レティシアの結婚 ~とある少数派公爵令嬢の運命の出会いとその後についての備忘録~

高瀬 八鳳

短編・完結

 レティシア・アイリス・ダンティスト。この国で彼女の名を知らぬ民はいない。


 十代以上続く、名門ダンティスト公爵家令嬢。3人の兄に溺愛される見目麗しい妹君。その優雅な立ち居振る舞いと可憐で美しい容姿は、人々を虜にする圧倒的な魅力を持つ。若者から杖をつく年長者、そして同性まで、みな彼女の美貌の虜となる。


 だがその美貌により、彼女は幼少期からぶしつけな視線や誘拐未遂といった暴力にさらされた。いつの頃からか、社交会にも顔を出さず家に閉じこもるようになった彼女の美しさは、いっそう伝説化した。。


「レティ、レティシア。そろそろ、本気で考えようか?」

「そうだよ、レティ。君も来月でもう20歳になる。他の家の令嬢はもうとっくに結婚して子供もいるんだよ」


 ダンティスト公爵家の家族水入らずの昼食会で、話題になるのは末娘のレティシアの結婚話。勿論、兄達は皆とっくに結婚し、独立している。

 

「なによ、お兄様方。私の求婚者を散々蹴散らした癖に、今度は早く男をつかまえてトットと出て行けと催促するの? 手のひら返しすぎでしょ」

「そ、そんな意味じゃないよ、レティ。でも君もずっとこの家にいる訳にはいかないだろ?」

「なぜだめなの? まさか、本気で私を家から追い出すなどと非人道的な事をなさるおつもり?」


「レティシア、彼らはお前の事を思って助言しているのだよ」

「あら、お父様も追い出し隊のお仲間なの?」

「いや、その……」


「レティシア! あなたはいつも反論ばかり。見た目は天使なのに、でてくる言葉は品のない」

「お母様、お言葉ですが、子供の頃からあれだけどす黒い色欲を見せつけられたら、ヤサグレるのも道理ですよね。乗馬や剣の腕は一流、勉強もできるし、4ヵ国語を話す私に、求婚者あのひとたちが求めるのは可愛い顔と、メリハリのある体のみ。黙ってニコニコする人形が欲しいだけって、馬鹿にしすぎでしょ!」


 あどけない可憐な令嬢から、不釣り合いな言葉がポンポンと勢いよく出てくる。

 そう、実はこれこそが、家族と限られた人間しかしらない、かの令嬢の素顔であった。


「私、言ってましたよね。女性初の国立剣士ジョアン・ヒューストン様みたいになりたい。もしくは、ジョアン様の妹君、アリア様みたいに平民の商家へ嫁入りし、商売という戦場で己が才覚を試してみたいと。私が進みたい道を閉ざしたのはみんなじゃないの!」

「レティシア……。落ち着いて聞いてくれ」


 父の鎮痛な表情に、レティシアも口をとじる。


「実は……、国王から、お前が3ヶ月以内に婚約者を定めない場合は、隣国の第三皇子との婚姻を結ぶようにと伝令がきた」


 一同、押し黙る。


「その……、レティが結婚しないせいで、若者達が君を諦めきれず、結果、若いご令嬢達も結婚出来ず困っていると多くの貴族から国王に嘆願書が届いているそうだ。だから……」

「わかりました。とはいえ、勝手によその国に嫁がされるなんて、絶対にごめんですから。今晩夜会が開かれるのはどこの家門かしら? 私、サクッと夫を探しに行くわ。では用意があるので皆様、失礼」


