素人玄人

そうざ

Amateur and Expert

 失敗なくして成長なし――誰だって恥を掻きたくなければ、汚点も残したくはない。だが、人は失敗から大いなる何かを学び、やがて一人前のプロへと成長して行くものなのだ。

 だから、ど素人のど素人っりには思わず文句を言いたくなる。

「おい、どうなってんだ?」

 俺が拾ったタクシーは彼方此方あちこちをうろうろした挙げ句、一方通行の裏道に入り込んでしまった。

「済みませんねぇ。運転手になってまだ一週間なんですよ。道がよく判らなくってね、へっへっへっ」

 運転手に悪びれる様子はない。逆に人懐っこい顔で愛想良く笑い掛けて来る始末だ。俺は苛立ちの余り貧乏揺すりを止められなくなっていた。

 こいつは何かと笑って誤魔化すタイプだろう。経験が浅かろうが何だろうが、客には関係ない。プロとして看板を掲げている以上、いつ何時なんどきもそれに見合う仕事をしなければならない。この運転手はその自覚に欠けている。客に媚びておけば丸く納まると思っているらしい。全く玄人くろうとの風上にも置けやしない。藤四郎とうしろう以下だ。

「私、会社をリストラされましてね。仕方なくこの仕事に就いたんですよ」

 運転手が学習したものは、言い訳の仕方だけらしい。時間と心とに余裕があればもっとまともなタクシーを拾い直すところが、今は兎に角、この地を離れたい。

『……ここで臨時ニュースです。つい先頃、○○総理が都内で行われた結党百周年祝賀会からの帰途、何者かに狙撃されたという一報が入って来ました』

 能天気な懐メロを垂れ流していたカーラジオが雰囲気を一変させた。俺は平静を装ったが、ニュースの核心を聞くとそうも行かなくなってしまった。

『○○総理は直ちに東都病院に搬送されました。腹部を撃たれましたが、幸い意識はしっかりとしているとの事です。では東都病院前からの中継を――』

「おい、成田空港は止めて東都病院の方へ行ってくれ」

「東都病院……? お客さん、もしかして政府関係の方ですか?」

「そうじゃない……ちょっとした野次馬根性だ」

「東都病院、東都病院……何区にあるんですかねぇ?」

 運転手に逐一道を指示しながら、俺の頭の中は総理の容態の事で一杯だった。

 ラジオが続報を伝える。

『犯人は数十メートル離れた雑居ビルの屋上から合計三発の銃弾を発砲したと見られますが、二発は大きく逸れ、総理に命中したのは一発のみ。それも外れた弾が地面で跳ね返り、腹部に当たったようです。警察は、手口の稚拙さから素人に依る犯行と見て全力で行方を追っています』


 漸く到着した東都病院の前は、マスコミ関係者や野次馬でごった返し、大混雑だった。通りは交通規制が敷かれ、ドライバーは警官から身分証の提示を求められているようだった。

 リポーターが上擦った声で喋っている。

『現在、総理は緊急手術を受けていますが、腹部に当たった弾丸は内蔵を貫通し、多量の出血を引き起こしており、予断を許さない状況です』

「あれ? 第一報の時よりも容態が悪そうですねぇ」

「らしいな……」

「で、どうしますか? これ以上、進めそうにないですよ」

「……もう良い。行こう」

 俺は運を天に任せる事にし、再びタクシーを成田空港へ向かわせた。


 仄かな潮の香りが鼻をくすぐり、俺は眼を開けた。

 リアウインドウから見える空はとっぷりと暮れ、そこを一機の飛行機が翔けて行った。

 ――あれは、俺が乗る筈だった便か?――

 朦朧とした頭で、自分がここでこうしている理由を考えた。

 成田空港へ向かう途中、飲料水を買おうとコンビニに寄った。極度の緊張が続き、喉がからからだったのだ。

 店員は覚束おぼつかない手付きでレジを操作していた。昨日からパートに入ったばかりで、と独り言を呟いていた。俺は引っ手繰るように釣り銭を受け取り、待たせておいたタクシーに戻った。

 そこに運転手の姿はなかった。辺りを見回すと、車の陰から現れた人影が俺の背中に鋭利な物を突き付けた。そのまま後部座席に押し込まれ、薬品を嗅がされた。

 ――その後、どうなったんだ?――

 考えあぐねる耳に、総理、手術、大成功という言葉が微かに聞こえて来た。ラジオが手術を担った医師団の記者発表を伝えている。

 俺にとって不幸な事に、手術を担当したのは神の手と賞されるカリスマ外科医だったらしい。その朗々とした口調は何処か得意気で、プロ中のプロとは言え、少し鼻に付いた。

 ――医者は医療ミスを重ねて一人前になるって聞いた事があるな――

 靄の掛かった頭で毒突いていると、運転席の方から男の声がした。

「お前にはまだ一国の首相を仕留める技量はなかったな」

 手足を縛られた上に口をテープをで塞がれた俺は、タクシーの高部座席で無様に転がっているしかなかった。

「失敗なくして成長なし……と言いたいが、世の中には失敗が許されない家業もあるんだ。ドジったまま高飛びしようなんてのは玄人くろうとの風上にも置けない。しかも、通り掛かったタクシーに乗って運転手に面を晒すなんてのは下の下だ」

 男が振り向いて俺を覗き込んだ。その顔に、タクシードライバーに扮していた時の面影は微塵もなかった。

「用心深い依頼人でな、念には念を入れてベテランの俺に監視役を依頼したんだ」

 男はそう言いながら、身動きの出来ない俺を地面に引き下ろした。潮の香りが一段と増した。

 ――失敗したまま終わりたくないっ! もう一回、チャンスをくれっ!――

 もごもごと動く俺の口元を見て、男は穏やかに言った。

「心配するな、後は本物のくろうとが引き受けてやる」

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