【書籍化】日陰魔女は気づかない

相野仁

第1話「魔女アイリは都暮らしになじめない」

「アイリちゃん、困るよ。頼んだお皿、どれも汚れが残ってるじゃないか」

 雇い主に軽く注意され、アイリはしょんぼり肩を落とす。

 洗い物をする魔法。

 使いこなせば服の洗濯から食器洗いまでできて便利なのだが、彼女のものは甘い。

「これじゃあお給金は引くしかないね」

「て、手で洗います」

 ため息をつく雇い主にアイリは慌てる。

「いいけど、それじゃあ魔女を雇う意味がないんだよ」

 と言われたが、イヤミじゃなくてただの事実だ。

 食器洗いのアルバイトなら、魔女よりも賃金は低くて済む。

「単なるアルバイト扱いにさせてもらうけど、いいよね?」

「……はい」

 アイリに断る権利なんてない。

 魔女は役に立つ魔法を使うから、一般人よりも高い賃金で雇われる。

 彼女は魔女であることを期待されて雇われたのだ。

 役に立ててない彼女は詐欺あつかいされ、追い出されても文句は言えない。

「ごめんなさい」

 自分で洗い終えて、改めて雇い主に詫びる。

「……言いにくいんだが、アルバイトならアイリちゃんじゃなくてもいいんだよね」

 返事がわりに言われたのが、遠回しの解雇宣告だとアイリは気づいた。

 アイリは魔法以外の技能も人並み以下だ。

 ならば彼女より器用で呑み込みの早い者を雇いたいというのは、店舗経営者としては当然の考えだ。

「はい。お世話になりました」

 彼女自身納得できるのだから、もう一度頭を下げる。

 店を出て暗くなった空を見上げた。

「これで八件めかあ……」

 涙がこぼれそうになる。

親に心配をかけたくなくて、自分ひとりでも生きていけるのだと安心させたくて、彼女は故郷を出た。

 しかし、取り巻く現実はとても苦い。

 王都で働き口を見つけても今日みたいにクビになってしまう。

「はぁ……」

 働いた分の賃金はもらえたのでまだマシだが、所持金に余裕はない。

 王都だけに家賃も物価も高く、家計を圧迫している。

「明日からまたお仕事を探さないと」

 両頬を軽くたたいて、暗い闇の底に沈んでいきそうな自分を叱咤した。

 泣いていても何も変わらない。

 それは実家のときに思い知ったものだ。

「あら?」

 借りている共同住宅の前に、見覚えのある中年男性の姿がある。

「大家さん? やばっ」

 そう言えばまだ家賃を払っていない。

 アイリは背中に大きな氷をくっつけられたような気分になり、駆け足になった。

「ご、ごめんなさい」

 開口一番謝った彼女を、大家がじろりと見る。

「用件は察しがついているようだね」

「は、はい」

 アイリはとっさに上手い言葉が浮かばず、口をもごもご動かす。

「悪いんだけど、出て行ってくれないかな?」

「えっ⁉ 決して滞納したわけじゃないですけど⁉」

 大家の発言に彼女はぎょっとする。

 たしかに家賃はまだ払っていないが、期日は数日後だ。

 「滞納」となるにはまだ猶予があるはずである。

「そうなんだけど、今日でまた店をクビになったんだろう?」

「うっ⁉」

 王都で大家をやっているだけであって、彼は顔がかなり広い。

 そのことを思い知ってアイリは言葉に詰まる。

「な、何とか待っていただけませんか。次の仕事を見つけて、必ずお支払いしますから」

 彼女は頼むしかない。

 祈るような気持ちで、服の裾をぎゅっと掴む。

「うーん……君はいままでまじめに働いてきて、家賃を滞納したこともないから、信じたいんだけどね」

 大家は困った顔で、歯切れも悪い。

「じつはあの魔女は使えないって、話題になりつつあるんだよ。うわさの流布の速さを、君は知らないようだね」

「そ、そんな……」

 アイリは青い目を見開く。

 つまり今後は魔女として雇われるのは難しい。

大家の言いたいことを察してしまった。

「親しい人間がいるなら話は違うんだけどね」

 大家は気の毒そうに言う。

 そんな知り合いがいればアイリの生活はもっと違っていたかもしれない。

「さすがに明日じゅうに出て行けとは言わないから……」

 大家は言い残して立ち去る。

 まだ十六になって間もない少女に、残酷な仕打ちをしている罪悪感でも抱いたのだろうか。

 ならもうすこし猶予をほしいと思う余裕は、アイリに残っていなかった。

「どうしよう……」

 のろのろと共同住宅の中に入って、彼女は頭を抱える。

 晩ご飯や職探しという気分は吹き飛んでしまった。


「朝? 最悪」

 窓からさしこむ日光を浴びて、アイリは目が覚める。

 床で寝てしまったので体が痛い。

 おまけにお腹もすいている。

「……わたしに都会暮らしは無理だったのかな」

 がんばろうという意欲はすでに折れてしまっていた。

 せめて家賃が安い地域に移れば、多少は楽になるかもしれない。

「まだおうちに帰りたくないなあ」

 帰れば両親はあたたかく迎えてくれるだろう。

 その点疑っていないからこそ、もうすこし自力でがんばってみたい。

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