 昼食の途中にもかかわらず、言いたい事だけ言って席を立つレティシアを咎める者はいない。

 一瞬の沈黙の後、公爵夫人がホッとしたように発言した。


「……どういう理由であれ、あの娘が初めて本気で結婚相手を探す気になったのですわ」

「そう、そうだな。相手が見つかるよう、皆協力してやってくれ」

「はい!」

「よし、今宵の夜会は、長兄の私が同伴しよう」

「宜しく頼むわね」


 なんだかんだと、レティシアに甘い家族であった。


 レティシアは自分の住む離れの館へと戻っり、広間をのぞいた。年若い女性達が布を広げ作業をしている。

 数年前に、城下町の手作りマーケットで出会った平民の少女たちをスカウトしたレティシアは少女達に高度な裁縫

の技術を伝授し、オリジナルドレスブランド設立をを画策している。


「こんにちは、お嬢様。今、最終手直しをしているので、もう間もなく仕上がりますよ」

「みんな、いつも有難う。ね、そのドレス、今晩着れるかしら? 実は結婚相手を探しに、今宵夜会へ行く事になったの」

「け、結婚相手……!? それはいったい……?」

「私ね、3ヶ月以内に結婚しないと、国王命令で他国に嫁がされるそうよ」

「そ、そんな……!」

「お嬢様……」


 少女達が手を止め、不安そうにレティシアを見つめる。


 皆、レティシアの『ブティックをひらいて、一攫千金をゲットしよう』という夢を共にみる仲間だ。ここで、レティシアが海外に嫁がされてしまうと、計画がパーになってしまう。


「大丈夫よ、みんな。私、良さげな人をサクッと捕獲してくるから、安心して」


 レティシアは、彼女達にニッコリと笑顔を向けた。



 ワードセンス公爵家の仮面舞踏会は、いつも多くの来客で賑わっている。

 仮面を着用するものの、入口での身元チェックと同伴者必須の規則がある為、信用のある人気の夜会なのだ。


 大広間では、流行の色鮮やかで裾広がりのドレスを身につけた貴婦人方と、正装の紳士達が所狭しとワルツを踊っていた。紺一色のストンとしたドレスに、仮面の下にベールで顔を覆ったレティシアは、全く目立たない存在だ。


「まずは踊るか?」

「いえ、けっこう」

「ええ? 良さそうな青年を探さないのかい?」

「混み合う漁場に用はございませんから。お兄様、私いつもの場所におりますわ」


 勝手知ったる館と、レティシアは大広間を後にした。

 色とりどりの花が咲く庭園を抜けさらに奥の、緑の植物が生い茂る一角に小さな休憩所がある。

 いつもはひっそり静かな場所に、珍しく先客がいるようだ。レティシアは、手前のベンチにソッと腰掛けた。


「ブロード、お前の心遣いには感謝している。だが、花嫁を探すのはやはり無理だ」

「せっかく来たのに、もう諦めるのか?」

「先程の令嬢達の対応を見ただろう? 両親も後ろ楯もない、貧乏男爵に嫁ぎたい女性など、まずいまい」


 品の良い落ち着いた声と内容に、レティシアは興味を持った。


「わかった、わかった。向こうの求める条件は置いといてさ、お前はどうなの? どんな人と結婚したいと思うのか、この際全部言ってみろよ」

「私の希望か。そうだな。まず、妹を大切にしてくれる人だな。それから質実剛健。健康で何でも食べる。領地の農作業や小商いを手伝ってくれる、好奇心旺盛で一緒に色んな事に挑戦してくれる人。誠実で、本音で対話できる。出来れば乗馬と護身術を嗜んでいる。それから」


「まだあるのか? ……見た目はどうなんだ? 可愛いとか、グラマラスなお姉様がいいとか」

「見た目にそうこだわりはないが。お前の好きな可愛い系は苦手だ。さっぱりすっきりしている方が好ましい」

「お前、それただのシスコンじゃねえ?」


 レティシアは、話を聞きながら驚きで身体が震えた。こんなにすぐに、理想的な夫候補があらわれるとは!


「シスコン、か? 見慣れたタイプの顔の方が落ち着くというだけだが。あとは、私の顔に見惚れない人がいい」

「はあーー。めちゃめちゃ嫌味な言い方だが、お前の顔は確かに良い。結婚相手としての人気はないが、愛人になれって依頼は山程くるもんな、お前」

「ああ、迷惑な話だ」


 レティシアはそれを聞き、決心した。この男を、この好機を逃してはなるまい、と!


