第5話 天秤と鷲獅子(Libra and Greif)
肩に載せられた女の腕が妙に温かくて落ち着かない気分だが、それよりも――わからない言葉が多すぎる。
「リーブラ、って何だ?」
英語でも日本語でも普通に表現すればいいのに、何でここの連中はこう、いちいち意味ありげな造語やメタファーまみれの固有名詞を乱発したりしてるのだ。
「えぇ……知らない?」
女は信じられないという顔でこちらを見た。トマツリが俺と彼女を交互に見比べる。
「さっき聞いたサルワタリの話が本当なら、知らなくてもまあ無理はないが……」
「えー、まさか。何か訳ありですっとぼけてるんじゃないのォ?」
「俺もそう思いたいんだけどな、レダ。この匂いをかがされてると『よもや』って気分になる」
「ああ、ニンニクとか言った?
彼女の発言に暗澹とした気分になる。まさか、ニンニクごときがそんな希少品に?
「ああ、自己紹介が遅れたね。あたしはレダ・ハーケン。
「……サルワタリだ」
「『
「正義の味方、って訳か」
「報酬はきっちりとるから、そんないいもんじゃないけどねぇ」
レダはクックッと笑って俺の肩から腕をどけ、椅子の背をこちらへ向けて背もたれを抱くような姿勢で座り直した。ショートパンツから伸びた足の、白い内ももがやたら眩しくて視線のやり場に困る。
アジア系の血が入っているらしい、控えめな骨格をした額やあごのラインが実年齢以上に幼く見える顔立ち。
サイドテールに結んだストロベリーブロンドの髪はかなり硬めの毛質で、瞳の色はヘーゼルとかいうタイプに見える。その微妙な色合いはどことなく、祖母の家にいた猫を思い出させた。
服装はと言えば足に金属プレート付きのレガースを履いてそれにごつい膝パッドを合わせ、上半身はこれも防弾プレート入りのタクティカルベストとショルダーハーネス。
だが、ベストの前は大きく開けられ、スポーツブラに近いようなショート丈の黒Tシャツに包まれた、かなりの巨乳が存在を主張していて――
「……おおっと。結構大胆にガン見するねぇ、おっさん」
しまった。そういえば女性は、自分の胸部に注がれる視線には思いのほか敏感だと聞いたことが。
「あっ、その……すまん」
「いやいや。正直な男は嫌いじゃないよ。それでどうすんの? いや、トマツリの提案の方だけど」
補足されてほっとした。そっちでなかったらどう返事をすればよかったというのか。
さて、わざわざ命の危険に身をさらす生活を選ぶのも気が向かないが、今のところ他に選択肢がない。それに、二人の話が本当なら。
「この街の運営方針と、
「そうか!」
トマツリの顔がぱあっと花が咲くようにほころんだ。いい年してそのピュアな笑顔はどうなんだ――
「見たところあんたには、機転と度胸と運があるようだ。それにともかくも一戦を乗り切ったのは事実だ。R.A.T.sに加わってくれるなら心強い」
「そこまで言ってもらえると身に余るよ……ところで、さっきあんたは『ちょっとしたお礼をしたい』みたいなこと言ったよな? してみるとこのスカウト話がそれなのか?」
「……いや!」
俺が言外に含めた疑いの念を察知したらしく、トマツリの顔がすっと青ざめて、それから赤くなった。
「もちろん違う。あの時はあんたをここの普通の市民だと思ってた。だから協力に対して感謝状と謝礼金を出そうと……」
「そうか、ありがたい。飯と寝床を用意してくれるのもそうだが、なにせここで手持ちの金が通用するとも思えなくてな。酒やちょっとした娯楽が手に入らないのはいささか堪える」
「分かった。事務に回して諸々手配させる」
トマツリが頭につけたヘッドセットのマイクで、どこかへ連絡を入れる。すぐにひょろっとした印象の若い男がやってきて、トマツリが走り書きしたメモを手にまたその場を離れた。
「さて、あんたの方はこれで良し。あいつが戻ってきたら宿舎へ案内させる。それで、あとは――」
「あ、トマツリ。あのランベルトが落としたガトリング拾って来たけど、貰っといていいかい?」
握手の距離で向かい合った俺とトマツリの間に、レダがひょい、と文字通り首を突っ込んできた。
「……構わないぞ。緊急の依頼に報酬が釣り合うほど用意できなくて、すまなく思っていたんだ……それで良ければ、持って行ってくれ」
「やりぃ。あんまり好みの武装じゃないけど、売れば今回の報酬におつりがくるからね」
「話を戻すぞ。あとはその――女の子だが」
トマツリの言葉に、三人がそろって件の少女の方を振り向いた。
俺も食った先ほどの食事パック、お世辞にも美味とは言えないそれを彼女はむさぼるように食べ尽くし、見慣れないものに戸惑う様子でトマトとにらめっこをしていた。
「この子は、何者なんだ?」
「何者って……俺もよく知らんが、ここのスラムの住人かなんかじゃないのか? 食事にも事欠いてた風だし」
「いや」
ありえない、という表情でトマツリが首を振った。
「ギムナンにスラムはないんだ、サルワタリ。水精製プラントも有機畑も市の所有、市民の共有財産だから、その収益はみんなで分配する。貧民はいない、ここはみんな平等に貧しい。そして、全員が市民として保護されているんだ」
「ふむ。そりゃあなんとも、涙が出るくらいご立派だな……だが、そうすると」
この少女はどこから来たのだ、という話になる。まあ、
「いや、そんな目で俺を見るな……! 俺たちは外から来たやつを排除したり、路上に放置したりもしない!」
「だよねえ……だいたい最寄りの
なるほど。つまりその方針は俺にも適用されているわけだ。
「考えられるのは……他所からたどり着いて、街に迎え入れられる手順も分からないまま潜り込んでたって感じ?」
レダが首を傾げたが、彼女はすぐになにがしか頭を切り替えたらしかった。
「まぁ、あたしらだけで話してたって仕方ないや。ね、お嬢ちゃん……まず、名前から聞こうか?」
テーブルの横にしゃがみ込んで天板に顎を載せると、レダは少女の目線のやや下から、その顔を覗き込んでニカっと笑った。
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