしゃ降りみたいに? 降りかかった?」


 …あの時急に降った雨、まさか。


「私、なんかよく分からない化け物の血やら肉やらを浴びてたって事なの?!」

「はあっ? なんだ今更」

「だって、そんな、普通の雨に見えたし、透明だったし、すぐ乾いたし臭いもなかったのに?!」

「ああ、お前、それの存在を認識してなかったからそのままにしてたのか」

「なに?! 臭うの?! 全然そうは見えないけど汚れてるの?!」


 私は自分の状態を確認する。帰ってきてそのまま寝たから、Tシャツに伸縮性のあるジーンズという格好。映画で見るような血糊が着いてたりしていないし、シマウマの顔がプリントされた水色のTシャツも、高一から履いてるジーンズも、色や手触りが変わっている様子はない。……いや?


「なんか、もやもやしてる?」


 目を凝らそうとすると、ピントがずれているような感覚に陥る。それも、自分や着ている物を見ようとする時だけ、そのもやが起こる。


「おう、それだそれ。俺なんかには馬鹿なほど鬼の気を纏わせて撒き散らしてるように見えんだがな、まあ後で落とせば済むこった」

「やめてなにそれ吐きそう」


 今すぐシャワーを浴びたい。浴びたいが、まだ重要な事を聞けていない。


「それで、結局、お腹に入って? なんでくっついちゃって、しかも取れなくなったりしてるの?」


 これこそ本題。今までの話は、ここさえクリアすれば笑い話にならない事もない、と思いたい。


「言ったろう、何でか分からんが馴染んじまったって。俺だってこんな事になるとは思っちゃいなかったんだ」


 声が少し萎んだ。手にとってもこれは本当に想定外の事態で、原因も解決策も分からないと、そういう事だった。


「……よし、病院行こう」

「はあ?」


 私が手を打ってベッドから降りると、手が変な声を出した。


「どこ行くって?」

「病院行って、お医者さんに見てもらう」

「医者ぁ? あんなの何の役に立つんだ」

「何もしないよりまし。それに」

「それに?」

「まだ私の頭がおかしくなった可能性も残ってる」


 至極真面目に言ったのだが、なんだか唸るような声が聞こえた。


「……そこはもうあきらめろよ」



 その後、喉から何かがせり上がってくる感覚と共に、昨日見た手が、口からボトリと出てきた。証拠として出てきたらしいのだが、私はそれを見て気絶した。



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