「あの、黙ってお話を聞いてしまった無作法をお許し下さい。実はわたくしも、結婚相手を探しておりますの。ご相談させて頂けませんこと?」


 急に鈴の音のような甘い声に話しかけられ、若者達は驚きのあまり声も出ないようであった。レティシアはサッと二人の座るテーブルの前へと進み、丁寧な礼をとった。


「……はじめまして。私は、サイモンと申します。どうぞお掛け下さい」


 片方の男がはじかれたように立ち上がり、レティシアの為に椅子を引いた。


 細身だが筋肉のある体型に、銀色の艷やかな髪。心地の良い声と上品な話し方。そして、洗練された優雅な立ち居振る舞い。

 仮面で覆われていても、その顔立ちの良さは見て取れた。若い女性に人気の王子様タイプであると推測する。


「あ……。サイモン、俺外そうか?」

「いや、いてくれていい」

「私も、大丈夫ですわ」

「そ、そう、ですか? では、まあ……」


 ゴニョゴニョ言いながら、彼の友人も元の席におさまった。がっしり体型、短髪、粗野な物言いから、剣士だと当たりをつける。


「あらためまして。私、シアは20歳になる貴族の娘です。この夜会に兄と来ておりますので、身元は保証されます。私は事情により、結婚して下さる方を探しております」

「なるほど……」


 一瞬、気まずい空気が流れる。


「あの、部外者が失礼な事を聞くようですが。その、事情って、ですかね?」

「そういう事?」

「つまり、その。あわてて結婚相手を探す理由って、たいてい一つですよね? つまり、よその種を……」

「ブロード!」


 レティシアはきょとんとした後、ああ、と頷いた。


「説明不足で失礼しました。私は妊娠してはおりません。ですので、ご安心を」

「ま、まっさ……」


 顔を赤くするブロードは捨て置き、レティシアはサイモンの瞳をしっかりと見ながら話を続ける。


「サイモン様。私は兄が3人おり、ずっと妹が欲しいと思っておりました。衣服は既に持っています。私は個人の服飾ビジネス企画を保持しています。事業化すれば、収入の足しになるかと。健康と乗馬と剣術には自信があります。火が通っていれば昆虫でも食べますわ。ガーデニングの土の配合を研究した事もあります。好奇心旺盛ですので、夫となる方には私を自由にさせて下さる方を望みます。あ、と言っても、浮気は致しません。他に何か必要な事項はありますか?」


 最初のよそ行きの可愛らしい態度から一転、普段の調子で淡々と話すレティシアに、サイモンが戸惑うのがわかった。


「社交の場ではそれ相応の対応ができますが、私も本音の付き合いを好みますの。夫となる人に、可愛がられたい願望はありません。むしろ、家門の共同経営者として認めて頂きたい。妻を庇護する対象ではなく、心強い相棒バディとして認識して下さる事を願います」

「庇護対象でなく、バディとして……」

「はい!」

「ちょ、ちょっと、ちょっと、サイモンいいかな? シア嬢、失礼しますね」

「どうぞ」


 ブロードがサイモンの肩に手をまわし、テーブルから離れた。


「サイモン、シア嬢彼女ヤバいって……」

「何が?」

「いや、もう全てが。顔も一面覆われてて見えないし。もしかしたら顔に傷があるとか」

「憶測で失礼な事を言うな。私は、彼女の理路整然とした理知的な話し方は好きだ」

「だから、その理路整然した話し方が問題なんだよ。そんな令嬢、いるか? しかも、20歳と婚期を過ぎてる。ビジネス企画だの、昆虫を食べるだの、家門の共同経営者だの、普通じゃないだろ?」

「普通じゃないのはうちの家も同じだ。私は、彼女が気に入った」

「あのな、あの令嬢が本当に馬を操り、剣で戦えると思うか?」

「彼女が嘘をついているとでも?」

「その可能性はあるだろ?」

「わかった。それだけ確かめよう」


 サイモンがレティシアの元に戻ってきた。ブロードは走ってどこかへ去った。


「シア様、私はあなたのお話に魅力を感じでおります。失礼ですが、一つあなたの腕前を試してもよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論です」


