第26話 イリディセントの暗部

〈ストップ! ストッッップ!! 撃たないでくれ〉


 リバーブ・エフェクトがかかったような声が通路にギンギンとこだました。


(いや、そうそう撃たねえよ、生身の人間をこんなもんで)


 俺はケイビシの、ライフルを持つ右腕をゆっくりと床へ向けた。続けてライトの光量を絞ると、そこに立っている人物の姿がようやくまともに見えるようになった。

 癖のある茶色の髪に丸眼鏡をかけ、ボタンを留めないままで白衣をラフに羽織った男だ。左手には提げ手のついた何かのケース、右手には大ぶりの懐中電灯。


(ありゃあ、研究員かなんかか?)


 コクピットの前面ハッチを半分開け、念のために着けた簡易酸素マスクを作動させる。


「何だ? こんなところで何をしてる……あんた、イリディセントの研究員じゃないのか?」


 ――そういう君は、管理部うえが呼んだユニオンの傭兵だな?


 そうだ、とうなずくと、彼は安心したようにうなずき、こちらとの距離を詰めて歩み寄ってきた。ここなら、怒鳴らなくても声が鮮明に届く。


「大事な話がある……女王個体を殺してはダメだ。取り返しのつかないことになる」


「どういうことだ?」


 依頼書の話と逆だ。どうもおかしなことになってきたらしい。何にしても、この男をこのままここに放っておくのは気が進まない。

 資料によればホグマイトは肥大した筋肉組織とカルシウムをたっぷりと取り込んだキチン質の複合骨格を持ち、およそ食べて栄養素に変えるパワフルな生物だ。


「……これに乗り込んでくれ。話は中でじっくり聞く」


「ああ、分かった」


 ケイビシの手を伸ばし、男を上に乗せてコクピット前面まで導く。シートの後ろに入ったのを確認して、俺は再びハッチの蓋を閉じた。


「さてと。それで、あんたは何者でこの一件はどういうカラクリなんだ。話してくれるんだよな?」


「私は……フード&ストック事業部所属のブージャム・ベイカー。生物学研究室の研究主任です。地上うえにあるファームで、この十年というもの、ホグマイトをはじめとした食用新生物の研究に携わってきました」


「うへ……あれ、やっぱり食用なのか」


 モニター越しに見た限りでは、あまり食用としては考えたくない代物だった。

 びっしりと白い毛皮で覆われたもりもりした筋肉の塊から、カニのの足に似た、カギ爪のある肢が左右に4本づつ飛び出していて、頭部にはイナゴと同じようなすりつぶすのに適した顎と、まばらに並んだ赤く光る単眼があるのだ。おおいやだ。


 だが怖気を振るう俺のわずかな素振りを、ベイカーはこれっぽっちも見逃さずに絡んできた。


「うへえ、と仰いましたか……ふむ。つかぬ事をうかがいますが、あなた、あれはお好きですか? 弊社の大豆たんぱく成形肉謎肉


「あー。うん、あれなあ。安全な食品だってのは納得できるんだが、いかんせんその……味が物足りねえなあ」


 ベイカーは我が意を得たり、とばかりにうなずいているようだった。というのも俺の目はその間モニターとゴーグルの重ね合わせ映像に集中していて、彼が後ろでうんうんと喉を鳴らす音しか聞こえないのだ。


「そうでしょう! そうでしょうとも! ならば、ホグマイトには満足してもらえるはずです。原型になった生物にない数種類のアミノ酸を合成するために、必要なゲノムを人為的に導入し、肉の味を限りなく豚に近づけてある。ここだけの話、われわれファームの職員は時々、あれを様々な方法で調理して試食しています。本物の豚の味なんかみんな知りませんが、それでも……」


 おおっと、凄い雄弁かつ早口な口上が始まってしまったぞ。こいつはあれだ……頭のいい人種によくある、話が長くてめんどくさいやつだな?


「それでも、肉と肉でないものの違いはわかる! その差たるや、歴然としています。ああ、あなたにも試食して欲しいなぁ、ホグマイトは実に美味いですよ! だいたい我々人類は、肉を焼いて食うことで生態系の頂点にのし上がるだけの知能とそれを培う時間、そしてその時間を活用するエネルギーを得た生物です。なればこそ、動物の肉からしか得られない栄養素がある……あって、人間にはそれが必要なんだ!」


「うん、わかった。あとで時間と機会があれば、ぜひそいつを賞味させてくれ――」


「それを……うちの上層部のわからんちんどもは! どうあっても『兵器として売り込めるようにしろ』なんていうんですよ!!」


 ――兵器!?


 話がえらい方向へ飛んだのを感じて、俺は一瞬固まった。


 するとあれか。あのモフモフぎちぎちした奇態な生き物が群れを成して地下都市へ入り込み、武装した兵士から丸腰の市民に至るまであのかぎ爪で引き裂いて蹂躙して回るとか、そんな地獄絵図を、本気で構想していると。


「本気だとしたら、悪魔の発想だ。じゃあ、あんたはそれを……」


「ええ、阻止したいのです」


「じゃあ、女王を処分すれば丸く収まるんじゃないのか……まさか、違うのか!?」


 依頼の書面ではそうだった。凶暴化する前に女王を処分してくれ、と。


「アレは大嘘です。それを伝えるには、地上の施設内にいては無理だった。だから、あなたが任務に取り掛かった段階で接触して、真相を告げて協力を仰ごうと考えました。そんなわけで、私はここにいる」


 ベイカーの説明は続く。ホグマイトは原型となった生物同様、女王が発する微量の生理活性物質フェロモンを摂取、個体間で伝達することによって統制されている。彼がこの場所で安全に潜伏していられたのも、その応用らしい。そして――


 もしも群れが全体として同じ空間を共有しているときに女王を失えば、ホグマイトたちは凶暴化してありとあらゆる動くものに襲い掛かり、食い殺してしまうのだ、と。

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