 息を切らせながら戻ったブロードから、細身の木刀を手渡される。


「ブロード、ありがとう。では、シア様、お手合わせ願えますか?」

「はい、宜しくお願いします」


 木刀を握りしめ、動きやすい場所に移動する。


「シア様、こいつ優男にみえて、けっこう有段者なんです。やめるなら、今のうちに……」

「ブロード様、ご忠告に感謝します。サイモン様、私のこのドレスは、動き回るのに適したものですの。遠慮なさらず思いきり打ち込んで下さい」


 ブロードのやんわりとした制止を切り捨て、逆に挑発するレティシアに、サイモンは興味を抱いた。

 知りたい。この女性について、もっと知ってみたい。


 二人は、木刀を向け合いながら、対峙する。

 互いに、隙がない。


 サイモンが軽く打ち込んできた。


 カン、と相手の刀をはたき落とすと同時に、レティシアは剣先をサイモンへの首筋へと滑らせる。

 サイモンは瞬時にその筋を読み、身体を反らせ、かわす。


「……マジか……」


 ブロードにも、レティシアが口だけでない事がわかった。


 カンカンカンと凄まじい音が響く。

 サイモンが攻めているかと思えば、次の瞬間には一転、レティシアが猛攻をくわえる。流れるようなその攻防は、美しいダンスのようにも見えた。


 夢中で打ち合っていた為、第三者が近づいてきた事にレティシアは気づかない。


「な、なにをしているのだ? やめよ、今すぐやめるのだ!」

「お兄様? あ……っっ……!」


 兄の声に気をとられ、動きが止まったレティシアの腕を、サイモンの木刀が打った。  

 レティシアの手から離れた木刀がカランカランと地面に落ちた。


「レティシア!」

「シア様!」


 サイモンが、レティシアに即座に駆け寄り、手を取った。


「申し訳ありません。打ち身になったのでは……?」

「大丈夫で……」

「離れろ、無礼者! お前は何者だ? 誰に対しこのような行いをしたのかかわっているのか?」


 長兄は怒りをあらわにしながら、レティシアを腕に抱え込んだ。サイモンとブロードは突然の介入者に唖然としている。


「こちらは私の妹、レティシア・アイリス・ダンティストだぞ」


「えっ?!」

「ダンティスト公爵家……、あの、レティシア様?」


 レティシアは、大人しく兄に抱きしめられた。


「ラノラック男爵家当主、サイモン・ハルト・ラノラックと申します。この度はレティシア様を傷つけてしまった事、申し訳なく存じます」


 サイモンは即座に仮面を外し膝を折り、剣士の作法で長兄へ詫びの姿勢をとった。


「全くだ。女性相手なのだぞ。なぜ、手かげんしなかった!」

「……お言葉ですが、女性だからといって手かげんをすれば、それこそレティシア様に失礼かと」

「そんな事は詭弁だ! 女性は守るべき存在だ! それをお前は……」

「サイモン様!」


 レティシアは、兄をグイグイと肩で押しやり、サイモンの前に同じように跪いた。


「サイモン様。対等に手合わせ下さり有難うございます。私が打たれたのは、兄の声に気をとられてしまった未熟な私の責任、あなたが謝る必要は一ミリもありません」


 そう言いながら、レティシアはサイモンを立たせた。


「サイモン様、いかがですか? 私との結婚、ご検討頂けそうですか?」

「あなたは素晴らしい剣士で、己の意思を持つ自立した稀有な方だ。あなたさえよければ、ぜひ私の花嫁にお迎えたい」

「は、花嫁……?!」

 

目を白黒させる兄を尻目に、レティシアは続ける。


「嬉しい。サイモン様、私からも一つ確認したい事があります。私のこの容姿は、あなたのお好みでしょうか?」


 そう言って、彼女は自身の仮面とベールを外した。二人は、互いに素顔で向き合った。

 サイモンは、美しいガラス細工のような煌めきを纏っている。勿論、レティシアも国一の美貌とうたわれる容姿だ。

 その二人が見つめ合う姿は、さながら美しい天上人が描かれた、一枚の尊い絵画のようである。


「うわあ! これはヤバい絵だな。美男美女が揃うと、破壊力ハンパねえ」

「レティ、ああ、サイモン君も……美し過ぎる……」


 うっとりしながら、長兄とブロードが呟いた。


「シア様、いえ、レティシア様。正直に申し上げますと、あなたの容姿は私の好みではありません」

「ヴッバ……っか! サイモ……」

「な、なんと……!」


「あの、お好みでなくとも、閨は問題ありませんか? 私は契約結婚がしたいわけではないので、白い結婚は望みません。出来れば、私が愉悦を楽しめる程度には、閨にも注力して頂きたいのですが」

「ブフォ……ッ……!」

「レティ! 人前で閨などと……」


「レティシア様。あなたの考え方、勇気、率直な物言いに、私は既に惹かれています。あなたの事を好ましく感じています。私は、性欲が強い方ではありませんが、姉達から、一般的な閨教育と別に、女性を喜ばせる為の課題図書を与えられ学んできました。あなたの為に、精一杯努める事をお約束します」

「サイモ……おま……」

「……課題図書、とは……?」


「レティシア様こそ、私をどう思われますか? お好みの顔ですか?」

「いいえ、サイモン様。私もあなたは、好みではないんです。だから、安心して下さい」


 互いを、自分の好みではないと嬉しそうに話す二人を、兄と友は何とも言えない顔でながめる。


「お兄様、私決めました。サイモン様と結婚します」

「まあ、まてまて、レティシア。とりあえず、家に帰ろう」


 半ば強引に、サイモンとブロードはダンティスト公爵家に連行された。


「んまああアァァ、なんてハンサムさんなの? 眼福眼福。とっても素敵だわ」

「うちのレティは可愛いけれど、君もなかなかの美しさだね、サイモン君」

「結婚式で、サイモンとレティシアが二人並ぶと、見てる人、皆鼻血だしちゃうかもね。レティは話すと怖いけど、見てるだけなら本当に可愛いから」


 サイモンを連れ帰ると、公爵夫人は黄色い声で歓迎し、次男と三男は、妹大好きなシスコン発言を連発した。


「ウォッホン! 私は、ダンティスト公爵家当主である。君は我が娘、レティシアとの結婚を希望して、この場に来てくれたという事で間違いないか?」


 名門公爵の重厚な声が響いた。


 客間のソファーに座らされたサイモンとブロードの前に、公爵家全員が揃い、二人を見つめる。


 サイモンは、ブロードに誘われて、今宵久しぶりに夜会に参加した。

 両親は彼が幼い頃に事故で他界した。姉二人が親代わりとなり、サイモンと妹を育て、成人したサイモンは家門を継いだ。

 姉達が結婚して家を出てからこの6年、彼は家長として懸命に家門を守ってきた。


 妹から、そろそろ結婚して自身の幸せを考えてほしいと言われ、サイモンは戸惑った。妻を迎える必要性は理解していたが、結婚したいという欲求は皆無だったのだ。

 彼は幼少期から、うんざりするほど、モテた。数多くの女性や時に男性が、彼の美貌に群がった。

 姉妹のお陰で女性恐怖症にはならなかったものの、愛を囁いてくる人間に気持ちが動かされることは一切なかった。今日、先程までは。


 サイモンは、レティシアを見つめる。彼女の淡々とした話し方。媚も過剰な謙遜もない対等な会話は、なんと心地よいのか。剣の腕前もまた素晴らしい。姉程でないにせよ、かなりの時間を練習に費やしてきたにちがいない。努力家なのだ。


 サイモンは姿勢を正し、公爵に真っすぐに向き合った。そして、立ち上がり、貴族の作法で腰を折り、優雅に挨拶した。


「ラノラック男爵家当主、サイモン・ハルト・ラノラックと申します。本日、有難いご縁を頂き、レティシア様とお話する幸運を得ました。我が花嫁にお迎えできれば、これ程嬉しい事はございません」

「サイモン君、いや、ラノラック男爵。あなたは、我が娘にどんな幸せを与えてくれるのだろうか?」


「私は、我がラノラック男爵家は、決して裕福ではありません。歴史も浅く、貴族とはいえ、平民に近い家門です。私はレティシア様に何かを与え、幸せにすることはできません」

「なんと! では、ラノラック男爵は何をもって我が愛娘を迎えようとするのか? 聞いた話によると、貴殿はレティシアの美貌には全く興味がないそうだな。娘を大切にしない男に娘を嫁がせる気にはなれぬが」


「私は……。レティシア様を、男爵家の対等な共同経営者として、尊重することをここに誓います。レティシア様の知性、行動力、剣の腕前、ご自分を持つ強さ。それらに、私は魅了されています。私は、レティシア様を尊敬しています。これからの人生を、彼女と切磋琢磨しながら共に歩みたい……。彼女の望む形で彼女を大切にしたいと、強く願っております」

 

 このサイモンの熱い言葉に、その場にいた全ての人間が驚いた。


 サイモン自身も、自分のなかにこのような情熱が眠っていた事を初めて知った。

 ブロードは、幼なじみの見た事のない雄々しい姿に胸がキュンとなった。

 公爵と3人の兄達は、レティシアの美貌でなく、公爵令嬢として規格外な内面部分に魅力を感じるというに驚愕した。

 公爵夫人は、サイモンの言葉は聞いていなかったが、彼の憂いを帯びた強い眼差しに、ゴフッ……鼻血ものだわ、と言いながら両手で顔を覆った。


 そして、レティシアも、目を見開いたまま固まった。


 数時間前まで存在も知らなかったサイモンから、このような真摯な気持ちを贈られる事に。そして、自分の内に生まれた彼に対するトキメキに驚いた。


 彼は真剣に打ち合いをしてくれた。

 本当の意味で、女性を下に見ず対等な存在だと考える男性を探し出すのは、砂漠の中でオアシスを求めるにも等しい。

 レティシアを尊敬している、対等な共同経営者として尊重することを誓うとまで言ってくれたサイモン。


 これが運命の出会い、なのかも。

 レティシアは、生まれてはじめて、神を、おとぎ話を、運命を信じてみたくなった。


 黙ったままのレティシアに、サイモンは近づき、跪ひざまづいた。


「レティシア様、これが、今の私の正直な気持ちです。私はあなたと、結婚したい」

「サイモン様……」

「そして、私の姉と妹にも会ってほしい。姉達は、世間の噂ほど傍若無人な人達ではないので、怖がらないでほしいのですが……」

「傍若無人……? お義姉様がですか?」


 サイモンは少し緊張しながら、こう続けた。


「はい、実は……。私の上の姉は、ヒューストン将軍と結婚した女剣士、ジョアン・ヒューストンです。下の妹は、大商人ロン一族に嫁いだアリア・ロンです」

「な、な、なんだと!? なんですってーーーー!?」


 レティシアはじめ、ダンティスト公爵家全員の声がかぶりあい、館内に大きく響いた。


「サイモン様のお姉様が、ジョアン・ヒューストン様? あの一騎当千、荒くれ者の海賊、ゴロツキの悪まで震えあがらせる女剣士ジョアン様? 6つの海を支配する大商人ロン一族に嫁入りし、若頭の地位に登りつめたあの、女傑アリア様が、姉? という事は、彼女達が、私のお義姉様に!?」


 興奮のあまり、レティシアは目の前のサイモンに抱きつきタックルし、押し倒し、2人は共に豪華な絨毯の上にゴロゴロと転がった。


「レティシア……!!」

「レティ!! はしたない真似は……!! 」


「嬉しい!! ああ、夢みたいよ! サイモン様、結婚しましょう、今すぐに!! ずっと憧れていたあのお二方が、私の義理の姉になって下さるなんて……。嬉しすぎて、もう、訳がわからないわ……!」


 レティシアに抱きつかれながら、ゴロゴロと転がるサイモンを、ダンティスト公爵家ファミリーとブロードは、申し訳なさそうな、可笑しさを堪えるような、なんとも言えない表情で見守った。


 しばらくして、やっと動きを止めたレティシアに、サイモンの呟きが聞こえた。


「レティシア様、私の運命の人。私こそ、あなたに出会えて幸せだ」



 レティシア・アイリス・ラノラック男爵夫人。この国で彼女の名を知らぬ民はいないであろう。


 元・名門ダンティスト公爵家令嬢。ラノラック男爵と運命的な出会いを果たし、出会ってわずか一週間で電撃結婚。公爵令嬢時代から、平民のお針子達を育て、自分だけの裁縫チームを持っていたのは有名な話だ。

 コルセットなしの一人で着用出来るドレスや、切込みのはいった独特のプリーツドレスを発明。特にプリーツドレスは可動域が広く、走ったり乗馬もできる画期的な衣服として、女性剣士、王城の侍女から下町の女給まで幅広い支持を得る人気商品だ。

 彼女のユニークな服飾プロジェクトは、ラノラック男爵の姉、大商家ロン一族に嫁ぎ『牛農家に牛肉を売る女商人』として有名になったアリア・ロンの手助けをへて、やがてラノラック男爵家の根幹を担う大事業へと成長した。


 また、レティシアは夫の長姉、ジョアン・ヒューストン副将軍と協力し、女性の自立と社会的地位の向上の立役者となった。ジョアンと共同経営をはじめた小さな女性専用職業学校は、今や国内外から毎年500名を超える入学希望者が殺到するマンモス校へと変貌を遂げた。


 そして10年前に出版した3冊の共著『王国のこれからの発展にかかせない女性の力』、『女性を下に見る時代の終焉と共に横に並ぶ新しい時代の幕開け』、『時代を切り開いた先駆者。ラノラックに連なる3人の女性達』は今だにベストセラーとして右肩上がりに売れ続けており、10ヶ国語に翻訳され、海外にも大きな影響を与えている。


 レティシア・アイリス・ラノラック男爵夫人。

 格下の貧乏男爵家に嫁ぎ、己の才覚で成功した職業婦人。20歳という結婚適齢期を過ぎてから理想の夫と結婚した、現世に生きるおとぎ話のヒロイン。多くの少女達の憧れの存在。

 彼女のその美貌について話す者は、いつの間にかいなくなっていた。

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